【第158話】ほほ笑むミリアム?

 実際、かなり際どいところだった。気付くのが遅れていたら、そして白の装備がなかったら。身体は超強化されているとしても、空気のない場所ではいくらも持ち堪えられないうえ、普通の装備では肉の圧力に耐えられなかっただろう。


「まさか、こんな形でガイアストレージに助けられるとはね……」


 星の保管庫ガイアストレージ

 生きているもの以外を収納可能で、有機物については時間経過がなく無機物については自動修復がかかる。それ以外にも、全身の装備をタイムラグゼロで入れ替えるオプション機能、〈換装〉があり、数量および質量に制限はない。


「どんな原理なのかわからないけど、魔力で仮想の空間を構築する通常の収納魔法マジックボックスとは違うよな……。もしかして、連続するユークリッド空間から切り離された別時空への転送? それとも、物理量が離散的な値をとる量子化の世界への変換?」


 どちらにしてもガイアストレージに収納することで、狙い通り魔石を体外へ放出するのと同じ効果を得られた。


「まあ、難しい事はどうでもいいか、上手くいったのは確かだし……」


 シリューは胸の前に掲げた右の掌に、人造魔石の欠片を取り出した。


 薄く弱い黒の光を放つそれは、ちょうど野球ボールの3分の2ほどの大きさだった。


「それが人造魔石……? 思ってたよりな……」


 直斗が、シリューの掌に乗るその欠片へ手を伸ばす。


「触らない方がいいよ、まだ魔力が残ってるからね」


 非常に高い防御力を誇る白の装備は、魔力や瘴気の影響も最小限に抑える。


 直斗はびくっと肩を揺らし、慌てて伸ばした手を引っ込めた。


「どうするんだ、それ」


「一応、王都の魔道学院で調べてもらう予定なんだけど……うおっ」


 不意に左腕を掴まれ、かなりの力で引っ張られたシリューは踏みとどまれずによろめいた。


 強引に腕を引いたのは、上目遣いにシリューをねめつけるミリアムだった。


「あの、ちょっとお嬢さんっ」


「お嬢さんじゃないですっ、もう!」


 思い詰めたように眉根を寄せたミリアムの瞳には、うるうると涙が滲んでいる。


「え、っと……もしかして怒ってるの、かな……?」


 ぐいっとシリューの腕を引き、ミリアムは耳元に口を寄せ掠れるような声で囁く。


「私、言いましたよね? もっと自分を労わってって」


「ああ、そうだね、うん……。でも、なぜ? 特に無茶な事はしていない、と思うんだけど……」


 シリューには、ミリアムの怒る理由が思い当たらなかった。


「ドラウグルワイバーンの中に、完全に取り込まれちゃったじゃないですかっ。普通誰だってあんな……あんなの……」


 ミリアムは溢れんばかりの涙を必死に押さえながら、うわずる声を詰まらせる。


「ああ……」


 確かに、直斗でさえそう思ったのだ、周りからはシリューが死んだように見えたのかもしれない。


「ごめん、次からは……なるべく気を付け……」


「なるべくっ?」


 ミリアムは更に厳しい目をシリューに向ける。


「いや、あの、次はちゃんと気を付けます、はい……」


 有無を言わさぬミリアムの迫力に、シリューは周りに悟られないよう頭を下げた。


「……約束、ですよ……」


 ミリアムはシリューの顔を見つめ、少しだけ戸惑うようにそっと腕を離す。


「ところで、猫耳の可愛いお嬢さん」


「えっ? なに、私?」


 ミリアムの後に立ち、二人のむず痒くなるような様子を内心どきどきしながら窺っていたハーティアは、いきなりかけられたシリューの甘い声に思わずたじろぐ。


「レグノスで預かった例のモノを出してもらえるかな?」


 左手を差し出すシリューを、ハーティアは訝しげに見つめた。


「……白き翼さん、だったかしら? なぜあなたがその事を?」


 本当の事を知る者は限られている筈で、実際、護衛のエクストルたちでさえ詳しい事情は知らされていなかった。


「……そういえば、貴方は当事者だったわね、シリュー・アスカ?」


 周りに聞こえないほどの声で、ハーティアが囁く。


 穏やかな声音とは裏腹に、その表情には僅かな敵意が刻まれていた。


「どうやってその事を? ワイアットのおっさん、口が滑ったのかな?」


 今度ハンタースパイダーの毒でも送り付けてやろう、とシリューは心に誓った。


 勿論それは濡れ衣なのだが。


「ミリアムさんが喋ったとは思わないのかしら?」


「思わないね」


 シリューはきっぱりと答えた。


