【第262話】私たちの勇者様

「シリューさんっ!」


「ご主人様!」


 ミリアムたちには笑顔を見せたものの、シリューは力が抜けたようによろめき床に膝をついた。


「大丈夫ですか! ヒスイちゃん、準備を!!」


 ミリアムは手術衣の胸元に手を掛け、シリューに駆け寄る。


「ま、待てミリアム。大丈夫だ」


 今にも手術衣を脱ごうとするミリアムを手で制して、シリューはセクレタリー・インターフェイスに自分の状態を確認させた。



【生命力の20%を消耗していますが、生命活動に支障はありません。約6時間の休息で回復の見込み】



 リジェネレーションで消費される生命力の量は確立によって変動する。そして、使えば使うほど死の危険が高まる。


 前回、ミリアムの時は全生命力を使い果たしたが、今回は20%。まるでロシアンルーレットだ。


「ごめん、ちょっと疲れただけだよ、心配ない」


「そうですか、良かったぁ」


 ミリアムは緊張を解き、大きく胸をなでおろす。


「あの、シリューさん。ハーティアは……?」


「病巣はレイで全部焼き尽くしたし、失われた臓器はリジェネレーションで再生させた。もう命の危険はないさ、ハーティアは生きられる、これからずっと」


 魔素循環障害自体が治ったわけではないが、こちらは定期的に魔法で浄化してやればいい。


「シリューさん……シリューさんは、ホントに、すごいです……」


 シリューの目の前に跪いたミリアムの瞳に、みるみる涙が溢れてゆく。


「前にも言ったけどさ、俺の力はこの世界に来た時、誰かに与えられたものだよ。だから、凄いのは俺じゃなくてこの力なんだ」


 その力をただ使っているだけだ、とシリューは続けた。


 ミリアムはその言葉に、ゆっくりと首を振る。


「そうじゃないですよ……確かにシリューさんの力は凄いですけど、でも、本当に凄いのは、シリューさんの心です」


「心?」


「はい。シリューさんは、その力をけっして自分の名声や利益のために使わない。ただ誰かを救うために、躊躇なく命を懸ける」


「それは、お前だって……」


「私は……そうするしかないから、結果的にそうなるだけです。でもシリューさんは、そうしたいから、そうする……ですよね」


 シリューはミリアムの言葉を噛みしめるように目を閉じ、深く息をする。


 ミリアムの言いたいことは何となく理解できる。


「俺は……誰かの泣き顔を、見たくないからな……」


「シリューさん……」


 零れ落ちる大粒の涙を拭おうともせず、ミリアムは春を彩る菜の花のように笑った。


「シリューさん。ありがとうございます、お友達を、救ってくれて。いつも、いつだって、私たちの期待に応えてくれて……本当にありがとう……私たちの、勇者様」


「どういたしまして。でも、勇者は言い過ぎだよ」


 シリューは幼い子供にそうするように、ぽんぽん、っとミリアムの頭を撫でる。


 気持ちよさそうに目を細めるミリアムに、シリューはそっとハンカチを渡した。


「ミリアム、悪いけど少し休ませてくれ」


「はいっ。私、空きの病室を借りられるよう、看護師さんに頼んできますね! それまで、椅子に座っててください」


 ミリアムはそう言って病室を飛び出し、数分後には戻ってきた。


「お隣の病室が空いてるそうですので、そこに行きましょうねシリューさん。大丈夫? 立てますか?」


「ああ……お、っと」


 立ち上がろうとよろけたシリューを、ミリアムがさっと支える。


「無理しないで、私の肩に手をまわして」


「うん、ありがとう」


 シリューはミリアムに支えられながら病室を出た。


 廊下では、難しい顔をしたクラウディウスが待っていた。


「シリュー殿、ノエミは……」


 期待と不安の同居した表情を浮かべ、クラウディウスは少し遠慮するように尋ねる。


「治療は終わりました、もう心配いりません。彼女は健康体です」


「ほ、本当に、そんなことが……」


「ええ、しばらくしたら目を覚ますでしょうから、声を掛けてやってください」


 ミリアムの肩に腕をまわして支えられていにもかかわらず、シリューは疲れた顔にそれでも笑顔をつくって見せた。


「君は……大丈夫なのか?」


「はい。少し疲れたので、しばらく休みます」


「あ、ああ」


 ミリアムに連れられて隣の病室に入ったシリューは、ベッドに横になったとたん眠り込んでしまった。


「ゆっくり休んでください」


 ミリアムは、シリューの額にそっとキスして病室をあとにした。



