【第263話】ミリアムの想い、ハーティアの誓い

 静かに更けてゆく夜。


 ミリアムは、壁に掛けられた灯火燭台で揺れる蝋燭の薄明りの中、病室のベッドの脇で椅子に腰かけ、時折襲ってくる睡魔を退けながら、飽きることもなくシリューの寝顔を眺めていた。


 朝はまだまだ遠い。


 それでもミリアムは一晩中、いやシリューが眠り続けるなら、目覚めるまでずっとこうしているつもりだった。


 そうすることで、少しでもシリューの行いに報いたいと思っていた。


「……あの時、私は……」


「あれ? ミリアム?」


 ミリアムの呟く声が聞こえたのか、ふとシリューは目を覚ました。


「あ、シリューさん。ごめんなさい、起こしてしまいましたね」


「いや、別にそういう訳じゃないけど……どうしてお前がここに? ハーティアについてなくて良かったのか?」


 シリューは少し掠れた声で尋ねた。


「はい。ハーティアが、自分はもう大丈夫だからシリューさんの傍にいろって。リジェネレーションを使った後だから、何かあったらいけないって。それでほら、ヒスイちゃんもそこに」


 ミリアムが指さした方に顔を向けると、ヒスイはしっかりとシリューの枕で眠っていた。


「そっか、それで起きててくれたのか。ありがとな、ミリアム」


 そんなシリューの感謝の言葉に、ミリアムは目を伏せて首を振った。


「ありがとうなんて、言わないでください……私シリューさんに、謝らなくちゃ……いけないから」


 何故ミリアムがそんなことを口にしたのか、シリューには思い当たるものがなかった。


「謝るって、いったい何を? 俺、お前に何かされた記憶がないんだけど」


「ありますよ……私、シリューさんに、酷いことをしました」


「酷いこと……?」


 ますます意味の分からないシリューをよそに、ミリアムは言葉を選ぶように訥々と話し始める。


「私、シリューさんに、お願いしました……覚えてますか、リジェネレーションは、もう二度と使わないで、って……」


「ん~、そういえばそんなことを言われたような……」


 シリューはあまり覚えていないようだが、ミリアムの脳裏にはくっきりと刻まれていた。



〝お前がまた手足を失うようなことがあれば、俺は迷わずリジェネレーションを使う〟



 以前、そう明言したシリューに、ミリアムは絶対にそんなことは止めてほしいと懇願した。


「なのに私っ、ハーティアを助けたくって、シリューさんに、リジェネレーションを使ってほしいって……思ってたんです。シリューさんが、死ぬかもしれないって、分かってたのにっ」


 見開かれたリアムの瞳が潤む。


「なんだ、そんなことか」


 シリューは事もなげにあっさりと言ってのけた。


「シリューさんには、そんなことでも、私は……私にとっては重大なことなんです……だって、死ぬかもしれないんですよ? なのに私、シリューさんなら大丈夫って、そう自分に言い聞かせて、勝手に納得してっ、シリューさんがリジェネレーションを使うって言った時、私、私っ、喜んだんです。これできっと、ハーティアは助かるって……だから、止めなかった……」


「問題ないだろ? 現にハーティアは助けられたし、俺も何ともなかったし」


「それは結果論ですっ。もしシリューさんが死んでいたら、私、わたしっ……。でも、こんなふうに一人で勝手に聖者ぶって、罪の意識を背負って、感傷にひたって……そんなエゴまみれの自分が……許せなくて……許せなくてっ」


 謝るというより、それは罪の告白。


「私……醜い顔してるでしょう……」 


 それきり、俯いて肩を震わせるミリアムはただ涙を零すだけだった。


 声を上げて泣きじゃくるミリアムをしばらくの間見つめ続け、シリューは穏やかな声で語り掛ける。


「俺も、勝手に期待してた。お前なら、何とかしてくれるって」


「え……?」


「たとえ死んだとしても、お前なら生き返らせてくれるんじゃないかって、勝手に思い込んでた。だから、安心してリジェネレーションを使えた。それにさ、お前だってもし俺に何かあったら、命を懸ける気だったんだろ? 俺の思い違いじゃなければ」


「思い違いなんかじゃ、ありませんっ。わたしっ、私だって……命を懸ける覚悟でした……信じてもらえないかも、しれないけど」


 ミリアムは顔を上げて、懸命に訴えかけた。


 あの時、シリューに何かあれば、どんな危険を冒してでも助けるつもりだった。


 たとえ誰も信じてくれなかったとしても、シリューには、シリューにだけは信じてほしいとミリアムは願った。


「信じるよ、ってか疑う余地なんてないだろ? お前は、俺が魔神に体を乗っ取られそうになった時、必死に庇ってくれたじゃないか。だからさ、これでお相子。俺はハーティアを助けるために命を懸けたし、ハーティアは命がかかってた。そしてお前も、俺を助けるために命を懸けようとした。それでいいんじゃないか?」


