【第266話】さりげなく大きな問題?

 これ程のんびりした朝を迎えたのは王都に来て以来初めてのような気がして、シリューはティーカップから揺れる紅茶の湯気と、目前で交わされる楽し気な会話を、何気なく、それでいてじっくりと味わうように楽しみ眺めていた。


 休日らしい休日。


 皆今日は私服で、誰も制服を着ていない。


 ディックたちの私服姿を見るのも初めてのことだ。


 軽いお茶請けと、エマの持参した外国産の香高い紅茶が皆の口を軽くしたのか、話題は学院生活から最近王都での流行など、シリューがいた元の世界の若者と同じように、とりとめのないものがほとんどだった。


 今回の事件の事を誰も話題に上げないのは、特に気を遣っているわけではなく、皆ただの雑談を楽しみたかったからに他ならない。


「あなたとこんな話しができるようになるなんて、始めは思いもしなかったわ」


 エマが嬉しそうに微笑むと、ディックもドクも「そうだな」と相槌を打った。


「ところで、お前はこれからどうするんだ?」


 お喋りの盛り上がりにも一段落ついたころ、ディックが静かな声で切り出したのを合図に、皆の注目がシリューに集まる。


「そうだなぁ……」


 元々この王都に来た目的は、人造魔石を無事魔法調査研究機構に届けることとオルタンシアの動向を探るためだったが、レグノスから続く事件は思いもよらない展開をみせ、意図していなかったとはいえ魔神の復活を阻止するという形で幕を閉じた。


 エリアスからの直々の依頼もそれによって完遂したことにより、シリューが王都に残る理由もなくなった。


 もちろん、残りたい理由なら幾つかあったが。


「まだ決まってないんでしょう? だったら、もう暫く王都に残って学院生活を続けてはどうかしら」


 シリューが迷っているのを表情から読み取ったのか、エマはにっこりと笑って魅力的な提案をした。


「お前からは、学ぶものも多いしな」


「それにまだ、あんたの詩も完成してない」


 すかさずディックとドクが乗ってきたということは、始めから3人はシリューを慰留するのが目的だったのだろう。


「良い提案ではないかしら? その方が、貴方も少しはゆっくりできるでしょう。ね? シリュー」


 ハーティアは柔らかい微笑を浮かべて、ちょこんっと首を傾ける。


「私も賛成です。シリューさんずっと忙しかったんですから、ちょっとは休まないと」


 世話好きのミリアムらしく、こんなときは年上のお姉さんだ。


「ご主人様は、もっと遊んでもいいの、です」


 ぴんっと人差し指を立てて、ヒスイが頷く。


 こちらの3人も、概ね意見は同じようだ。


 それぞれ言い方は違っても、気遣ってくれているのが良くわかる。


「そうだな、じゃあそうするか」


 エリアスの妹でハイエルフの王女アリエルに会いに行く目的もあるが、それは今のところ急がなくてもいいだろう。


 もう暫く王都に留まり、討伐以外のクエストを受けつつ学院生活を続ける。


 幸い、学院長のタンストールからも是非にと勧められていたので問題はない。


 今後の方針が決まったところで、午前のお茶会はお開きとなった。


「ああ、ちょっと待って。皆に渡す物があったんだ」


 立ち上がって玄関に向かおうとするディックたちを、シリューが思い出したように呼び止めた。


「渡す物?」


 シリューはガイアストレージから取り出した3つの巾着袋を、それぞれディック、ドク、エマに渡した。


「何だ? 大きさの割には重いな……」


 掌にのせた巾着袋を眺めて、ディックが訝し気に首を傾げる。


「今回の報酬だよ、一人1万7500ディールだ。受け取ってくれ」


「17500……随分と多いわね。魔導士団の年収以上よ……」


「ありがたいが、気持ちだけ受け取っておく。俺たちは別に、報酬が欲しくてお前を手伝ったわけじゃないからな」


「ええ、そうね」


 ディックとエマは、受け取った巾着袋を中身も見ずに返そうとする。


 ドクがにやにやと様子を窺っているのは、報酬の出処が王家だと知っているからだろう。


「なあディック、エマ。俺たちはさ、あくまでも金を貰って依頼を果たす冒険者なんだ。まあ、それぞれ考え方はあるんだろうけど、慈善事業をやってるわけじゃないし、正義の味方でもない。これは、そうだな……歯止めみたいなもの、かな」


