【第264話】小さな灯

「シリュー殿。本当にありがとう。この感謝の気持ちは到底言葉では言い尽くせぬ。改めて礼をしたい故、近いうちに伺おう。では、私はこれで失礼する」


 一言御礼に寄ったのだと語ったクラウディウスは、仕事に向かうため病室を出ていった。


 その後姿を見送った後も、3人はドアに向かって呆然と立ち竦んでいた。


「なあ……あの人、何か途轍もない勘違いしてないか……」


 シリューがドアを眺めたまま、ぼそっと呟く。


 ハーティアの言葉は主従関係を誓うようで驚かされたが、クラウディウスのそれは、まるで……と、そこまで考えてシリューは首を振った。


「そっ、そうですねっ。私のことも、ずっと、おおお奥方って、呼んでますしねっ。こ、困りますよねっ」


 真っ赤に染まった頬に両手を添えたミリアムは、困ったと言う割には弾んだ声で何処か嬉しそうだ。


「と、父さまは……気が、は、早すぎるの……」


 消え入りそうな声で呟くハーティアも、ミリアムと同じように耳までも赤く染めて目を伏せる。


「か、帰ろうか」


 シリューは、あえて色々なことから目を逸らした。


「そ、そうね。帰って自分の部屋でゆっくりしたいわ」


 ハーティアの言う自分の部屋とは、実家ではなくクランハウスの部屋のことだ。


「じ、じゃあ私、昼食と紅茶、用意しますねっ」


 動揺を隠せていない3人ともが、全員ヘタレだったのは言うまでもない。


「あ、そうそうシリューさん」


 ミリアムは急にぱんっと軽く手を叩き、真面目な表情に変わる。


「え? 何?」


 ハーティアといいクラウディウスといい、いつもは冷静なシリューでも動揺してしまうような話題をぶち込んできた。


 それ以外にも何かあるのではと、シリューはミリアム顔を用心深く見つめた。


「ここの治療院の院長先生が、シリューさんに会いたがってましたよ?」


「あ~やっぱりなぁ……」


 ある程度の予測はしていた。


 死の寸前にあった末期状態のハーティアが、一晩のうちに全快したのだ。


 医療に関わる者ならば、誰だってその秘密を知りたがるのは必然のことだ。


「う~ん、どうするかなぁ」


「正直に話す……なんてことをしたら、絶対大騒ぎになっちゃいますねぇ」


 リジェネレーションは遠い昔に失われた禁忌の魔法。


 魔法の書さえ残されていないその魔法をどうやって復活させたのか。


 人々の興味を引くのは間違いない。


 そして、当然のように治療を希望する患者が殺到するだろうし、魔法を覚えようとする者も出るかもしれない。


 それこそ、国を挙げての大騒ぎになるのは容易に予想できる。


 シリューは医者ではないのだから、仲間以外の不特定多数にリジェネレーションを使う気はない。


 だが、患者の顔を見て、懇願されたとしたらどうだろう。


 それを断るほどの強い意志が果たしてあるのか。


 シリューは自分自身への問いに、答えを出せずにいた。


 思い悩むシリューを横目に、あっさりと答えを用意してくれたのはハーティアだった。


「貴方はアルヤバーンという東の果ての国出身、だったでしょう?」


「まあ……そういうコトにしてる」


 ハーティアはぴんっと人差し指を立てる。


「だったらこうしましょう。貴方は故郷の迷宮ダンジョンを探索し、最深部でどんな病気でも治る魔法薬を一つだけ見つけた。そのダンジョンは既に崩壊してしまっているから、二度と魔法薬は手に入らない。どう? 貴方、そういう嘘は得意でしょう?」


 ハーティアはいたずらっぽく笑った。


「うん、そうだな、それでいこう」


 嘘の下りには少々納得がいかなかったが、ハーティアの提案はこの世界では説得力がある。それに、アルヤバーンもダンジョンもこの世界に存在しないのだから、誰にも探すこともできない。


