第六章 終わらない旅の始まり
【第124話】プロローグ~動き出す運命~
「お疲れ様でした、ハーティア様。これで検査は全て終わりです。詳しい結果と治療方法については2日後に」
診療室の机に広げられた検診表に目を通し、ブラウンの髪で壮年にしてはまだ若々しいその医師は、向かいに座った小柄な少女へ穏やかな笑みを向けた。
「ええ……」
ハーティアと呼ばれた少女は、あまり身だしなみに気を使う事も無いのか、プラチナブロンドの髪は無造作に乱れ、右目を覆い隠している。ただ、その美しいはずの髪色に艶気が失われているのは、身だしなみだけの問題ではなかった。
「それで……どれくらい生きられるのかしら……」
俯き加減のまま、少しつり気味で琥珀色の瞳を医師へと向ける。抑揚のない声とその表情からは感情を読み取ることができなかったが、ハーティアの髪から覗く猫科の耳は先ほどから忙しなく小刻みに動き、医師の答える言葉を一つも聞き漏らすまいとしているように見えた。
「ハーティア様、まだ死……」
「待って」
医師が何を言おうとしているのかを悟り、ハーティアが手を挙げて制した。
「気休めも、ありもしない希望も残酷なだけ……私はただ事実が知りたいのニーリクス先生」
ハーティアはもう何度もその幻想に打ちひしがれてきたのだろう、ニーリクスを見据えるその瞳には何かを求めようとする光は灯されてはいなかった。
事実、その治療において第一人者と呼ばれるニーリクスにも、ほとんど手の施しようが無いほどに、ハーティアの症状は進み過ぎていた。どんなに長くても彼女が来年、17歳の誕生日を迎える事はできないだろう。
「それでも……私は治療をお勧めしますハーティア・ノエミ・ポードレール様。貴方は誇り高きポードレールの一族です、聡明なご判断を期待します」
ハーティアは感情の籠らない目で、人形のように笑った。
「……落ちぶれた一族だけれどね……」
そう言って立ち上がったハーティアは、診療室のドアへ向かう途中でふと振り返る。
「でもそうね……私は、生きたい……」
ニーリクスには、その言葉が彼女の本音なのかどうか判別がつかなかった。それほどまでに、ハーティアの言葉には重さが感じられなかった。
そしてそれは、彼女自身の心にも疑問を投げかけるものだった。
「生きたい……?」
そう願っていたのは本当の事だ、だがそれが決して叶うことのない幻想だと知った。そしていつからか願いも望みも捨てた。そうしないと心が壊れてしまいそうだった。
それとも、もう壊れてしまったのだろうか。
「私は……楽になりたい……」
診療室を出て自分の病室へ戻る廊下で、ハーティアはそっと立ち止まり窓から見える景色に目を向ける。
碧く深く、そして静かに広がる空。
風にいざなわれ、ゆっくりと流れてゆく白い雲。
いつまでも変わることのない、永遠。
全てに意味を見出せなくなった今でも、それは変わらずにハーティアの心を引き付ける。
「どうかしましたか?」
不意に聞こえた声に、ハーティアは我に返り振り向く。
「え? 何?」
黒い法衣を着たピンクの髪の少女が、心なしか心配そうな表情で立っていた。
「気分が悪いなら、病室までご一緒しましょうか?」
声をかけたのはミリアムだった。
リジェネレーションで再生された手の診察を受けるため、治療院を訪れていた彼女は、診察室に向かう途中、廊下の隅で佇むハーティアに気付いた。
「いいえ、大丈夫よ。でも、ありがとう」
ハーティアは軽く頭を下げすぐに立ち去ろうとしたが、首を傾げてじっと見つめるミリアムの視線に、思わず縫いとめられてしまった。
「何か?」
「あの……ひょっとして、どこかでお会いしました?」
特徴的なプラチナブロンドの髪に猫科の獣耳、明らかにエルフと獣人のハイブリッドの少女に、ミリアムは何故だか懐かしい気持ちが溢れるのを覚えた。
「いいえ? たぶん初対面だと思うけれど。貴方のように派手な人なら、一度会ったら忘れないと思うわ」
「は、派手っ?」
抑揚のない少女の言葉に、ミリアムは思わず自分の胸を見下ろした。
「胸じゃなくて、髪の色よ」
「あ、ああっ、そうですよねっ、ははは」
勘違いに気付きなんとなく気恥ずかしくなったミリアムが、慌てた様子で自分の髪を撫でる。ぴんっと背筋を伸ばした動きに合わせて、その健康的に実った双丘が弾む。
