【第185話】守るもの、捨てるもの

 紅茶のカップを口に運びながら、ハーティアが丁寧に説明を始める。


 王立魔導学院。


 ここに入学できるのは、毎年それぞれの国や魔道士団、騎士団等から選ばれた二百人のみ。


 一年生は三十人のクラスが七クラス。


 だが、二年生に上がれるのは約八割の百七十人弱。ここで四十人程度がふるいにかけられ、一クラス二十四人前後で七クラス。


 その残った百七十人も更に厳しい選別を受け、三年生になり無事卒業を迎える事ができるのは百人程度。つまり、二人に一人は、学年ごとの選別か途中退学で姿を消す事になる。


 その、厳しい選別に残った二年生、三年生の生徒たちの中でも、特に成績優秀な七名ずつに『レギュレーターズ』の称号が与えられる。


 レギュレーターズは、学生でありながら魔調研の補助研究員になれるのはもとより、学院の施設・設備の利用にも優遇措置が与えられるかわりに、学院の執り行う行事や調査に協力する事を求められる。


 もちろん、ハーティアも二年生のレギュレーターズの一人だ。


「誰なのか、までは私にも分からないけれど、おそらく模擬戦の相手は三年生でしょうね」


「模擬戦、か……」


 シリューは、溜息交じりにぽつりと零した。


 模擬戦とはいえ、人と闘うのはあまり乗り気がしない。


「私、頑張りますっ」


 逆にミリアムは気合十分らしい。


「そうね、レギュレーターズに認められれば、研究室にも入りやすいから思いっきりやってジェーン」


「はいっ」


 ミリアムは、両手の拳を胸の前でぎゅっと握りしめた。


「俺はできれば、やりたくないなぁ……」


 なぜ学生の転入試験に、実戦形式の戦闘を取り入れるのか、シリューには理解できなかった。


「実力を判断するのに、一番確実な方法だと思うわ。そもそも貴方戦闘は得意でしょう? なぜそんなに嫌がるのかしら」


 それこそ、ハーティアにとっては大きな疑問だった。


 オルデラオクトナリアを瞬殺し、二十体の魔物の群れを瞬く間に殲滅した、常識を遥かに超えた魔法と身体能力。


 おそらく、実力は勇者と引けを取らないだろう。


 マナッサでのドラウグルワイバーンとの戦いで、ハーティアはそう感じていた。


「キッドは人と闘うのが苦手なんです」


 押し黙ったシリューの代わりに答えたのはミリアムだった。


「人と……? でも、闇切りのノワールとも互角に戦っていたでしょう?」


「互角じゃありませんよ?」


 ミリアムは眉根を寄せて、ちらりと隣のシリューに目をやった。


「……どういう事?」


 剣術や体術には詳しくないハーティアには、ミリアムの言っている意味が分からなかった。


 ノワールとの一騎打ちの時、ハーティアの目に二人の動きは捉える事ができなかったのだ。


「殺せないんです。殺せないから、手を抜いちゃうんです……自分が、死ぬかもしれないのに……」


 ミリアムは大きな溜息を零した。


「殺せない……冒険者なのに? 本当に、自分が死ぬわよ? ああ、そうか、だから……あの時大怪我して血まみれになったのね」


 ノワールの糸に両肩を切り裂かれたシリューは、あの時かなりの出血で、ハーティアからは致命傷にも見えた。


 ただ、だからといって手を抜いているようには見えなかった。


「もういいだろ、終わった事な……」


「よくないわ」


「よくないです」


 シリューの言葉を遮るように、ミリアムとハーティアの声が重なった。


「あの時、ドラウグルワイバーンやオルデラオクトナリアを倒した魔法を使っていれば、あんな怪我、しないで済んだはずですっ」


「そうね、使える魔力が残っているなら、迷わず使うべきだわ」

 ミリアムがピンと指を立ててシリューをねめつけ、ハーティアは出来の悪い子を諭すような視線を向けた。


「そんなっ……簡単に言うなよ……」


 シリューは眉をひそめて顔を逸らした。まさか、女の子二人から迷わず殺せ、と言われるとは思ってもみなかった。


 自分の考えや覚悟がこの世界では通用しない事は、十分に理解しているつもりだった。


「私は前にも言いましたよ?」



