【第167話】 声

「へえぇ、ここは城壁の外にも街があるのか」


 シリューは、街道の両脇に広がる雑多な街を見渡して、ほっと溜息を漏らした。


 橋を渡ってしばらくは、ぽつりぽつりとまばらに点在していた家々が徐々に数を増してゆく。といっても、建物と建物との間には十分なスペースがあり、息苦しさを感じさせるほどではない。


 地方都市の郊外にある、古い住宅地。元の世界を思い起こさせる風景に、シリューはそんな印象を抱いた。


 ただ、そののどかな風景も、城壁に近づくにつれかなり雑然となり、密集した建物の間の路地には、汚れたボロを纏った人々も目に付くようになる。レグノスやエルレイン王都ではほとんど見かけなかった情景に、シリューは思わず眉を顰める。


「気にしても仕方がないわ。どこにでも、裕福な人もいれば、貧しい人もいる」


「神教会の支援も、完全ではないんです……」


 シリューの表情があまり芳しくなかったのだろう、ハーティアもミリアムも、どこか気遣うように声を掛けた。


「いや、まあ、気にしてるわけじゃあ……。でも、なんで城壁の外に住んでるんだろ……」


「王都の城壁は、元々今の三分の一ぐらいだったらしいわ」


 初めに城壁が築かれたのが約八百年前。それから時代が進むにつれ人々が集まり、古い城壁を壊して外側に新しい城壁を作った、それがおよそ五百年前。それから更に人口が増え続け、現在の城壁ができて百五十年。今や、溢れかえる人の群れを城壁で囲み守るのは現実的ではなく、アルフォロメイ王家は王都を防衛するため積極的に冒険者や騎士団を使い、近郊の魔物を発見とほぼ同時に殲滅させる方針を取っていた。


「だから、冒険者ギルドの本部もここに置かれているわ」


 一通りの解説をした後、ハーティアが城門から続く人の列に並び、自分のギルドカードを取り出した。


「討伐の依頼も沢山ありそうですね」


「そうね、貴方たちならすぐに昇級できると思うわ」


「受けないけどな」


 シリューは二人の言葉をきっぱりと否定した。


「え? な、なんでですか?」


 ミリアムは大きな瞳をさらに大きく見開いて、意外過ぎる発言をしたシリューを見つめる。


 もちろんハーティアも、非常識なシリューの言葉に訝し気な表情を浮かべる。


 地位や名声、報酬と成功を求めるのが冒険者だ。ランクを上げたがらない、その理由が二人には分からなかった。


「面倒くさい、痛いし汚れるし。それに、俺は都会派だって言ったろ? じめじめした森とか山とか嫌いなんだよ」


「え……?」


 ハーティアは目がテンになり硬直する。


「いえ、聞きましたけど……今更、ですか……?」


 まさにミリアムの言う通り、今更だ。


「い、いいだろっ、ちょっとゆっくりしてもっ」


 シリューは不貞腐れたように、ぷいっと顔を背ける。


「ゆっくり、ですか……」


 頬に指を添えて首を傾げるミリアムは、知り合ってからのシリューの行動を思い返してみる。


 野盗団との対決に魔人化したランドルフとの死闘。ワイバーンと激闘を繰り広げた空、オルデラオクトナリアからハーティアを守り、闇切りのノワールと相打つ荒野。それから、勇者と共にドラウグルワイバーンと闘ったマナッサ。


 どれも、普通の冒険者ならもう何度も死んでいるレベルの戦闘だった。


「そうですねぇ、猫ちゃん探しでもして、ちょっとゆっくりもいいですね」


 ミリアムは慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。


「まあ、貴方たちがいいならかまわないけれど……」


 二十分程で列がさばけ、シリューたちはギルドカードを提示し城門を潜り、目の前にあったコラルに馬を預けた。


 城壁内の街並みは外と打って変わって整然と広がり、街を行き交う人々もゆったりとしていてゆとりを感じさせる。


 街の作りはレグノスと大差ないが、規模は明らかに王都の方が大きく、四倍から五倍といったところだろうか。


 冒険者ギルド本部に向かうため、シリューたちは城門だけが残る第二城壁を越え、街路樹とささやかな植え込みの傍に、石造りのベンチの置かれている通りをさらに中心地へと進む。


「何で城門だけのこしたんだろ?」


「さあ、記録は残っていないそうよ」


 そんなとりとめのない会話を交わしながら、第一城壁の跡地に残る記念碑を通り過ぎた時。


「ん?」


 唐突に街の喧騒が掻き消え、シリューの視界を闇が覆う。


”……待って……いた……漸く……この……時……が”