ハーティアは、目の前で遭遇した驚異的な出来事に一瞬目を見開き、自分とミリアムのそれを交互に見比べてしまった。
……普通……。
「普通よ、特に小さいわけではないわ……」
病気のせいで痩せてきてはいる、だがエルフの血が入っているおかげか、やつれてしまうような事はなかった。そう、ちゃんとある。
「私はこれで失礼するわ、声を掛けてくれてありがとう」
「あ、いえ、変なこと言ってごめんなさい」
「よくある事だわ、気にしないで」
そう言って歩き去る少女の後ろ姿を見送り、ミリアムはもう一度首を傾げた。
「……ホントに……どこかで会ってないかなぁ……」
廊下の角を曲がったハーティアも、実は同じ思いを抱いていた。言われた時には分からなかったし、初対面なのは確かだ。それなのに、なぜかよく知っているように思えてならない。
「前世で会った……? まさかね……」
あまりにも馬鹿げた自分の答えに、ハーティアはどれくらい振りの微笑を浮かべた。
エルレイン王国。
王宮に用意された自分専用の執務室で、パティーユはエマーシュとともにソレス王国から派遣された、交渉役の高級官僚を迎えていた。
「それで……ソレス王家は何と……?」
パティーユは弓月の眉を僅かにつり上げ、机の向かいに立つソレスの交渉官に尋ねた。
「はい……正当な、報酬を支払うように、と……我が国にはその権利があります」
パティーユは隣に佇むエマーシュを見上げる。
「正当な報酬とは?」
「おそらく、討伐した災害級の素材の事だと思われますが……」
「ああ、なるほど、そういう事ですか」
これには、ある取決めが定められていた。
三大王家であるビクトリアス皇国にはエターナエル神教の総本山、アルフォロメイ王国に冒険者ギルドの本部がそれぞれ置かれ、エルレイン王国が勇者召喚と直接的な勇者のサポートにあたる。三大王国のほかに幾つかの同盟国があり、ともに勇者の活動資金を捻出している。大規模な災害級に勇者が対応した場合、残った素材の3割は勇者に支払われ、7割は発生したその国の物となる。これは、復興資金に充てるための措置だが、非同盟国であるソレス王国の場合、勇者に5割、ソレスに5割となる。
今回のソレス遠征では、素材は一切残らず灰となってしまったため、誰もその恩恵に与ることができなかった。(勿論、ソレスから勇者にはかなりの額の報酬が支払われるのだが)
ようするにソレスは、今回の直斗の行動を暗に批判しているのだ。
パティーユは納得したように深く頷く。そしてやにわに顔を上げ、花が開くような満開の笑顔を浮かべた。
「素材が欲しいのなら、あの戦闘の跡地の土くれを好きなだけかき集めなさい、とお伝え下さい」
ソレスにしても分かっているはずだ。あそこで直斗があの技を使わなければ、ソレス王国自体が滅んでいたであろうことに。
「は?」
交渉官は思わぬパティーユの言葉に、意味を測りかねていた。
「聞こえませんでしたか? 欲しければ、散らばった灰でも集めなさいと言ったのです。それで納得ができないのであれば、次は大幅に遅れて行く事になりますね」
つまり、二度と貴国を助けない、と言外に、だがはっきりと宣告したのだ。
「そ、それは……」
明らかに狼狽を見せる相手に、パティーユはもう一度笑顔を向ける。
「話はこれで終わりです。どうかご一考くださいますように」
ソレスの交渉官は、青ざめた顔で執務室を退出していった。
「よろしかったのですか殿下、同盟国でないにしろ、ソレスからはかなりの量の穀物を輸入していますが……」
エマーシュが交渉官の出て行ったドアを眺めながら尋ねた。
「外交については兄上たちに任せましょう」
パティーユはちょこんと首を傾げ、目を細めてほほ笑んだ。
エルレイン王国では現在、病弱な王に代わって軍事関係を第一王子が、政治及び経済を第二王子が纏め上げていた。両名とも相当に優秀な人物で、だからこそ、最も魔力の高いパティーユが大災厄の対処を任されているのだった。
「殿下も随分と強かになられましたね」
「それは、誉め言葉だと受け取っておきますね」
「ええ、私も胸がすっとしました」
二人は顔を見合わせて笑った。
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