【第180話】笑えなかった……
笑ってやろう。
とにかく盛大に笑ってやろう。
シリューはついさっきまでそう思っていた。
さあ、どんな間抜けな姿を見せてくれるんだ、と。
「うっ……」
だが、そんな思いとは裏腹に、シリューは思わず息を呑み込む。
ペンダントを首に掛けたミリアムの髪が、星を散りばめたようにきらきらと輝く金色に染まり、ブラウンに変わったアーモンドの瞳は、部屋の様子までをもくっきりと映し出す。
「か、可愛い……ってか……綺麗……」
ほとんど無意識のまま、シリューは魅入られるようにミリアムを見つめた。
「えっ、あ、あのっ、あのっ」
ミリアムも気付いてはいる。シリューがけっして褒めようと思って言った訳ではないという事に。
「……なんか、もういいや……」
「え……?」
何となくなげやりなシリューの言い方が気になって、ミリアムは少し不安げに眉尻を下げる。
シリューは肩を竦めて、大きく溜息をついた。
「どうやって揶揄ってやろうかなと思ってたけど、いいや。ちゃんと似合ってるし、可愛いし、なんか得した気分だわ」
「みゅっっ」
胸を揺さぶる衝撃に、ミリアムはびくんっと背筋を伸ばし、その勢いで二つのメロンが大きく跳ねる。
〝え、ちょ、ちょっと? どうしちゃったのシリューさんっ!!〟
勿論いつもの事で、シリューに他意はない。
だが、ミリアムにとって、これはもう言葉の凶器だ。
「だ、ダメ、ダメっ、壊れちゃう……私、壊れちゃうっ、んっ」
ソファーに腰掛けたまま、ミリアムは両頬を掌で覆い、いやいやをするように肩を左右に振った。心の声がだだ漏れしている事には、気付いていないらしい。
「うん、ミリアム、なんかそれ……いろいろヤバいから……」
特にばいんばいんっ、な揺れ方が。とはシリューは口にしなかった。
「おおー、これがワイアットの言っておった、『げき甘いちゃらぶ寸劇』か♪ うむうむ、若いとはいいものじゃのう」
「はい、ご主人様とミリちゃんは、いつもこんな感じなの」
「え?」
「ふぇ!?」
エリアスは腕を組み、うんうんと頷きながら満足げに笑った。
〝なんだよ『げき甘いちゃらぶ寸劇』って! アホかあのおっさんっ、何報告してんだよっっ〟
「い、いちゃ……いちゃっ……ら、ら、らららっ」
頭から湯気が上りそうなほど真っ赤になったミリアムが、壊れたおもちゃのようにカクカク首を振る。
「落ち着けミリアム。首がもげるぞ」
「あ、は、あ、んっ……」
ミリアムの目は、焦点が合っていない。
「あのおっさん、今度会ったら、二人でどっかに埋めよう。そうだ、その上に記念植樹をするのもいいな。あんなおっさんでも、植物の栄養にはなるだろう。そして春には花が咲いて、秋には果実が実るんだ、俺は食いたくないけどな」
そう語るシリューの目も、どこか遠い中空を見つめていた。
「私も食べたくないです。でもでもシリューさんの意見には賛成ですっ」
「うむうむ、好きにしていいのじゃ♪」
エリアスは意外にノリが軽かった。
「結局さ……何が目的だったか、よく分かんなかったな……」
エリアスへの報告を終えたシリューとミリアムは、冒険者ギルドを出る前に着替えを済ませ、早速別人としての行動を開始した。
「そ、そうですねぇ」
ただの報告の筈が、途中から変な方向に進んでしまった。
「ま、いっか。魔族の件はエリアスさんに任せて、俺たちは人造魔石とオルタンシアに集中しよう」
「はい。あ、それとっ、学院生活も楽しんじゃいましょう、ね」
ミリアムはちょこんと首を傾けて、両手の拳を胸の前で握った。
商店の並ぶ石畳の道を、のんびりと散策する二人の姿は、たとえ知人が見ても、シリューとミリアムだとは気付かないだろう。
シリューはグレージュのチェスターコートに、明るい水色のパーカーと白のスラックスパンツの組み合わせ。
ミリアムはレイヤードしたような白のベルトシャツと、ブラウンのニットミニスカート。
ごく普通のカップル、といういで立ちだった。
「ああ……そんで、できるだけ戦闘は避けたい、かな……」
その言い方にはいつものような力がなく、どこか弱々しさを感じさせるものだった。
「シリューさん? あの、やっぱり具合悪いんですか?」
ミリアムが、そんなシリューの様子を見逃す筈がない。
「ん、っと……」
話すかどうか迷ったシリューだったが、ミリアムにじぃっと見つめられると、ついつい隠し事ができなくなってしまう。もうこれは条件反射に近い。
「ごめん、実は旧市街に入ると、なんか空気が重たく感じて、息苦しいんだ。それにちょっと倦怠感もあるかな……」
「それって……最初に発作が出てから、ずっとですか? 他に、気になる症状はありますか? 痛みはどうですか?」
ミリアムは真剣な表情で、しっかりと一つ一つ確認するように尋ねた。
それは神官として、また治癒術士としての仕事の顔。
僅かに幼さの残る瞳が、今は凛々しく輝ている。
