【第196話】真実……

「で……お前はなんで、俺の事をそんなに睨んでるの?」


 ハーティアがお風呂に行ってすぐ、ミリアムはソファーの向かいで、じぃっとシリューをねめつけていた。


「ハーティア……お風呂です……」


 視線を逸らさずに、低い声で呟くミリアムが怖い。


「それは知ってる、けど……?」


「紅茶、どうぞっ」


 ミリアムはシリューに伺いもたてず、空になったティーカップに紅茶をなみなみと注ぐ。もう何杯目だろう。


 さっきからずっとこの調子だった。


「あの……」


「鍵がっ」


 ミリアムは、シリューの言葉を遮るように声を立てる。


「え?」


「壊れてるんですっ。さっき気付いたんですけどっ、脱衣室の、鍵っ。閉めても、鍵が掛からないんですぅ!」


「そうか、じゃ気をつけなきゃ……」


 そこまで自分で言って、ようやくミリアムの本意を察した。


「いや、まて……覗かないからな?」


「……」


「いや、何か言えよ……」


 ミリアムは押し黙ったまましばらくシリューを上目遣いに見つめたかと思うと、はぁっと、息をついて眉根を寄せた。


「シリューさんは……無意識にエッチな事をします」


「まって、そんな覚えないんだけど?」


 思い返してみるが、シリューにはそんな心当たりはなかった。


「私のパンツ見た……」


「あれはお前が勘違いして蹴りかかってきたからだろ」


 エラールの森の洞窟で、その中身まで見てしまったのは絶対に秘密だ。


「レグノスの治療院で……私の……おっぱい……見た」


「あれはっ、不可抗力だろっ。カウントするなよっ」


 あの時はちゃんとノックもしたし、ミリアムの返事も聞いてから入った。


 裸で寝ていたミリアムが、その事をすっかり忘れていたのが原因だ。


「わ、私が悪いんですかぁ?」


「どう考えても、そうじゃないかな?」


 ミリアムは困ったように眉をハの字にして、唇を固く結ぶ。


 それからしばらく首を捻って、突然閃いたように目を見開きびっ、と指を立てる。


「ま、まだありますもん!」


「何?」


「ハーティアのおっぱい揉んだっ。ハーティアのパンツ見たっ、そ、それから、お姫様のパンツ見たっっ」


「ちょっ、ま、まてっ、マジでっ。パティのパンツは見てないからなっ」


「え……」


 ミリアムの動きがぴたりと止まり、力のない虚ろな瞳でシリューを見つめる。


「え……?」


 まばたきさえ忘れて硬直するミリアムに、シリューは何か不味い事を言ったのだろうかと、自分自身を訝しむ。


「パティーユ姫様の事……パティって、呼ぶんですね……」


「あ、えっと……」


「そっか……愛称で、呼ぶんだ……恋人さんみたいに……姫様の事……」


 マナッサで勇者一行と共に戦った時。


 勇者のヒュウガも従士の人たちも、『パティーユ姫』と呼んでいた。


 それなのにシリューだけが『パティ』と愛称で、しかも呼び捨てにしている。


 ある程度は予想していたが、本人の口からそれらしい事を聞くと、やはりショックは大きく、ミリアムは全身の力が抜けていくような感覚を覚えた。


「いや、別に、恋人とかじゃ、ないから……別に、何もない、から」


 まるで浮気の言い訳のように、説得力の無い言葉ばかりがシリューの口をついて出る。


「やっぱり……シリューさんは、勇者様の仲間だったんですね?」


「え……」


 それからミリアムは一言も口をきかなかった。


 それ以上踏み込んだ事を聞く勇気もなかった。


 だが、おそらく、推測は正しい。


 ミリアムは今ここで、全ての真相を知りたいと思ったが、それは同時に、今ここにあるもの全てを壊してしまうほど危険な事にようにも思えて、口を開くことができずにいた。


 シリューもまた、真実を語る事によって、この関係が終わってしまうような不安に苛まれ、ただ口をつぐむだけだった。


 長い沈黙と重苦しい空気が、俯く二人の間に見えない壁を作る。


「ちょっと……二人とも、どうかしたの?」


「うわっ!?」


「ひゃうっ」


 いきなりの声に驚いたシリューとミリアムが顔を上げると、洗い髪をタオルで拭うハーティアがソファーのすぐ傍に立っていた。


「お風呂ありがとう……って、何? その驚きようは?」


「あ、いや……」


 目があったものの、シリューはすぐに視線を逸らす。


