【第194話】置いていかないで

 遅れ気味のミリアムとハーティアを振り返ったシリューは、それでも声は掛けなかった。


 さっきから、ひそひそと聞こえないように話しているのも、当然聞かれたくない話だからだろう。


 それくらいの空気はシリューにも読める。


 それに、女の子同士で盛り上がっている会話に割って入るほど、無粋でもないしその度胸もない。


 ただし二人の話題は、シリューが考えているような楽しいものではなかったが。


「……勇者様と同じ……異世界人……」


 ミリアムは溜息のように零したあと、ぼんやりとした目で、前を歩くシリューの背中を見つめた。


「おそらく、ね……」


 ミリアムの呆然とした横顔とシリューの後姿を交互に見比べて、ハーティアも同じように溜息をつく。


「ちょっと……ショックです……」


「そうね、私もよ……」


 ただ、そう考えた方が、納得のできる事は多い。


 それは二人の共通する意見だった。


「あの、ハーティア……」


「何?」


「後で……二人だけで話しませんか?」


「ええ……いいわ。そうしましょう」


 のろのろと亀のように歩く二人を、シリューが立ち止まって振り返り「どうした、置いてくぞ」と、笑いながら言った。


 ……。


 特に他意のない言葉の筈だった。


〝待って、待ってっ。置いていかないでっ〟


 だがミリアムは、永久に取り残されるような不安を感じ、ハーティアの手をがっしりと握りしめて駆け寄った。


「あれ? どうしたんだ?」


 自分を見つめるミリアムの瞳が、悲し気に揺らめいているように見えて、シリューはまた何か余計な事を言ったのかと、自分自身を訝しんだ。


「な……なんでも、ありません……」


「……そうか……?」


 何となく様子がおかしいのはシリューにも分かる。ただ、それ以上の追及をするほど、女の子の扱いになれてはいなかった。


「あの、シリューさん……」


「ん?」


 暫く間があったが、続く言葉をゆっくりと待つ。


「……シリューさんは……ここにいますよね?」


「急になんだよ。いるだろ? 目の前に」


 シリューはいつもの、涼し気な笑みで答えた。


「はい……そうですね……」


 肯定しながらもぷるぷると首を振ったのは、何か良くない考えでも振り払おうとしたのか。


 そう思ったシリューは、ぽんぽんっと優しくミリアムの頭を撫でて、何も言わずに踵を返した。


「さ、行くぞ。お客さんより遅れたら洒落にならないからな」


「は、はいっ」


 二人の姿を眺めていたハーティアの胸を、何かが通り過ぎてゆく。


 嫌な感情ではない。


 だがその何かの正体が分からず、ハーティアは首を傾げた。


◇◇◇◇◇


「趣があってなかなかいい家ね。もしかして買ったの?」


 クランハウスの一階、事務所を兼ねたリビングの絨毯を踏みしめ、ハーティアは部屋を見渡しながら尋ねた。


「いや、借りたんだよ。王都に長居するつもりもないし、今回の件が片付いたらまた旅に出ようと思ってるし」


 そうは言ってみたものの、オルタンシアとの一件がそう簡単に片付くとは、シリューも思ってはいなかった。


「あら? 暫くはゆっくりするのではなかったの?」


「いや……そうだな……そのつもり、だったわ……」


 いずれオルタンシアとはケリを付けるつもりではいた。


 だが、積極的にそれを望んでいる訳ではない。


 冒険者ギルドなり、王国なりが先に見つけて対処してくれれば、その方がシリューにとっては都合が良かった。


 災害級の魔物と闘うのはまだ我慢できるとしても、オルタンシアやノワールとは本音の部分ではやりあいたくなかった。


 根本的に、人と闘うのは好きになれない。


「迷い猫探しとかが、俺には向いてると思うんだけどなぁ……」


 壁に向けられたシリューの目は、その壁を通り越し、ずっと遠くを見つめていた。


「そう思っているのは、おそらく貴方一人でしょうね」


 くすり、と笑って、ハーティアは肩を竦める。


「へえ、お前でもそんな顔するんだ」


 いつも無表情で、事ある度に目を吊り上げて不機嫌そうな視線を投げてよこすハーティアが、何となく楽し気な笑みを浮かべた事に、無関心を装う猫が気まぐれに喉を鳴らして擦り寄って来るのを思い浮かべ、シリューは少しだけ癒される気分になった。


