【第191話】激白

「けっこう時間掛かりましたね? あ、どうぞ」


 シリューはテーブルの奥側の席に移り、少し疲れた顔でやってきたディックとエマに空いた席を勧めた。


「誰のせいだ、まったくっ」


 目を細めて横目にシリューを睨んだディックは、隣のテーブルに人がいないのを確認すると、そのテーブルの椅子を一脚掴み上げて、何も言わずに引き寄せた。


「ありがとう」


 エマは軽く頭を下げてディックの隣に椅子を並べて腰掛ける。


 二人の所作には、特別な事をしているといった雰囲気はなく、たださり気なくお互いへの気遣いが表れていた。


 その様子をじっと眺めていたミリアムは、ちらりとシリューに目を向け、諦めたように目を閉じぷるぷると首を振った。


“シリューさんは、ホントに優しいけど……“


 ただしそれには、危機的状況や非常時において、との条件が付く。


 ついさっきディックがエマにみせたような、日常の中での気遣いや心遣いをシリューに求めるのはたぶん無理な話だ。


 無い物ねだりをしてもはじまらない。


 それくらいの事はミリアムにも分かっているし、ミリアム自身がシリューの心遣いに気付いていないのかもしれない。


“椅子一つに、何拘ってるんだろ私……“


「はああ……」


 思わず落胆の声が漏れてしまう。


「どうしたミリアム? 気分でも悪いのか?」


「いいえ。悪いのは機嫌ですっ」


 ミリアムは口を真一文字に引き結び、拗ねたようにぷいっと横を向く。


「えっと、ミリアム……?」


「状況が分からんが……痴話げんかにまで付き合う気はないぞ?」


 二人の醸し出す不穏な空気を読んだディックは横目でシリューを見やり、ミリアムとハーティアには聞こえないくらいの声で吐き捨てた。


「ちょっ、何ですかそれっ。俺たちはただ、普通に話してるだけですよっ」


 掠れるように小さな声だったが、ディックは明らかな動揺を示すシリューを見てにやりと笑った。


「お前も取り乱す事があるんだな。まあ、それを見られただけでもここに来た甲斐があった。今度から笑いのネタにさせてもらう」


 ディックの隣で、エマも口元を抑え、ぷっと吹き出した。


「……何でもいいです……」


 シリューは眉根を寄せて、大きく息を吐いた。


 何となく、これ以上の反論は無意味だと悟ってしまったのだ。


「ええと……本題に入りましょうか?」


「ああ、碌な話じゃなさそうだがな」


「ええ、確実に後悔すると思います」


 シリューの言葉があまりにも冷淡に聞こえた為か、エマは一瞬怯えたように頬を引きつらせる。


 膝の上で堅く握られたエマの拳に気付き、ディックは左手で重ねるように、ぽんぽんっと優しく叩いた。


「お前と関わった時点で後悔しかないが、とりあえず聞いてやる」


 ディックは腕を組んで、挑むようにシリューをねめつける。


「じゃあ、単刀直入に。俺たちはオルタンシアという魔族と交戦状態にあります」


「ええええっ! ちょっ、シリューさんっっ!!」


「た、単刀直入すぎるわっっ。馬鹿なのシリュー・アスカっ!!!」


 驚いたのは、そこまで話すと聞いていなかったミリアムとハーティアだ。


 二人ともテーブルに手をつき、飛び掛かるような勢いで立ち上がった。


「いや……お前ら……名前……」


「「あ……」」


 ミリアムは両手で口元を押さえ、ハーティアは目も口も開いたまま固まった。


 だが、今更、である。


「魔族と、交戦状態……だと……?」


 ディックの表情には、今まで誰にも見せた事がない驚愕の色が滲んでいた。


「まって……まって、そんな……魔族なんて、そんな……」


 エマは顔色をなくし、震える手を胸に添える。


 二人の動揺は当然だった。


 魔族。


 多様な種族が集い、世界の破滅を目的とし、歴史の裏で暗躍する者たち。


 高い魔力と身体能力を持ち、個々が非常に優れた戦士であるのに加え、完璧に近い秘匿性を有した組織力は、三大王家と神教会、および冒険者ギルドをある意味では上回り、未だにその実態を掴ませてはいない。