〝私は、優先すべき命を選択します。時には守るべき誰かの命を、そして時には私自身の命を〟



「優先するべき命を選択する……か」


 シリューは以前ミリアムから聞いた言葉を、復唱のようにぽつりと呟いた。


「ええ、そして、切り捨てる命も」


「そうね、それが正しいわ」


 言われている事は分かる。分かるがどうしてもシリューには納得ができない。


 そんなシリューの葛藤に気付いたのか、ハーティアが穏やかな表情で優しく語り始める。


「よく考えてキッド。貴方の力は、望むものを守れる。身近な人、大切な人、それから貴方が守りたいと思った全ての人を。でも、貴方の甘えは、その守るべき人をいつか殺す」


 シリューは、はっとなりハーティアを睨む。


「怖い顔ね……でも、これは本当の事。もしあの時、貴方がノワールに負けていたら、あそこにいた皆は、どうなっていたと思う?」


 あの時……。


 仮にシリューがノワールに負けていたら。


 シリューという足止めがいなくなったノワールは、『疾風の烈剣』に襲い掛かっていただろう。そして、戦力を分断された烈剣はオルデラオクトナリアに蹂躙され、残ったキャラバンの客たちも、おそらく一人も助からなかった筈だ。


 そして、その中には、当然……


「あ……」


 シリューはその思いに至らなかった自分に激しく動揺して、真っ青になった顔で俯いた。


 そう、あの時自分が死んでいれば、ミリアムは生きていない。もちろんハーティアも今目の前にいないだろう。


 膝に置いた手が震え、動悸が異常にはやまり心臓が締め付けられる。


「少なくとも……私は感謝しているわ……キッド」


 もちろん、ハーティアの心の中には、それとは別の感情もあるのは確かだったが。


「私もですよキッド……これも、何回も言いましたけどね」


 ミリアムはにこにこと笑った。


「守るべきもの……と、捨てるべきもの、か……」


「誰かを守りたいと思ったら、誰かの命を奪う事も……時には、必要です」


 シリューの心臓に、一瞬刺すような痛みが走る。


「んっ……」


 だが、耐えられないほどではない。


 シリューはミリアムに悟られないよう、コップに入ったフルーツジュースを一気にあおった。


 そう、それは最初から分かっていた事だ。


 だから、パティーユはシリューを刺した。


 この世界と、この世界の人々を守る事との引き換えに、シリューの命を切り捨てた。


 それがこの世界における厳格なルールなのだろう。


 子供には優しいミリアムが、野盗や悪人にはまるで情けをかけないのも、そのルールの中で生きているからだ。この世界の、エターナエル神教会の神官は、全ての人を救うわけではない。


「今すぐでなくてもいいわ。貴方の生まれた国、育った環境。こことは随分価値観も違うのでしょうから、馴染むのにも時間がかかるのは分かるわ。でも、覚悟は決めなさいキッド」


 ハーティアは真っすぐにシリューを見つめて言った。


「覚悟……か……」


 まさか模擬戦の話から、こんな話になるとは思いもしなかったが、確かに、ミリアムとハーティアの言い分は正しいのだろう。


 だが……。


「……考えるよ……」


 今はそれしか言えなかった。


「ただしキッド、模擬戦はしっかり手を抜きなさい」


 一転してハーティアは、少しおどけたようにシリューを指差した。


「いいのか、それで? 実力を判断するんだろ?」


 言っている事がさっきと違う気がして、シリューは眉をひそめる。


「これは、分かってませんね」


「そうね、分かっていないわね」


「何の話だよ」


 なぜか、ミリアムとハーティアの距離が縮まっているように見えるのは、シリューの気のせいではないだろう。


「貴方が本気を出したら、対戦相手は肉片も血の一滴も残らないわ」


「一瞬で消滅しちゃいますよ?」


 ハーティアが大袈裟な仕草で掌を見せ、肩を竦める。


 ミリアムは腕を組み、うんうんと頷いている。


「ほう、大層な自信だな?」


 不意に、シリューの背後から男の声が響いた。


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