【第152話】交差

「じゃあ、後はよろしく頼む。いろいろと世話になりっぱなしで申し訳ない。この借りはいずれきっと返すよ」


 マナッサの街の入り口で馬車を降りたシリューたちに、エクストルが深々と頭を下げた。


「いえ。前にも言ったけど、俺が勝手にやった事ですから、あんまり気にしないでください」


 涼し気に笑うシリューの隣に立ち、顔も向けずにハーティアが言い放つ。


「欲が無さすぎるわシリュー・アスカ。神にでもなったつもり?」


「相変わらず、意味不明の辛辣さだな。何度も言うけど原因はお前だからな? 猫耳オレンジ」


 ハーティアの眉がぴくんっ、と動く。


「いや、打ち解けたようで安心したよ。普段ハーティアはここまで饒舌じゃないからな」


「打ち解けた? 饒舌……これが?」


 エクストルの言葉に、シリューは眉をひそめ首を捻る。


「冗談に決まっているでしょう、本当にバカね」


 ハーティアはジトっとした半開きの目で、シリューをねめつける。


「ははは、それじゃあ王都で会おう。ハーティア、シリュー、神官さん。旅の無事を祈ってるよ」


「ええ、エクストルさんも気を付けて」


 エクストルは笑顔で頷き、さっと馬に跨り片手を挙げた後、キャラバンの車列に戻っていった。


「腹も減ったし、なんか食べてくか?」


 振り向いて問いかけるシリューの声は、言葉こそ少なかったが、ふんわりと包み込む風のようにミリアムの心を吹き抜ける。


「そうですね♪」


 おそらく、ハーティアに対する態度の反動なのだろうが、出会った頃は自分も随分とぞんざいな扱いをされた。


 ミリアムはほんの2カ月前の事を思い返し、口元に指を添えてくすりと笑った。


「どうした?」


 シリューは不思議そうに首を傾げるが、眉をひそめたその表情に、今はもうあの頃のような刺々しさはない。


 あれから、何度も助けられて、そして……。


「……あれ? ちょっと待って。それって、私と同じパターン?」


「え? 何が?」


 聞き返すシリューを、ミリアムは上目遣いにキッっとねめつける。


「だ、ダメですからねっ、ぜったい!!」


「いや、だから何が?」


「内緒ですっっ」


 笑ったり怒ったり、ころころと表情を変えるミリアムの態度に、シリューは訳が分からず肩を竦めた。


 それから、シリューとミリアムとハーティアの三人は、屋台のサンドイッチで軽い昼食を済ませ、指定された宿へ向かった。


 偶然だが、ハーティアも同じ宿だったらしく、あからさまに嫌そうな顔をしながら、離れた位置をついて歩いた。


「とりあえず、夕食の時に明日の打合せをするわ」


 チェックインを先に済ませたハーティアは、そう言って部屋に案内されていった。


 そして……。


「ええと……なんだ、これ?」


 部屋へ案内されたシリューは、思いもよらぬ事態に呆然として立ち尽くしてしまう。


「えっ、あっ、ええっ?」


 アーモンドの瞳を大きく見開いて硬直するミリアムは、シリューの後で魚のように口をぱくぱくしている。


 ワイアットが予約してくれていたこの宿は、マナッサでも上級クラスらしく、各部屋に風呂とトイレが完備されていた。


 部屋はそれほど広くはないが、奥の窓際にソファーとローテーブルが置いてあり使い勝手は良さそうだ。


 ただし、問題は……。


「なんで、一緒の部屋……?」


「……シリューさんっ、あのっ……あのっ」


 ミリアムがソファーの手前に鎮座する物体に気付き、ぷるぷる震える手で指さす。


“ 宿はとっておいた、なかなか綺麗な所だし飯も美味い。嬢ちゃんにも気に入ってもらえるはずだ ”


 出発前にワイアットはそう言って笑っていた。


「あのおっさん……」


 おそらく、ワイアットに悪気はなかったのだろう、いやそれとも悪戯なのだろうか。


「どうすんだ、これ」


 部屋に置かれたベッドはたった一つ。


“ もちろん代金も支払ってある。なあに、俺からのせめてもの礼だ、気にするな ”


 しかもクイーンサイズだった。


「いや気にするわっ!!」


 一つのテントに寝る事でさえ、まだまだ抵抗のある二人にとって、これはあまりにもハードルが高い。


 シリューのポケットから飛び出したヒスイが、何故か目をきらきらと輝かせる。


「ご主人様、これならミリちゃんと一緒に寝ても、激しく動いても大丈夫なの、です」


「ちょっ、ヒスイ!?」


「はわわわわわ」


 ヒスイの純粋なまでの一言は、シリューとミリアムにとってトドメの一撃となり、茹蛸状態で思考停止に陥った二人が、落ち着きを取り戻して再起動するのに、およそ20分を要した。


 因みに、満室であったため、追加で部屋の確保はできなかった。


「とりあえず、買い物に行くけど、お前はどうする?」


 キャラバンとは別行動になったため、馬車は使えない。


 道中が基本徒歩での移動となれば、倍以上の日程になるだろう。


 日用品も補充したいし、食材も種類を増やしたい。グロムレパードの肉はまだまだ大量に残っているが、肉料理だけだと飽きてしまう。といっても、料理はミリアムに任せっきりなのだが。


