【第186話】常識?
視線を上げたハーティアが、その声の主を見て口元を手で押さえる。
シリューが振り向くと、碧い髪の男が鋭い目つきで睨んでいた。
「お前がウィリアム・ヘンリー・ボニーか?」
身体は華奢で、一見すると女性のようにも見える綺麗な顔だが、その整った切れ長の目には、静かな闘志が燃え、人を制する迫力と圧が感じられる。
「そうです、あなたは?」
シリューは立ち上がってその男に相対した。
背格好はシリューとほぼ変わらない。
「僕はリチャート・ブリューワー。お前の対戦相手だ」
「え……」
〝ちょっと、マジかよっ〟
不味い相手に聞かれた、と思ったが後の祭りだ。
「肉片も残らず、一瞬で消滅するか、なかなか笑わせてくれるな」
「いえ、あの……」
笑えると言うが、リチャードの口元は少しも笑ってはいない。
「二年の編入試験の相手など、退屈なだけだと思っていたけどな。今回は少し違うようだ」
「えっと……」
リチャードを包む空気が、一気に温度を下げ、今にも凍り付きそうなほど肌を刺す。
「やめておきなさいディック、彼らも悪気があった訳ではないわ」
〝ディック〟と、リチャードを愛称で呼んだのは、同じ三年生のエマ・オフェリアードだった。
透明感のあるミルクティーベージュのブロンドに、薄いグレーの瞳。全体的に引き締まった顔は、いかにも優等生といった感じだ。
「あなた方も、大勢のいる場所でのお喋りは、もう少し周りに気を配りなさい。争い事の元になるわ」
柔らかな物腰で、エマはシリューたちを見渡した。
「はい、すみません。軽率でした」
ハーティアは立ち上がり、背筋をぴんと伸ばしてお辞儀をする。
ミリアムもハーティアに倣って頭を下げた。
「分かってくれたらいいのよ、ノエミ。そちらのお二人も、試験頑張ってね。では、私たちはこれで失礼するわ」
「おい、エマ。まだ話の途中……」
「いいから」
抗議するディックの腕を取り、エマはぐいぐいと引きずるように去っていった。
「リチャート・ブリューワー……まさか貴方の対戦相手があの“ディック”だったとは、厄介な人に目を付けられたわねキッド」
「うん、それなんだけどなハーティア。俺には全く思い当たる事がないんだけど、どうしてだと思う?」
シリューは半開きのジトっとした目で、ハーティアを見つめた。
「それは、大変ね」
「うん、大変だよな……」
「随分、怒らせちゃったみたいですねぇ。やれやれです」
「ああ、やれやれだよな……」
ミリアムが、去ってい行くディックとエマを眺めて肩を竦める。
「でも、怒らせたものは仕方がないわ」
「はい、仕方がありませんね」
ハーティアとミリアムの二人は、こくこくと頷いて顔を見合わせた。
「……」
シリューは、まるで他人事の二人を交互に見比べた。
「な、何かしらキッドっ」
「こ、怖いですよキッドっ、何か言ってくださいっ」
ハーティアは笑顔を引き攣らせ、ミリアムの顔からは、さぁっと血の気が引いてゆく。
「誰のせいだっけ?」
子供を諭すように、シリューはぽつりと呟いた。
「……わ、悪かったと、思っているわ……」
「はい、ごめんなさい……」
「まったく……」
シリューは俯く二人に眉をひそめ、椅子に腰を下ろした。
「で、厄介って、何が厄介なんだ? あの人」
二人に座って食事を続けるようにと促したシリューが、ふと先程のハーティアの言葉を思い出して尋ねた。
「性格、よ」
「え?」
「性格。彼はこの学院トップの成績でレギュレーターズでも群を抜いた存在よ。魔法だけでなく剣の達人でもあるのだけれど、性格に……その……」
ハーティアは口ごもって辺りをきょろきょろと見渡す。
「ハーティアが嫌がるくらいなのか……性格破綻者じゃないかそれ……」
肩を竦めたシリューが、溜息を零しながらリチャードたちの出ていったドアに目を向けた。
「なぜ私基準なのか、聞いてもいいかしら?」
「ああ、キッドとおんなじですねぇ」