 過去には、いくつもの騎士団やAランクの冒険者クランが魔族に挑み、その多くが壊滅的な被害をだしている。


 ましてや、いくら実戦経験のある、選ばれた優秀な人材でレギュレーターズとはいえ、個人が相手にできるような存在ではない。


「……正気とは、思えんな……」


 それがディックの素直な感想だった。


 単身で魔族と争うなど、正直頭がおかしいとしか思えない。


 仮にそれができる者がいるとすれば、それはエルレインに召喚された勇者ぐらいのものだろう。


「疑わないんですか? 俺が嘘をついて二人を騙そうとしてるのかもしれませんよ?」


「それこそ、何のメリットもないだろう。僕たちが逃げ出せば、それでこの話は終わりだからな。違うか?」


「察しが良くて助かります」


 シリューは、涼しげな微笑みを浮かべて首を横に振った。


「それで、お前はいったい何者なんだ……」


 椅子の背に深くもたれかかり、ディックはじっくりと観察するようにシリューを眺めた。


 勇者にしか使えない筈の光魔法を使い、無詠唱で同時に複数の魔法を行使する。


 勇者ではないと言ったが、実力は噂に聞くエルレインの勇者と同等だろう。


 ディックの関心ごとは、魔族よりもシリュー本人にあった。


「……俺は……」


「ちょっと待てっ」


 話を続けようとしたシリューを、ディックが慌てて止めた。


 授業を終えた学生たちが数人、カフェテリアへと入ってきたのを見つけたからだ。


「場所を変えよう。ここじゃ不味い」


「そうですね……じゃあ、住所を教えますから、夕方にでも俺たちのクランハウスに来てください」


「……ああ、わかった」


「あの……その話。私も聞かなきゃダメかしら……」


 ディックはある程度落ち着きを取り戻し納得の表情で頷いたが、エマは眉をハの字にしていやいやをする子どものように首を振った。


「諦めろエマ……僕も一緒だ」


 今にも泣き出しそうなエマの頭を、ディックはぽんぽんっと優しく撫でた。


「慰めにもならないだろうがな」


 エマはもう一度、そして今度はしっかりと首を振った。






 一旦ディックと別れたシリューたちは、職員に呼ばれて事務室に赴き、そこで今回の編入試験の結果を申し渡された。


 はじめから形だけの試験だった訳だから当然なのだが、結果は二人とも、


【極めて優秀。特に、ウィリアム・ヘンリー・ボニーについては、既に魔導師級である】


 これは、気を失っていた(シリューがショートスタンで気絶させたのが正解だが)試験官の評価で、他にもいろいろと詳しく書かれていたらしい。


 ディックとエマが、相当知恵を搾ってくれた事に対して、シリューは心の中で感謝するとともに、二人の苦労を思うと少しだけ気が咎めて、後できちんとお礼を言っておこうと思った。


「なあハーティア。学院長には会わなくていいのかな?」


 学院長で魔調研長官のタンストールは今回の依頼主でもある。


「さあ? いいんじゃないかしら」


 ハーティアの口振りは、何の気負いもなく、ただそれがごく普通の事だと言っているように聴こえた。


「いや、でも、依頼主だぞ……」


「それは大丈夫だと思うわ……と言うより、まず会えないわね。学院内でも魔調研でも、彼と遭遇した人は滅多にいないの」


「……遭遇って……」


「私も、入学式と卒業式、後は各種行事でしか見ていないわ」


 よく考えてみれば校長や学院長など、生徒からすればそんなものかもしれない。


 シリューにしても、高校の校長の顔を覚えているわけではないない。


「それでも、学院内で起こった事や生徒たちの事は、しっかり把握しているそうよ」


 滅多に遭遇できないが、しっかりとこちらの動きは把握している。


「まるで忍者……いや、幽霊だな」


 そいつ、ちゃんと仕事してるのか……。


 シリューは一瞬そんな考えが頭を過ったが、口には出さなかった。


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