【第195話】クランハウスにて
「なるほど……レグノスの騒動は、そういう経緯だったのか」
エラールの森での野党団との一件から、マナッサでのドラウグルワイバーンまで、一通りの説明を聞き終えた後、ディックはそれまでの緊張を解くようにふうっと息を吐いた。
その目には、それまでの挑みかかるよな鋭い光はなく、状況を見極めようとする冷静な輝きを宿していた。
もちろん、シリューが断罪の白き翼である事は伏せておいたので、マナッサでの事件は主にミリアムとハーティアが解説した。
そして、ディックとエマが最も驚いたのは……。
「初めまして、なの」
「「ええっ? ピクシー!?」」
いきなり姿を現し、礼儀正しく挨拶をしたヒスイだった。
「……まさか……人語を話すピクシーを従えているなんて……」
二人とも本物のピクシーを見たのは初めてだった。
しかも人語を話すとなれば、それはもはや伝説級の存在だ。
「とりあえず、話を続けよう。それで……僕たちは何をすればいい?」
落ち着きを取り戻したディックは、シリューの肩に座るヒスイから視線を外し、尋ねた。
「学院内の情報が欲しいんです。ここ1、2年から最近のものまで、単なる噂でも構いません。それから、教職員の行動や言動についても」
「そんな簡単な事でいいのか?」
ディックは少し拍子抜けした表情を浮かべた。
「ええ、でも十分気を付けてください。俺たちの相手は魔族です。どんな手段を使ってくるか分かりません」
「まって、その言い方だと、学院内にも魔族が潜入していると?」
エマの表情が曇る。
「分かりません。でも、その可能性も捨てきれません。オルタンシアは変装して他人に成りすますのが得意ですから」
咄嗟にそう答えたシリューだったが、的外れな考えではないような気がした。
「その、オルタンシアの目的は何だ? レグノスではワイバーンを陽動に使って人造魔石を奪い返したうえ、小さな欠片を回収する為に、殺し屋と災害級まで差し向けたんだろう? なのになぜ、マナッサでその魔石を捨てるような真似をしたんだ?」
ディックの疑問は尤もで、シリューにもその真意を測りかねていた。
「それも、分かりません……何かの実験だろうとは思いますけど……」
死体を強力な魔人や魔獣に変える人造魔石。それを大量に生産すれば、途轍もない戦力になるだろう。
だが、何かがシリューの頭の隅に引っかかっていた。
それが何か、明確なものは見えてはいなかったが。
「それも含めて、お前の仕事というわけか……」
シリューは黙って頷いた。
「話は分かった。できるだけ目立たないように探ってみる。それでいいか?」
「はい、お願いします。危険だと判断したら、必ず俺に連絡してください。けっして一人で無茶はしないように」
「了解した。頭には入れておく」
軽く笑って、ディックは立ち上がる。
「ディックっ」
続いて立ち上がったエマが、少し不安げに眉をひそめる。
「心配するな。お前を危険な目にはあわせん」
「そ、そうではなくてっ」
エマの話を最後まで聞かず、ディックはすたすたと玄関に向かった。
「ああ、そうだ。今後も打合せや報告はここでいいか?」
振り向いて尋ねたディックに、シリューはただ「はい」とだけ答えた。
「では、失礼するわね。これからよろしく、ウィリ……」
「キッドと呼んでください」
「ええ、よろしくね、キッド」
先にドアを開けたディックは、「じゃあな」と振り向きもせずに出ていき、エマはぺこりっとお辞儀をして後に続いた。
「ホントに良かったんですか? 二人を巻き込んでしまって……」
門を潜るディックとエマを見送りながら、ミリアムはぽつりとシリューに尋ねた。
「ああ、あの二人の実力なら大丈夫だろ。味方は多い方が、敵を追い詰めやすい」
監視の目を増やせば、それだけ獲物が網にかかる確率も上がる。
「……それに……」
シリューはそっと胸を押さえた。
旧市街に入る度に息苦しさと鈍い痛みが襲ってくる。
白の装備のアンダーウェアによって、多少は軽減されているとはいえ、一日中耐え続けるのははっきり言ってキツい。
いつ激しい発作が起こるかも分からない。
それ以外にも、漠然とした不安が、この王都に着いてからずっとつきまとう。
〝お前は我になる〟
あの声の主がいったい誰なのか。
〝今回は違った結果になるのかな〟
メビウスが意味深に言った言葉がそれに重なる。
その瞬間、ズキンっと心臓に痛みが走り、全身の力が抜け、耐えきれずにほんの少しよろめく。
「あんっ」
見た目では分からないくらいのだった筈だが、ミリアムはさりげなくシリューの隣に立ち、そっと肩に触れて支えた。
「……大丈夫ですよ。シリューさんはもう、一人じゃありません」
ずっと前を見据えたまま、ミリアムは微笑んだ。