◇◇◇◇◇



 それからどれくらい経っただろう。


 ミリアムとクラウディウスの守る中、ハーティアはそっと目を開いた。


「ミリアム……それに、父さまも……」


「おお、目覚めたかノエミ」


「気分はどうですか、ハーティア?」


「え……?」


 ハーティアは訝し気な表情で、ゆっくりと膝をたてたり両手を上げてみたりを繰り返す。


「動く……動かせる?」


 それから矢庭に両手をついて起き上がろうと試みた。


「はぅっ」


 だがあまりにも急に動き過ぎたために眩暈を起こしたのか、くらくらと倒れ込むところをミリアムにがっしりと支えられた。


「急に動いちゃダメですよ。ずっと寝ていたんですから」


「……躰が、軽い……痛みも、倦怠感もない……まるで、病気になる前みたいにいい気分……どうなっているの……」


 ハーティアが顔を上げると、ミリアムもクラウディウスも、優しい笑みを浮かべている。


「そっか、これは幻……それとも天国なのね」


「外れです。これは紛れもない現実ですよ。あなたの病気は治ったんです、ハーティア」


「う、嘘……そんな、ことが……」


 ハーティアは両手を胸とお腹に添え、信じられないといった目でじっと見つめた。


「嘘ではない、本当のことだよ、ノエミ」


 にわかには信じられなかった。


 死の間際だった病気を、ほんの僅かな時間に治療などできるのだろうかと。


 だが実際、もう躰の何処にも異常を感じない。起きることさえできなかったのに、今は走り出したくなるほど躰が軽い。


 それはまるで奇跡のように。


 しかし、そんなことが起こり得るのだろうか。


 もしも、そんな奇跡を起こせる者がいるのなら、それはこの世界にたった一人。


「シリュー・アスカ……」


「ええ、そうですよ。シリューさんです」


 花のように笑うミリアムを見上げた後、ハーティアはきょろきょと室内を見渡し、そこにシリューがいないことに気付く。


「シリューは? シリューは、どこなの?」


 ハーティアはまるで親を見失った子供のように、不安気な表情をその顔に浮かべた。


「シリューさんは、今ちょっと休んでます」


「休んで……ねえ、まさか……リジェネレーションを、使った、わけじゃ……」


「ええ、使いました」


 あっさりと答えたミリアムの目を、驚愕の面持ちでハーティアは見つめた。


「嘘……そんな……」


 大きく見開かれた瞳が潤み、見るまに溢れるほどの涙を湛える。


「大丈夫ですよ、少し疲れたみたいです。ヒスイちゃんがついてるので、心配はいりません」


「そう、なの? 良かった……」


 ハーティアはほっと息を零した。


「ノエミ」


 良く通る低めの声は、温かみを感じさせる穏やかさで病室に響いた。


「はい、父さま」


 ぴんっと背筋を伸ばし、ハーティアは父からの言葉を待つ。


「お前の生気のある顔を見ることができて、本当に良かった。これから少し仕事に戻ろうと思う」


「はい」


「大きな恩を受けたな、ノエミ」


「この恩は、必ず、返します」


 ハーティアの瞳には強い意志の光が宿っていた。


「ああ、そうだな。だがポードレールとしてではない。ノエミ、お前自身としてだ」


「え……?」


 クラウディウスは静かに天井を見上げ、ハーティアを、ミリアムを、そして最後に、隣の部屋にいるシリューを思い壁を見つめた。


「こんな奇跡が起こるとは思っていなかった。いや、起こったのではないな、これはシリュー殿がもたらし与えてくれたのだ……」


「はい」


 ハーティアが、ミリアムが、憂いのない輝く瞳を隣に繋がる壁へと向けた。


 そしてしばらくの静寂の後、クラウディウスは確信に満ちた表情で言葉を紡ぐ。


「私は思う。勇者ヒュウガが神に選ばれた勇者なら、シリュー殿はきっと、世界に望まれたもう一人の勇者なのだ」


 ハーティアとミリアムは、お互いに手を取り大きく頷くと、クラウディウスに向かって微笑んだ。


「ええ父さま、彼は……」


「「私たちの、ただ一人の勇者様です」」


 ハーティアとミリアムの声が重なり、波紋のように響いた。


「今夜は一人で、いやエレンティアと共に祝杯をあげるとしよう。ではなノエミ、失礼する、奥方殿」


「はいっ」


「ひゃ、ひゃいっ」


 クラウディウスが出て行った後、ミリアムとハーティアはもう一度顔を見合わせた。




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