【第187話】ジェーンVSエマ
訓練館は校舎から距離を空け、学院の敷地の外れに位置していた。
周りを強固な防護壁に囲まれ、訓練館自体も魔法防御に優れた結界を幾重にも施され、かなり大がかりな魔法を行使しても、その被害を外に出さない構造となっている。
重厚な扉を開けると、中は直径40m程の円形の空間が広がり、周りに結界で囲まれた観客席がある。
だが、今回は実技試験という事で、ギャラリーは一人もいない。
「では、これから実技試験を行う」
模擬試験のルールを説明する試験官は一人。今この訓練館にいるのは、その試験官と、立会のハーティア、そして対戦相手のリチャード・“ディック”・ブリューワー、エマ・オフェリアード。そしてシリューとミリアムの六人だけだった。
「お手柔らかにね、マーサ・ジェーン・カナリーさん」
エマが柔らかな笑顔で、ちょこんと頭を下げる。
「はい、こちらこそ、お手柔らかに、エマ・オフェリアードさん。よろしくお願いします」
ミリアムは手を体の前に添えて、丁寧にお辞儀をした。
「武器による攻撃、および道具の使用は禁止だ。魔法は無制限、ただし相手を殺す事はもちろん、重症を負わせるのも禁止」
「怪我はさせてもいいんですか?」
シリューは眉をひそめて、試験官を見つめた。
「君たちは既に実戦を経験している筈だ。どう加減するのかも評価の対象となる。それに私は治癒術士だ、致命傷でなければ治療できる。心配はいらない」
無機質な試験官の答えに、シリューは肩を竦めて頷く。
「どうした? 今更怖くなったのか」
ディックはにやりともせず、冷たい視線をシリューに投げた。
「ああ、そうだな……あんたを殺してしまいそうで怖いよ」
「なに?」
「聞こえなかったかな? あんたが死ななきゃいいんだけどな、って言ったんだよ」
ディックの目に怒りの色が浮かび、今にも掴みかからん勢いで一歩前へ出る。
受けて立つ、という態度でシリューも前へ出た。
「ディックっ、やめなさい。あなたが挑発に乗ってどうするのっ」
その腕を掴み、エマがディックを止める。
「キッドっ、調子に乗り過ぎですよっ」
ミリアムはシリューの腕を引き、戒める。
「ウィリアム・ヘンリー・ボニー、必要のない挑発は控えたまえ、失格とするぞ」
試験官もシリューを睨み、警告とばかりに手に持った羽ペンの先を向けた。
「はい……すみません」
シリューは憮然とした表情でディックを睨みながらも、ミリアムに促されて引きさがった。
「では、先ずマーサ・ジェーン・カナリーとエマ・オフェリアードの模擬戦を行う。両名は前へ、他の者は結界線の後へ下がりなさい」
ミリアムとエマが、訓練館の中心から10mずつ離れて引かれた白線上に立ち向かい合う。
シリューたちは、訓練館の端に設けられた防護結界の中へ移動する。
「いい感じで挑発できたわキッド、ジェーンの演技もなかかなだったし」
「こういうのはさ、悪党相手だけにしたいよ……」
「堂に入っていたように見えたけれど?」
「……それは、まあ、いろいろとね……」
ハーティアとシリューは、すれ違いざまに他の誰にも聞こえない声で囁く。
「では、始めたまえ!」
試験官の号令と共に、ミリアムとエマが構え呪文の詠唱に入る。
「闘志の炎、十六夜の空に飛散せよ。フレアバレット!」
「降り注げ水流、我が力の連動に跪け。ウォーターバレット!」
エマの撃った三発の炎を、ミリアムの水の弾丸三発が正確に撃ち落とす。
同時にミリアムは左へと駆ける。
「氷結せし霊槍の穂先よ、不動なる敵を貫け。アイスランサー!」
ミリアムの放つ氷の槍がエマへと飛翔する。数は五つ。
そしてエマも左へ。
「うつり行く近傍の風、大いなる力を解き放ち、重なり合う高速の波面となり、抗う者を退ける標べを示せ、イムブルスス・ヴァルナー!!」
風の上位魔法、圧力を持った衝撃波が氷の槍を粉々に砕く。
「あいつ……魔力がかなり上がってるな……」
シリューがミリアムの魔法を目にして、独り言のように呟いた。
以前は水の中級魔法、アイスランサーを同時発射できるのは三発だった筈だ。
「やっぱり、際どい戦いを経験したから、かな……?」
それでも、ミリアムとエマの闘いは一進一退。どちらも互角のように見える。
「なかなかやるわね。元
エマは脚を止め、掌をミリアムに向けてかざす。
「波状する無数の火種よ、霧中へと
ミリアムの走る先へ赤黒い爆轟の塊が飛び、行く手を遮る。
「んっ」
滑り込むように身体を落とし、ミリアムがその手前で止まる。
「静寂を貫く
爆発寸前まで膨張した爆轟塊が、凍気によって凍り付き霧散する。
「なっ!? 上位魔法の
魔力にかなりの差がなければ、そんな事ができる筈がない。
そう思った一瞬が、エマの隙を生んだ。
「あまねく聖浄なる福音、清らかな天の鐘を鳴らし、この穢れし大地に安らかな光をもたらし賜え、
浄化の魔法は本来、人には無害で攻撃力もないが、それでもエマを包む眩しい光は、彼女の目を眩ませるには十分だった。
「くっ、何を!?」
ミリアムは全速でエマに向かい駆け抜ける。
「闇を打ち払い大地を照らす静かなる月の華、禁忌へと戯れし悪意をその荘厳なる光を以て縫い留めよ、
邪悪なる者を拘束する三日月。もちろん人に対してはそれほどの効果はないが、ほんの僅かな時間、その動きを止める事はできる。
そして、ミリアムにとっては、その一瞬で事足りた。
三日月の光に捉われ、膝をついたエマの正面に立ち、ミリアムは指先を彼女の額に向けた。
「あ……」
「勝負あり、ですね?」
首をちょこんと傾けて微笑むミリアムを見上げ、エマは大きな溜息を零した。
「ええ、そうね……見事だったわ。完敗よジェーンさん」
エマとミリアムの勝負は、ミリアムの勝利で終わった。
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