「貴方のせいよ。だから責任を取りなさい、シリュー・アスカ」


「いや、お前……誤解を生むような言い方は止めろ。マジで止めろ」


 シリューは廊下へ続くドアに目を向け、しっかりと閉じられていることにほっと胸を撫で下ろした。


 ミリアムはお茶を出す準備で、奥のキッチンにいる。


 さすがに今の会話は聞こえていないだろう。


 と、思ったのだが……。


 数分後、紅茶のセットを乗せたトレイを抱えてリビングに戻ってきたミリアムは、口元だけに冷たい微笑みをたたえ、シリューの目をひたすら見つめたまま、カップソーサーに溢れるのも構わず、なみなみと紅茶を注いだ。


「み、ミリアム……あの、零れてるんだけど……」


「はぁあ。ちゃんと、責任取って、全部飲んでくださいね。それとも、ポットごといきますか? 熱々で、喉、火傷するでしょうけど、ヒール使えるから気にしなくていいですよね?」


 どうやらしっかり聞こえていたらしい。しかも、一番聞かれたくない部分だけを。


 ソファーの向かいに座ったハーティアは、無表情で顔を背けている。


「いや、あの、俺って猫舌だから……」


「あら、そうなんですか?」


 ミリアムが大きく口を歪めた時、不穏な空気を打ち破るように玄関の扉をノックする音が響いた。


「こんにちは、エマよ。ウィリアム、ジェーン、いるかしら」


 シリューにはその声が、救いを与えてくれる天使のように思えた。


「あ、はあい。今開けまーす」


 す、っと、明らかに表情を変え、ミリアムはトコトコと玄関の扉へ向かった。


「女って……怖い……」


「そうよ、今頃気が付いたの? 馬鹿なのキッド」


 こちらも通常運転に戻っていた。


「ちょうどお茶の用意をしていたところです。さ、どうぞ入ってください」


「ええ、お邪魔するわね」


 エマに続いて入ってきたディックは、ひょいと軽く右手を上げた。


 三人掛けのソファーから立ち上がったハーティアは、ティーカップをずらして向かいに並んだ一人掛けのソファーに移動する


 ハーティアの隣のシリューが立ち上がろうとしたが、ミリアムは「シリューさんはそこで」と言ってそれを手で制した。


「どうぞ、掛けてください」


 シリューが手招きをしてディックとエマにソファーを勧め、ミリアムは新しいカップを並べて紅茶を注ぎ、執務机の椅子を引き寄せて座った。


「なかなか値の張りそうなクランハウスだな。さすがは『深藍の執行者』というところか……」


「え?」


 いきなり切り出しだディックの言葉に、シリューの肩がぴくりと跳ねる。


「いろいろと調べさせてもらったわ。まさか、あなたがあの『深藍の執行者』、シリュー・アスカだったとはね……」


「えっと……」


「何を驚いてる? 『深藍の執行者』の噂は王都にも聞こえてる。『断罪の白き翼』と共に、レグノスを救った英雄。災害級をたった一人で瞬殺した豪傑……だそうだぞ?」


「豪傑……」


「ああそうだ、山のような巨漢で鬼のような形相、藍い髪を振り乱し烈火の如く闘い、常に生肉を喰らって酒をあおる……ってのもあったな。どこにいるんだ?  そんな奴」


「「ぷぷっっ」」


 ミリアムとハーティアはたまらず吹き出してしまった。


「な、何ですかそれっ。に、人間じゃ、ないですよっ、ねっシリューさん」


 きゃはは、と笑いながら、なぜかミリアムがシリューに同意を求める。


「もう、どこかの、化け物ね、シリュー・アスカっ」


「変な、生き物っ、ですぅっ」


 ミリアムは椅子から身を乗り出してシリューの肩をぱんぱん叩き、ハーティアはお腹を抱えて蹲る。


「お前らな……」


 シリューはジトっとした半開きの目で、二人を交互にねめつけるが、ミリアムもハーティアも気に留めず一頻り笑続けた。


「それから、今レグノスの街では、子供たちが悪さをした時に『悪い子は深藍の執行者が裸にして連れて行くよ』と言って窘めるそうよ」


「「ぶふっ」」


 エマの言葉が火に油を注いだ。


「も、もう、だ、だめぇ……死んじゃうっ」


「く、くる、しい……」


 できるだけ、派手な行動は慎もう。


 笑い転げる二人を見て、シリューは冷静に心の中で誓った。


「楽しんでもらえて良かったわ。これで少しは意趣返しができたもの」


 エマはいたずらっぽく、にっこりと頷いて見せた。


 覚悟を決めてきたのだろう。エマの表情には、学院で見せたような不安な様子はもう浮かんでいない。


「……知ってるのなら、話しもし易いです」


「ああ。魔族と聞いた時には僕も驚いたがな。お前が深藍の執行者なら、碌でもない話でも……」


 ディックはわざとらしく言葉を切り、ほんの少し間を空けて続けた。


「……そこそこは楽しめそうだ」



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