「また……何かやったのかしら? シリュー・アスカ」


 いつもはシリューの肩かポケットの中で空気感を漂わせているヒスイが、今は机の角に座り、脚をぷらぷらと揺らしている。


「……ミリアム、紅茶……入れなおしてくれるか?」


 シリューは意を決してミリアムを見つめた。


「はい……いいですけど……?」


 もうこれ以上、隠し通す事はできない。


 あやふやな気持ちのまま、危険な闘いに巻き込む訳にはいかない。


「ミリアム、ハーティア、ヒスイ……みんなに、聞いてほしい事がある」


 硬く握った拳を、シリューは自分の目の前に掲げた。






「もう気付いてるかもしれないけど、俺は……エルレイン王国に召喚された異世界人の一人で、勇者の仲間だった……」


 ティーカップを満たす、紅茶から立ち昇る湯気を見つめながら、シリューは淡々と語り始めた。


「そう、ですか……」


 ミリアムは一言だけ答え、ハーティアは何も言わずに頷いた。


「五人目の、召喚者って事ですか……」


「……聞いた事も、ないわね」


 二人の心に芽生える疑問。


 勇者召喚で異世界から召喚されるのは、勇者一人、従士三人の合わせて四人の筈で、それはエターナル神と交わされた厳正なる約定である。


「俺は、想定外だったらしくてさ、俺の存在自体が、勇者たちの力を制限する呪いだったんだ」


 ミリアムの肩がぴくんっと震える。


「それで、1500年前の三代目勇者の時にも同じ事があって、呪いを解くには、五人目の召喚者を殺す必要があった。で、俺はパティに後から心臓を刺されて、龍脈に落とされて……まあ、一度死んだ。それから、気付いたらエラールの森にいて、しかも半年も経ってた」


「……どうして……」


ミリアムは、膝に置いた両手の拳をぎゅっと固く結んで、掠れるような声を漏らす。


「ん?」


「どうしてっ! なんでシリューさんが殺されなきゃいけなかったんですか! 呪いって、そんなのっ……こっちの世界の、勝手な都合じゃないっ!!」


 ミリアムの瞳には、溢れるくらいの涙が滲んでいた。


「そうね……しかも、龍脈に落とすって……本来なら、命の輪廻から外れて、完全に消滅すると言われているわ……怖いくらいに、徹底しているわね……」


 いつもは表情を見せないハーティアも、今は蒼ざめた顔をしている。


「俺は……魔神に、なるらしい」


「「!!」」


 ミリアムとハーティアは、あまりの衝撃に口元を押さえ息をのむ。


 シリューの肩に移ったヒスイも、座ったまま身じろぎもせずに俯く。


 ――魔神――


 1500年前、三代目勇者の時代。


 勇者たちに掛かった呪いを解くために殺された五人目の召喚者は、激しい怒りと憎しみよって魂が蘇り、大災厄をも喰らって魔神と化した。


 世界に復讐を誓った魔神の力は凄まじく、自然の力を司る四神龍のうち三柱が失われ、二人の従士が命を落とし、世界の半分が壊滅した。


 その時、魔神に同調し、魔神から力を分け与えられたのが、魔族の始まりでもある。


 そしてこの事実は、世界が崩壊したため一部の者たちと遺跡のみに残され、世間では伝説の中に消えていった。


「でもっ、でも……シリューさんが1500年前と同じ、五人目の召喚者だとしても、魔神になるとは限らないじゃないですかっ……」


「でも……俺はこうして龍脈から復活して生き返った。それに、明らかにこの世界の常識を超える力を手に入れた。その力は、戦いの度に強力になる。自分でも怖くなるくらいに……」


「それは……」


 言葉を詰まらせ、ミリアムは俯く。


 最初に出会った時から常識外れの強さを見せたシリューは、本人の言う通り、あの頃よりも格段に強くなっている。


 魔力が無いにも関わらず、無尽蔵に発現する多彩で強力な魔法。空中を自在に駆け、巨大な敵をも一蹴する身体能力。


 それはやがて、勇者をも凌駕する存在となるだろう。


 それが、シリューにとって、また世界にとって、何を意味し、何をもたらすのか。


 今はまだ何も分からない。


「だから、決めてほしい……これから、どうするのか」


 真実は明かした。


 三人が何を選択しても、それを受け入れよう。


 シリューはそう心に決めて、部屋をあとにした。


 運命の歯車が、静かな音を立てて、回り始めた。




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