〝こんな表情もするんだな〟
なんとなく、お姉さんっぽい。
「うん、まあ、痛みはないかな、今のところ」
「ちゃぁんと、遠慮しないで話すんですよ? 我慢しちゃダメ」
向き合ったミリアムは、左手を腰に当てて躰を傾け、右の人差し指を顔の横にぴんっと立てた。
「一緒にいて、一緒に考えて、治していきましょう、ね?」
「あ、うん……なんか、ありがとう」
「お礼なんかいりませんよ、私がそうしたいだけですからっ」
シリューの素直な感謝の言葉にも、ミリアムはぷるぷると首を振って笑った。だがその笑顔もすぐに消え、再び真剣な表情に戻る。
ミリアムはドラウグルワイバーンとの戦いの後、シリューが荒野の中でったった一人倒れていた事を思い浮かべていた。
「マナッサみたいに……あんな事になったら、私……」
そして、きっ、とシリューをねめつける。
「わ、私……?」
ミリアムの静かな圧力が、シリューを呑み込む。
「泣きますっ」
久しぶりに聞いた、ミリアムのキメ台詞。
「お前が本気で心配してくれてるのは、分かってるし、正直うれしい……ただ……」
シリューには、一つ気にかかる事があった。
「学院も旧市街だしさ、もし何かあったら俺に構わず逃げろよ」
最悪なのは、オルタンシアやノワールとの戦闘中に発作が出た場合だ。
特に、オルタンシアの前に、ミリアム一人を立たせるわけにはいかない。
「私、逃げませんよ? ん、違いますね、私、シリューさんを置いて逃げませんよ」
ミリアムはくりっと見開いたアーモンドの瞳で、子供を諭すように微笑む。
「だめだ、相手はオルタンシアだ。金の仮面の男だぞ」
シリューの頭の中で、ミリアムの泣き顔の記憶が蘇る。
両手首を切断されて、それでも気丈に振舞おうとしたミリアムが、堪えきれず堰を切ったように泣きじゃくったあの時。
もう二度と、あんな涙は見たくない、と思った。
そんなシリューの心を読んだのか、ミリアムはそっと、そして息がかかるくらいに顔を近づける。
「平気よ……その為の、装備、でしょ」
囁くようなミリアムの吐息が、シリューの耳をくすぐる。
「え、あ、や……ま、まあ、そうだけど……」
ほんのりと赤くなったシリューの顔に気付いたミリアムは、翻すように躰を離して、どこか得意げな眼差しを向けた。
「それに、闘うとは言ってません。一緒に逃げますっ。拒否は認めませーん」
ミリアムの体力なら、シリューを抱えても、逃げるくらいはできるかもしれない。
それに、これ以上は言っても無駄だろう。
シリューは、諦めたように肩を竦めて頷く。
「分かった、その時は、頼む」
「はいっ、頼まれましたっ♪」
ミリアムが、やたらと自信満々な顔で腕を組み、ぐいっと胸を張った。
「そのドヤ顔、なんかウザい……」
「ん? 何か言いました?」
明らかに聞こえている筈のミリアムは、わざとらしく耳に手を添える。
「いや、別に……」
最近、ミリアムの何気ない仕草が妙に眩しく映り、今のようなあざとい行為にも、どきっとさせられる事が増えたような気がしてならない。
〝美亜の事を話した、あの夜からかな……〟
今更ながら、自分の心の変化に戸惑うシリューだった。
「シリューさん、これからすぐクランハウスに行きますか?」
「え、ああ、そうだな、どうしよう……」
クランハウスへの入居は今日からだが、準備する物はもうすでに買い揃えてガイアストレージに収納してある。
「それならぁ、市場に行ってみませんか?」
「市場?」
市場は第三城壁(現存する城壁)南門を入ってすぐの東に位置する。
少し歩く事になるが、散歩がてらにはちょうどいいかもしれない。
「はい、食材を買いたいんです」
「食材か……そうだな、行ってみるか」
「やったぁ♪ ありがとうございますっ」
ミリアムは菜の花のように鮮やかな笑顔を浮かべた。
「シリューさんっ、何が食べたいですか?」
「え? えっと……な……」
いきなり聞かれても、なかなか思い浮かぶものではない。
〝なんでもいいよ〟
と、言いかけて、シリューは慌てて口をつぐむ。
それは、女子に言ってはいけない言葉だ。
と、美亜から散々諭された経験があった。
「そうだな、肉料理? なんかがっつりいけるヤツがいいな。って俺こっちの料理ってよくわかんなくて……」
「大丈夫ですよ、がっつり系の肉料理、ですね! 任せてください!」
両手の拳を胸の横でぐっと握るポーズに合わせて、ミリアムの胸がばいんっと弾む。
「あ、あとそれから『キッド』な」
大事な事を忘れるところだったが、二人ともすでに変装中だ。
「そ、そうでした……で、私はジェーンでしたね」
シリューは辺りに目をやったが、こちらに気を止める者はいない。もちろん、今朝からは監視する者も、もういなかった。
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