「まあ、姑息な誘導尋問に引っ掛かったのなら別だけど?」


 二人の間に、目に見えない緊張の糸が張り詰め、重い沈黙が支配する。


 どちらも心を許してはいない。


「冗談よ。私は使用された魔法から個人の魔力を判別できるの。だから、顔を隠しても無駄」


 どうぞ、とハーティアが差し出した20cm四方の箱を、シリューは左手で受け取り目の前に掲げた。


「残念だけれど、何重にも封印魔法が掛けられているから、開けるには複雑な術式が……」


 カチャリ、と金属の擦れる音がして、シリューの左掌の上で厳めしい箱の蓋が開いた。


「なっ」


 ハーティアは驚愕の表情を浮かべてシリューを見つめる。


「ちょっと待って、どういう事っ!?」


 封印を解除するには、精密な魔力制御と正確な手順を踏んで、数階層にもわたる術式を一つ一つ解いていく必要がある。


 その作業は、たとえ術式を完全に把握していたとしても、通常十数分を要する。


 そして当然、ハーティアにもその術式は知らされていなかった。


「……術式を、知っていたの……」


「いや? 君が持っているのは知ってたけどね」


 シリューはどうという事もない、といった声音で平然と答える。


 勿論、術式などシリューに理解できるはずはない。以前カルヴァート伯爵の城へ潜入した時と同じく、【解析】により封印の術式を解読し解除しただけだ。


「ふ、ふざけないでっ、じゃあいったいどうやってっ……」


 ハーティアが思わず声を荒げたのは、腹立たしいはずのシリューの言葉に、何故だか納得してしまった自分が許せなかったからだ。


 そのハーティアの肩を、ミリアムが優しく宥めるように叩く。


「な、なに?」


「そういう人なんです……まともに考えると、いろいろ壊れちゃいます」


 ミリアムは目を閉じて、ハーティアの耳元に口を寄せそっと囁いた。


「こ、壊れる……?」


 ミリアムの少し寂しそうな顔とシリューの銀の仮面を交互に見比べ、ハーティアは大きなため息を零す。


「そうね……所詮、同じ人間ではないものね」


「ん? 何か言ったかい、猫耳のお嬢さん」


「いいえ、気のせいよブランシェールさん。では、それを預かればいいのね」


 シリューは軽く頷き、ドラウグルワイバーンから引き剥がした魔石の欠片を封印の箱へ納めた。


「えっ、ちょっとっ。その娘に持たせるのか!?」


 二人のやり取りを見ていた直斗が、驚いたように目を見開く。


「大丈夫」


 シリューは直斗に向けて指を立て、ハーティアに向き直って続けた。


「何があっても僕が必ず守る。だから、心配はいらないよ猫耳のお嬢さん」


「え……?」


 ハーティアは、歯の浮くような台詞に一瞬気を取られ、すぐに顔をしかめる。


本来なら不快なはずの気障ったらしいシリューの言い方に、何故かどきりと胸が弾んでしまい、ハーティアは屈辱的な思いと同時に不思議な安心感を抱いたのだ。


”シリュー・アスカのくせに!”


 心の中でそう罵しることで、平常心を取り戻そうと試みるハーティアの頬はほんのりと赤く染まっていた。


「いや、なんか、見た目通りキザだな……うん、さすが異世界……」


「ホント……リアルで聞くと、なんか、すごい、っていうか、ヤバい?」


 直斗と有希が、目の前で繰り広げられるリアルなドラマを、呆けたように眺めて呟いた。


「いるんだねぇ、乙女ゲームみたいな人……」


 ほのかは、ほぅっと吐息を零す。


「それに近い人、わたし知ってます……」


 遠い目をして、それでいて懐かしむような表情を浮かべ恵梨香は呟いた。


「あ、あたしも」


「私も、知ってる……」


 有希とほのかが、恵梨香の言葉に、感慨を込めて頷く。


「ああ、ソレな……」


 四人の頭に浮かんだのは……。


「し……アリゾナ、さん……」


 まるで地獄から響く身も凍るような声に、シリューは恐る恐る振り返る。


「あ、え?」


 半目を開き首を傾け、唇の端を妖艶に吊り上げたミリアムが、真っ黒なオーラを全身に纏わせ見つめていた。


「ちょっ、え? お、お嬢、さん?」


「所かまわず、誰彼かまわず、誑し込むのは、どうかと思いますよ? ねぇ、そう思いません?」


 薄笑みを浮かべたミリアムの瞳は、当然ながら笑ってはいない。


「はい……そう思います……」


 シリューに反論の権利はなかった。




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