 ディックに語り掛けながらも、シリューは自分自身にそう言い聞かせていた。


 暴走した正義の果てに何が待つのか。


 いつか歯止めが利かなくなった時、自分は自分でいられるのだろうか。


 シリューの心の中には、漠然とした不安が目覚めていた。


「歯止め……か。お前の事情はドクから聞いた。まあ、ドクが全部話したのかどうかは分からないし、確かめるつもりもないがな。わかった、これはありがたく受け取っておこう。お前は、意外と思慮深いんだな」


 ディックは報酬の入った巾着を上着のポケットにしまい、「失礼する」と一言付け足しエマを連れ添って玄関へ向かった。


「ああそうだシリュー、親父があんたに会いたがってたぜ」


 玄関のドアを閉める間際、ドクはとんでもない一言を残し去って行った。


「いや、まて。あんたの親父って……」


 どうやらシリューはまた一つ、大きな問題を抱えてしまったようだ。



◇◇◇◇◇



「わあ、私たちにも有るんですか。うれしい、で……す……」


 どん、っとテーブルに置かれたハンドバック大の革袋を見つめて、ミリアムは声をなくした。


「ひあぁぁぁ!」


 さらに、袋を開いて中身を覗き込み、脳天から突き抜けるような声を上げた。


「あの、シリュー? これは、どういうことかしら……今回の報酬にしては……多すぎるわ……」


 いつも冷静なハーティアでさえ、顔を引きつらせている。


「ああ、それな。ほら、ここに来る途中でオルデラオクトナリアを倒しただろ? あれがオークションで売れたって連絡があって、この間受け取ったんだ」


「そう……いったい幾らで売れたの?」


「んーと、75万ディールだったから、手数料2割引かれて、60万ディール。あと、いらないって言ったんだけど『疾風の烈剣』のエクストルさんから12万ディール貰ったんで、今回のと合わせて一人19万7500ディールだ」


「ふえぇぇ、わ、私……心臓が止まりそうですぅ」


 見たこともない金貨の山を前に、ミリアムは目をまわし今にも気絶しそうだ。


「何故均等割りなの? 大きい方のオルデラオクトナリアは貴方一人で倒したでしょう。配分をしっかり考えるべきだわ」


 貴族の子女とはいえ、冒険者として自活してきたハーティアの金銭感覚は、ほとんど庶民と変わらない。


 驚き困惑してしまうのも、無理はないだろう。


「え、いや、面倒くさいし。別にいいだろ、均等割りで」


 企業の管理職ならいざ知らず、元高校生のシリューは人事評価など当然ながらしたこともない。


「待って、一応聞くのだけれど、クランの運営費はどうしているの? 例えばこのクランハウスの賃貸料とか、マナッサで買った馬の費用とか」


「ああ、そういえばお馬さん、買いましたねぇ。あの子、どうしたんですかぁ?」


 未だショックから立ち直っていないミリアムが、頭をくらくら揺らしながら尋ねた。


 王都に来てからというもの、乗ることも使うこともなかったためほぼ忘れかけていたが、馬は冒険者ギルドのコラルに預けっ放しで、週に一度飼育料を支払っていた。


「他にもあるでしょう? 食器も食材も買ったし、雑費もかかっているはずよ」


「ええと、全部俺の金から出してるけど、問題ないよな?」


「大ありよ、本当に馬鹿なのシリュー……」


 ハーティアは呆れたように溜息を零した。


 冒険者個人はもちろんのこと、クランにも国へ納税の義務がある。


 比較的制約を受けずに国境を越えられる冒険者も、所属はあくまでも登録した国となり、その国の国民と同じように税が課せられているのだ。


 冒険者登録をした時に貰ったガイドラインにもしっかりと明記されているのだが、シリューはあまり気にもせず読み飛ばしてしまっていた。


「2人とも準備して。出かけるわよ」


 ハーティアはソファーから立ち上がると、2人を促し自分の部屋へと階段を上がって行った。

 一番いい服を着なさい。と一言付け加えるのを忘れずに。

 

 


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