『終わりなき連なる流れ』
それは永遠に連続する宇宙の狭間であり宇宙の中心。
表は裏へ、裏は表へと続き、右は左へ、左は右へとうつろい、やがて上は下となり、下は上となる。
そして果てしない真っ白な空間。
「どうやら、いよいよ邂逅のようだね。邂逅? 少しちがうかな?」
何処ともつかない中空を見上げ、白いフードの少年、メビウスは呟いた。
「随分と楽しそうだな? まったく君は人間のようだメビウス」
少年が振り向くと、同じ背格好の少女が立っていた。
「やあ、君かメビウス。そうだね、僕は楽しんでいるのかもしれない」
「よいのか? 前回は星が一つ、滅びかけただろう?」
少女のメビウスは、表情を変えずに片方の眉を僅かに吊り上げる。
「そうだね。今回はどうだろう? 僕の予想では、違うルートを進む可能性も十分にある」
「予想、か……本当に君は人間のようだ」
「そう振舞っている、ともいえるけどね」
少年のメビウスはそう言って、少女のメビウスに向かい口角を上げた。
「どうした?」
少女はその行動が理解できず、無表情の顔を傾ける。
「笑顔、というんだよ。なかなかいいものだろう?」
「そうか、笑顔か。そうだな、覚えておこう」
少女の言葉には、何の感情も籠められてはいない。
「君の方は順調かい?」
少年の問いに、少女は首を振る。
「星が三つ滅んだ。多少の問題はあるが、概ね計画通りだ」
「そう、それは何よりだね」
二人は向きあってお互いに頷いた。
「じゃあ、僕はこれで。またいずれ会おう」
「ああ」
少年のメビウスが姿を消し、残った少女のメビウスはふわりと揺れた。
◇◇◇◇◇
その後、ミリアムの勧めで、ハーティアは夕食をご馳走になる事にした。
実際、誰かと食事を共にするなどもう何年も覚えがなく、久しぶりの事だった。
「美味しい……これ、ミリアムが?」
「はいっ。ありがとうございますっ、私、お料理は得意なんです♪」
「他はダメダメだけどな……」
ハーティアはミリアムと料理とシリューを順に眺めながら、少し感情を込めた声で尋ねる。
「シリュー・アスカ。貴方はもっと彼女に感謝するべきよ。なぜ結婚しないの」
尋ねる、というより、非難に近い響きだった。
「いや、お前っ。話し、飛びすぎだろっ!? だいたい俺たち付き合ってもいないからな!」
「それはどう考えても不自然ね。本当に付き合っていないの?」
今度はミリアムの顔に目を向ける。
「え、あっ、は、はいっ、それは、そのっ……むうっ」
ミリアムはそう口ごもり、シリューの顔をちらりと見て、ぷいっと頬を膨らませた。
「ご主人様とミリちゃんは、まだ一度も一緒に寝た事がないの、です」
ヒスイの爆弾に、シリューもミリアムも、そしてハーティアも、一瞬で顔を赤く染める。
「そ、そう、なの……」
「いや、ま、そ、そうだけど……」
「でも、裸で抱き合った事はあるの、です」
「ヒスイ!?」
「ひ、ひすいちゃんっ!?」
まさかの追撃。
「あ、の……ごめんなさい……」
ハーティアはささっと顔を背けた。
「いや、な、何が?」
そんな風に、二人をいたずら心で揶揄ってみたりもそうだが、他にも今日の出来事や当り障りのない街の噂話など、楽しいと感じる時間をハーティアは過ごす事ができた。
「ハーティア。(例の)話もしたいし、今夜は泊っていきませんか?」
食後の紅茶を飲みながら、ミリアムはハーティアを誘った。
「そうね、着替えはいつも持ち歩いているし……いいかしら? シリュー・アスカ」
いつもと違う柔らかな目で見つめられたシリューは、驚きのあまり、目を見開いて固まった。
「ちょっと……どうしたの?」
「いや……まさかお前が、しおらしく俺に伺いを立てるとは思わなくて……」
どうせ部屋はまだ空いているのだから好きにすればいい、とシリューは思っていた。
「あ、お風呂準備しますから、ハーティア、先にどうぞ」
ミリアムはぱたぱたと奥の廊下へ駆けていった。
「お風呂もあるのね」
「まあ、それなりに金は掛かってるからな」
「ところで、シリュー・アスカ……」
ハーティアはソファーから身を乗り出し、シリューの顔を上目遣いに伺う。
「……なに?」
「覗いてもいいけれど……殺すわよ? ミリアムが」
その口元にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいる。
「お前は、そんなに俺を窮地に立たせたいのか」
「窮地ではなくて死地だと思うのだけれど?」
「もっと悪いだろそれ」
本当にそんな冗談はやめてくれ。
と、口には出さなかったが、心の中で強く願ったシリューだった。
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