「私は……残っていいですか? あの、えっと、お風呂に……」


 ミリアムは太ももを擦り合わせ、もじもじと身を捩る。少し気にしすぎだとは思うが、シリューがあれこれと言っても逆効果な気がした。


“ そういえば、美亜もそんなところ、あったな…… ”


 ふと、そんな想いが頭を過ぎる。


「あ、そっか、うん、分かった」


「ヒスイもミリちゃんとお留守番するの、です」


「じゃあ、一人で行ってくる。夕飯までには戻るよ」






「あ、くっ……」


 街の中央を貫く大通りから脇に逸れた路地で、ハーティアは建物の外壁に背をつき、短く喘いだ。


 レグノスを出てからは思いのほか調子が良かったため、一人で買い物に行こうと部屋を出る際に、薬を飲むのを忘れてしまっていた。


「そう、ね……治るはずが……ないもの」


 激しい痛みに顔を歪め、ハーティアはポケットから取り出した丸薬を一つ、水もなしに飲み込む。


 幸いこの路地に人通りはなく、痛みに呻く姿を誰かに見られる心配はなかった。


「イライラする、わね……」


 昨日の戦闘で、シリューに救われてからずっと。


 ひたすら押さえつけていた願いが、止めようもなく溢れてくる。


 眠っていた筈の感情が、どうしようもなく零れ出す。


 心の奥底に沈んでいた本音が叫ぶ。


“ 生きたい ”と。


「シリュー・アスカ……」


 それは憎しみなのか、怒りなのか。


 ハーティアにも判別がつかず、だからこそ行動を共にする事を選んだ。


 ただ、それを選んだ明確な理由は、ハーティアにも分かっていなかった。


 やがて薬が効き始め、痛みが徐々に軽くなってゆく。


 まだ歩き出す事はできないが、ゆっくりを顔を上げたハーティアの視界に、珍しいものが入ってきた。


「カスモリプス? 王家の馬車……?」






 高さ1mほどの簡素な柵を抜け、2頭のカスモリプスに引かれた大型の白い馬車は、大通りをゆっくりと進んでゆく。


「小さいけど、割と賑やかな街だな」


 馬車の窓から見えるマナッサの街並みを眺め、直斗が独り言のように呟いた。

 

 ポーチのある木造建築が立ち並び、埃の中を馬車と人が行き交うさまは、古い映画の中に入り込んだ錯覚に陥る。


「じいちゃんが昔見てたよ、こんな感じの映画」


 有希は物珍しそうに、左右の窓を交互に見渡した。


「エルレインとも、ソレスとも違う雰囲気ですね」


「なんか埃っぽいねぇ」


 恵梨香とほのかも、お互いの感想に頷きあう。


「王宮の造りも随分ちがいますし、土地柄なのかもしれませんね」


 そう言ったパティーユもアルフォロメイの地方に出向くのは初めてで、エルレインとの違いを楽しんでいた。


「でも、やっぱり目立ってますね……」


 道行く人々もすれ違う馬車も、希少なカスモリプスと、大型の白い馬車に好奇と羨望の眼差しを向ける。


 向かいの席で直斗がレースのカーテンを引こうとするのを、パティーユは首を振って止めた。


「そのままにしておきましょう。隠すよりも、堂々と無関心を装っていた方が良いと思います」


 この世界で貴族自体は珍しいわけではない。


 それに、相手が貴族だと分かれば、不躾に凝視する者もいないだろう。


「わかりました、堂々と、ですね」


「はい」


 そうして、パティーユが何気なく窓の外に目を向けたその時。


「え?」


 道の端を歩く、その少年と目が合った。






 食材を買い終えたシリューは、大通りの端を雑貨屋を探して歩いていた。


 新鮮な野菜と果物の他に、魚の干物が手に入ったのは僥倖だった。できれば生の魚も欲しかったが、殆どの店が旅人向けとあって、保存の効かない生ものは売っていなかった。


「あとは……ああ、馬用の飼葉がいるよな。それと、石鹸もあった方がいいな」


 シリューは思いついた物を指折り数える。


「マジックポーションは……こんな小さな街じゃ売ってないかな?」


 怪我ならシリューの治癒魔法で治せるが、もしもの時、ミリアムとハーティアの魔力切れを防ぐ手立てが欲しいところだ。ただ、高価なマジックポーションを扱っている店が、この街にあるかどうかだ。


「それから、うん、テントだ」


 三人になる以上、テント一つは不味い。絶対。


 そんな事を考えている時、ふと向けた視線の先に、巨大なトカゲに引かれる白い馬車が見えた。


「あれって、たしか……なんとかプス?」


 名前は忘れたが、エルレインの王城でも見かけた事がある。


「アルフォロメイにもいるのか……希少だから王族ぐらいしか使役できないって話だったな……」


 一体どんな人が乗ってるんだろう。


 それは単なる好奇心だった。


 シリューが目を向けた馬車の窓。外を眺める碧い髪の女性。


 その女性とシリューの視線は交差するラインを巡る。


 それは偶然か、それとも運命の悪戯か。


「パティ!?」


 二人の視線がぶつかった。

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