「いやまて。お前今さらっと毒吐いたなジェーン」
「それは貴方もよキッド」
暫く無言で見つめ合う三人。
「私は……今回は別に毒は吐いていないわよ? そうでしょう?」
口を開いたハーティアに、シリューは値踏みするかのように視線を這わせる。
「まあ、そうだな……」
「分かってくれたならいいわ、キッド」
ハーティアは、紅茶のカップを優雅な所作で口へと運んだ。
〝無駄に上品だよな、こいつ……〟
そう思ったが、口には出さなかった。
「でも、絶対本気でくるんじゃないですかねぇ、リチャードさん」
ミリアムが顎に人差し指を添えて、ちょこんっと首を傾ける。
「それな……向こうが手を抜いてくれれば、こっちも適当に合わせられるんだけど、本気でこられると……ちょっと、なぁ……」
随分魔法にも慣れてきたとはいえ、シリューはまだ完全にコントロールできている訳ではない。
魔物に対してでさえ過剰な威力なのに、それを人に対して使いたいとは思わないし、ただの模擬戦で使う訳にはいかない。
〝相手の命を奪わずに、動きを止める方法……〟
「あ、そうか。
「模擬戦の趣旨を理解しているのかしら? 何、殴るって。駄目に決まっているでしょうそんなこと、バカなのキッド」
「キッドって、頭は良いのに基本アホの子ですよね」
ハーティアはテーブルの向かい側から、ミリアムは隣から、あからさまに呆れた顔で、ジトっとした視線をシリューに向けた
「性格に問題ってさ……絶対お前たちの事だよね……」
結局、たいした対策案の出ないまま昼休みも終了間近となり、三人は実技試験の行われる訓練館へと向かった。
「キッド。ここはもう中途半端はしない方がいいわ、思いっきりやりなさい」
校舎を抜け訓練館の見える渡り廊下で、先導するハーティアが意を決したように振り向いた。
「いや、肉片も血の一滴も残らないって言ったの、お前だよね。ってか、ここで俺に人を殺す覚悟を決めろって言うのか?」
シリューは眉根を寄せて、明らかな不快感を示した。
「そうではないわ、誤解しないで。いい? 貴方の魔法は過剰な威力だけれど、同時に極めて正確な命中精度をもっているわ。でしょう?」
ハーティアが、人差し指をぴんっと立てて、返事を促す。
「ああ、まあそうだけど……」
「それなら、高威力の魔法を、それこそ雨のように降らせて圧倒するの。
言葉に合わせて、ハーティアは突き立てた指先を、ぴぴぴ、と小刻みに振った。
「はあ、なるほどっ。一瞬で圧倒的な実力の差を見せつけて、二度と立ち直れないように、自尊心とか根こそぎ刈り取っちゃおう、ってわけですね♪」
「そうね、そんなところかしら」
「お前ら……容赦ないな……」
屈託のない笑顔を浮かべるミリアムと、戸惑う事もなく答えるハーティアの二人に、シリューは何故か寒気を覚えた。
だが……。
「容赦ないのは、キッドですよ? 私、身をもって経験してますから」
「よく分かるわ、私も体験済よ」
逆に、二人から生気のない目を向けられてしまった。
「え、えっと……」
思い当る事は幾つかある。
ミリアムやハーティアを助ける為とはいえ、シリューが使った力は、この世界の常識を覆すものだ。
シリューは腕を組んで暫く難しい顔で考えこんだあと、ふっと顔を上げてミリアムとハーティアを交互に見据えた。
「うん……そうだな。ギャラリーがいる訳じゃないだろうし、その方が後々絡まれずに済むかも……」
噂が広まり、正体がバレる事も考えられるが、リチャードはプライドも相当高そうだった。自分の敗北を、自分から話す事はないだろう。
ただ、あまり積極的にはやりたいわけではないが。
「じゃあ、それでいきましょう、キッドっ」
「それが一番無難だと思うわ」
さらりっ、と言ってのける二人を見て、そういう感覚も、やはりこの世界の常識なのだろうか、とシリューは思った。
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