「う、ぐ……がはっ……」


 心を凍り付かせるような声の直後に激しい痛みが心臓を襲い、シリューは耐えられずその場に蹲る。


「シリューさんっ!?」


「大丈夫!? シリュー・アスカ」


「ご主人様っ」


 激痛に息を詰まらせ遠のく意識の中、他の誰にも聞こえないその声がシリューの頭に響く。


”……お前は……我に……な……る……我は、お前……に……”


「だ、誰だっ……お前なんか、知らないっ……近寄る、な……」


 シリューは見えない何かに脅えるように、闇雲に手を振り上げる。瞳孔の開き切った目は、何も見えてはいない。


「シリューさんっ! 大丈夫ですっ! 私が、私が傍にいます!!」


「がぁぁっ……ううっっ」


 胸を押さえて蹲るシリューを、ミリアムは人目もはばからずに抱きしめる。


「シリュー・アスカ!」


 何故そうしようと思ったのか分からない。だがハーティアは迷うことなく、ミリアムの反対側から同じように強くシリューを抱きしめた。


「ご主人様、しっかりして、なのっ」


 姿を現したヒスイが、不安げな表情で見つめる。


 道行く人々も何事かと顔を向けるが、近づいて声を掛ける者はいない。


 それから、十分ほどそうしていただろうか。


 やがてシリューの呼吸も落ち着き、瞳にも光が戻る。


「平気ですか? シリューさん」


 優しく語り掛けるミリアムの声が、春の日差しのようにシリューの心の闇を溶かす。


「あ、ああ……ご、めんミリアム……」


「本当に大丈夫? シリュー・アスカ。少し休んだほうがいいわ、もう急ぐ必要もないから。立てる?」


 ハーティアは、こくり、と力なく頷いたシリューを支え、ゆっくりと立たせた。


「ハーティア……ありがとう……ヒスイも、ね」


 両脇をミリアムとハーティアに支えられながら、シリューは植え込みの傍のベンチに腰を下ろした。


「シリューさん、遠慮せずに横になってください」


 シリューから少し離れて座ったミリアムが、シリューの頭に手を添え自分の膝へと優しく誘う。


「ごめん、そうさせてもらう……」


 少し恥ずかしかったが今はその言葉に甘え、シリューはゆっくりとミリアムの太ももに頭を預け目を閉じた。


「シリューさん、何が起こったのか……話してくれますか?」


 十分ほどたっただろうか。


 真っ青だったシリューの頬に僅かながら赤みが差し、すっかり息も整ってきた。


 ミリアムはシリューの髪をそっと撫でながら、遠慮がちに尋ねた。


 こんな街中で、ごく普通に歩いていただけにもかかわらずまたあの発作が起こった事に、ミリアムは胸騒ぎにも似た不安を覚えたのだ。


「……よく、わからない……いきなり心臓に痛みを感じて、目の前が真っ暗になって……」


 頭の中に響いてきた声の事は口にしなかった。はっきりと聞き取れたわけではなかったし、痛みによるただの幻聴だったのかもしれないからだ。


 だが、痛みの他にはっきりと感じたものがある。


 まるで、自分自身の存在がブレるような違和感。ブレる、というよりも、心が二つに引き裂かれるような感覚。


 そして、聞き覚えのある冷たい声。


「あれは……」


 聞き覚えがあるはずだ、あれはマイクを通した時の……。


「……俺の……声……?」


 いったいアレが何を意味するのか、それとも本当にただの幻聴だったのか、今のシリューには判断できなかった。


「シリューさん?」


「あ、ああ、もう大丈夫だよ……ありがとうミリアム……」


「そ、そうですかっ、よかった……えへへ」


 ミリアムは少しだけ頬を桜色に染め、にっこりと笑って頷いた。


「それじゃあ、冒険者ギルドへ向かうけど、いいかしら?」


「ああ、悪かったな」


 ハーティアは、特に気にした様子もなく無表情に首を振る。


「ああ、そうそう……」


 数歩先を歩くハーティアが、不意に立ち止まり振り返った。


「今度発作が出たら、私がしてあげるわ……膝枕」


「え……?」


 意外な言葉に、シリューは一瞬対処に迷う。


「冗談よシリュー・アスカ。いやらしいわね」


 ハーティアの瞳がいたずらっぽく光る。


「相変わらず、オチの見えない冗談だな」


「ヒスイも頑張るのですっ、膝枕っ」


 何故か対抗心を燃やすヒスイだが、膝はおろか全身でも枕になりそうにない。


「うん、ヒスイ。それ潰れるから、気持ちだけ、ね」

 



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