「じゃあ俺は院長の所に寄っていくから、二人とも先に帰っててくれ」


 シリューは最後の面倒事を片付けるため、院長室へと向かった。



◇◇◇◇◇



 その日の夜。


 何となく寝つけずにいたシリューは一人バルコニーでデッキチェアに座り、キャンドルフォルダーの揺らめく明かりを友に夜空の星を眺めていた。


「これから、何をしようかなぁ」


 エリアスの依頼も、オルタンシアと魔神の心臓を倒して完遂となったし、ハーティアの病気も治療することができた。


 また旅に出るのもいいが、王都でのんびり過ごすのも悪くない。


 元々そのつもりだったのだが、とんだ大事件に巻き込まれほとんど休む暇も無かった。


「しばらく、ゆっくり休んだらどうかしら?」


 声の主はハーティアだった。


「どうぞ、ハーブティーよ。口に合うといいのだけれど」


 ハーティアはテーブルにティーカップを二つ並べ、ポットから淹れ立てのハーブティーを注いだ後、空いているデッキチェアに腰を下ろす。


「ありがとう。お前がお茶を淹れてくれるなんて、珍しいな」


「今夜は特別……ううん、貴方は特別よ、シリュー」


「良かった、またシリュー様なんて呼ばれたらどうしようかと思ってた」


 しっかりと特別な意味を込めた言葉にもかかわらず、シリューはハーティアの意図とまったく別の部分に反応した。


「はぁ、そっちなのね……ホント、ミリアムの言っていた意味がわかったわ」


「ミリアムが? なんて言ってたんだ?」


「ひ、み、つ」


 ハーティアは蠱惑的な笑みを浮かべて指をふる。


「秘密、ね……」


 どうせろくなことではないな、と思ったシリューはそれ以上聞かずにハーブティーを一口喉に流し込んだ。


「飲んだわね?」


「え? あ、ああ。飲んだけど、何?」


「ちょっと変わった味でしょう?」


「まあ、そうかな。美味しいけど?」


 シリューは首を捻りながらティーカップをしげしげと眺める。


「それ、飲んだら目の前の人を好きになる、惚れ薬よ」


「え、ええっ!?」


「即効性があるのだけれど、どう?」


 ハーティアは瞳に蠱惑的な光を宿し、シリューをじっと見つめた。


「い、いや……どうって、言われても……ごほっ」


 特に変化があるようには思えなかったが、何となく胸が熱くなっている気がして、シリューは思わず咳込んでしまう。


 ただそれはハーブティーのせいなのか、それともハーティアに見つめられたせいなのか。


「や、えっと、マジ?」


「嘘よ。安心して、ただのハーブティーだから」


 ハーティアはしてやったりとばかりに、いたずらっぽく笑った。


「おまえっ……」


 こんなに楽しそうに笑うハーティアを初めて見た気がする。


 元気になってくれたのなら、命を懸けた甲斐もあったというものだ。


「ま、いっか。なあ、それよりお前、体調はいいのか?」


「ええ、貴方が治療してくれたのよ、悪いわけがないわ」


 なにやらミリアムと同じ過剰な信頼を抱いているようで、シリューは少し気恥ずかしさを感じた。


「うん、それならいいんだけど。でも当分は無理するなよ、急激な治療をした反動が出ないとも限らないし」


「もしかして、心配してくれるの? ありがとう……その、とっても、嬉しい……」


 ほんのりと頬を染めたハーティアのネコ耳が、せわしなくぴくぴくと動く。


 いつもと違い少し恥じらうハーティアは、蝋燭の揺らめく明かりに照らされ幻想的な美しさを纏いシリューの視線を縫い留める。


 初めて見せる素直なハーティアの仕草と表情を目の当たりにして、シリューは胸の鼓動が早くなるのを感じた。


 顔を伏せてシリューを横目を向けたハーティアが続ける。


「何でも言ってねシリュー。私、今ならどんなことでも、今までできなかったことでも、やれそうだって思えるの……私、貴方に恩を返したい……」


「恩なんて、気にしなくていいよ。俺だってお前に感謝することが……いくつもあるんだから」


「今、一瞬考えたわね?」


「え、えっと、それはっその……」


 ハーティアは椅子から身を乗り出し、テーブルに肘をつく。


「ほら、やっぱり。貴方が私に感謝することなんて何もないの。だからねシリュー。貴方が迷惑だと思わない限り、私は一方的でもなんでも、貴方への恩返しを続けるから」


「もし、迷惑だって言ったら?」


「……泣くっ」


「子供かっ!」


 思わずツッこんだシリューはふと、以前ミリアムと同じようなやり取りがあったことを思い出しぷっと吹き出してしまった。


「え、っと……?」


 お腹を抱えて笑うシリューに、ハーティアは意味が分からずちょこんっと首を傾げる。


 ハーティアを置いてけぼりに、ひとしきり笑い終えたシリューは顔を上げてハーティアを見つめた。


「ま、お前の泣き顔は見たくないから、好きにするさ。でも、ホントに無理はするなよ。治ったって言っても、魔素循環障害自体はそのままだし、定期的に浄化魔法を受ける必要があるんだからさ」


「もちろん、貴方がしてくれるんでしょう?」


「え、と……」


「私、貴方にしてほしい」


 ハーティアの潤む瞳に、蝋燭の灯が映って揺れる。


「そうだな、俺が生きてる間は、だけど」


「それって……私、ずっと貴方の傍にいていい、の?」


 ハーティアは伏し目がちにシリューを見つめる。


「まあ、お前が飽きない限りは」


 少しぶっきらぼうな態度だったが、それが照れ隠しなのをハーティアは見抜いていた。


「嬉しいっ。私、頑張るから、ずっと傍にいさせてね、シリューっ」


 こんなにも表情豊かな娘だったのかと、両手を胸の前で組んできらきらと瞳を輝かせているハーティアを目にして、シリューは涼し気に目を細めた。


 病気のこと、父親とのこと。


 心を苦しめてきたその二つが、理想の形をもたらし終わったことで、ハーティアは本来の自分を取り戻そうとしているのだろう。


 素直な好意を見せるハーティアは、とてつもなくかわいい。


 もちろん、普段のツンな彼女も。


「俺も、嬉しいよ。お前が傍にいてくれて、ホントに嬉しいし、心強い」


「……ありがとう、シリュー……」


 瞬く星に見守られながら、二人はそっと唇を重ねた。


「おやすみなさい、シリュー」


「ああ、おやすみ。ハーティア」


 夜は更けてゆく。


 新しい朝を迎えるために。


 満天の星空に流れてゆく星が一つ。


 それはまるで、二人の道を指し示すかのように長く尾を引き、地平の彼方へと消えてゆく。


 あの日叶わなかった夢の欠片が、小さな灯となってシリューの胸に輝いた。



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