「シリューさん……ごめんなさい……ありがとうございます」


 ミリアムは膝に手を置き体を強張らせて頭を下げた。


 シリューは身を起こして、それでも泣き続けるミリアムの頭をぽんぽんと優しく撫でる。


「お前はさ、人が振り向くほど美人だし、ちょっとアレだけどそれもかわいいし、料理だって上手いし何でもできるけど……」


「みゅっ!?」


 ミリアムの心臓がとくんっ、と跳ねた。


 今のタイミングで、これは反則だ。


「真面目過ぎなのと考え過ぎるのが欠点だよな、他は良いトコばっかりなのに」


 シリューは涼し気に笑ったが、ミリアムはシリューの顔をまともに見ることができなかった。


「もうっ、茶化さないでよ……」


 夜は静かに更けてゆく。


 二人を優しく包み込むように。



◇◇◇◇◇



 次の朝。


「シリューさん、朝ですよ、そろそろ起きてください」


 シリューは、すっかり元のペースに戻ったミリアムの少し掠れ気味で柔らかな声に目を覚ました。


 ミリアムは病室の隅に置かれた簡易ベッドで仮眠していたのか、長いピンクの髪が頭頂辺りでアホ毛のように跳ねている。


「おはようございます、シリューさん」


「ん、おはよ。ってかお前それ、めっちゃかわいい」


 シリューはぴょんっと跳ねたミリアムの髪を指さして笑った。


「ちょ、シリューさんっ。朝から、反則ですっ。まったく、そういうトコですよっ」


 ミリアムは顔を真っ赤に染めて、怒ったようなそれでいて喜んでいるような、よく分からない上擦った声をあげる。


「そういうトコって、どういうトコ?」


「し、知りませんっ」


 ハーティアに尋ねたときと同じく、ミリアムもまた答えてくれなかった。


 赤い顔でわたわたと髪を直すミリアム。


「そのままで良かったのに……」


「ダメですっ」


 残念そうな表情をシリューは浮かべ、もう一度やってくれるようにと頼んでみたのだが、ミリアムは取り付く島もなく即座に断った。


「ハーティアが待ってるから、行きましょう」


 着替えを終えたシリューがミリアムと一緒にハーティアの病室に赴くと、驚くことにハーティアは既に着替えを済ませ、荷物を纏め退院の準備を終わらせてベッドに腰かけていた。


「おはようシリュー。もう平気なの?」


「おはよ、ハーティア。それ、俺の台詞なんだけど……」


 昨日まで死にかけていたとは思えないほどハーティアの顔色は良く、ピンっと伸びた背筋にはっきりと通る声、なにより明るく笑うその表情にシリューは驚かされた。


「もう動いても大丈夫なのか?」


「はい」


 シリューが想定していたよりも随分と回復が早いのは、エルフの血が関係しているのかもしれない。


 ただそれよりもハーティアが、「ええ」ではなく「はい」と答えたのがシリューは気になった。


 そのハーティアは、不思議そうな表情のシリューを見つめてにっこり笑うと、ベッドから立ち上がり改まった様子で深々と頭を下げた。


「シリュー・アスカ様。この度は誠にありがとうございました。シリュー様のお陰をもちまして、私は生きてここから出ることが叶います。今回のことを含めて、私は三度もシリュー様に命を救われました。今後、私はこの御恩に報いるため、身も心も捧げる所存にございます」


「や、ちょっと、ハーティア!?」


「うむ。よく言ったノエミ!」


 野太い声が背後から響きシリューが振り返ると、いつの間にやって来たのか、満足そうな顔のクラウディウスが立っていた。


「クラウディウス様!?」


 クラウディウスはシリューに歩み寄りがっしりと手を掴む。


「シリュー殿、此度のこと心より感謝致す。私も娘も、返しきれないほどの恩を受けたが、娘はきっと報いるだろう。だからシリュー殿。娘を、ノエミを、どうか末永くよろしくお願いしたい」


「は、はいっ。もちろんですっ」


 真っすぐなクラウディウスの眼差しに圧倒され、シリューは思わず頷いてしまう。


 シリューの返事に嬉しそうな笑みを湛えたクラウディウスは、ミリアムに向き直り同じように手を取った。


「奥方殿。迷惑を掛けるかもしれぬが、ノエミのことよろしく迎えてやってほしい」


「ひ、ひゃいっ。いえ、あのっ、はいっ。こ、こちらこそ、ですっ」


 しどろもどろになりながら言葉も選べずに答えたミリアムは、その後真っ赤に頬を染めて硬直したのだった。


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