【第117話】代償
ミリアムは再生された自分の両手を何度も開いては閉じ、それが夢ではない事を確認するように顔を覆った。
「あっ、ああ……」
感激と、歓喜と、安心と、言い尽くせない程の感謝。いろんなものが心に溢れ、ミリアムは言葉に詰まる。だが、はっと我に返り慌ててシリューを仰ぎ見た。
「シリューさんっ」
禁忌のリジェネレーションを使ってただで済む筈がない、喜んでばかりはいられない。
「シリューさんっ、大丈夫ですか!?」
ミリアムの心配をよそに、シリューはいつものように涼し気な笑みでそこに立っていた。
「言ったろ、死ぬわけないって」
顔色も悪くないし苦しそうにもしていない、どうやら生命力を使い果たさずにすんだようだ。
ミリアムはほっとすると同時に、そんな自分の心の動きを恥じた。シリューは命の危険を冒してくれたのに、そのシリューを心配するより先に、手の再生を喜んでしまった。
「なんで……こんな危険な事を……私、あんな……」
ミリアムは宿の部屋で、シリューに言い放った言葉を思い返し俯いた。
「どうして、……私なんかのために……こんな、こんな、命をかけるようなまねを……」
あの時のような感情は湧き上がって来ない。ミリアムは、身勝手で都合の良い自分の心が酷く醜く思えて、たまらなく情けなかった。
「なんか、とか言うな」
シリューの返事は、僅かに怒気を帯びていた。
「え?」
ミリアムは顔を上げシリューを見つめる。
「お前、な・ん・か、じゃない」
照れたように目を逸らした、シリューの頬が少しだけ赤く染まる。
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……」
聞きたかった答えとは違っていたが、シリューの言葉の裏にある意味とその優しさに、ミリアムは何度も何度も頭を下げた。
「なあ、そこは、ごめんなさい、じゃないだろ?」
「あ……」
そう言われて、ようやくミリアムは気付いた。この状況を、失われた手が再生された事を、誰よりも喜んでくれているのは、ほかならぬシリューなのだと。
「ありがとうございます……ありがとう、シリューさん」
「どういたしまして。さ、街まで送るよ、ほら……」
笑って差し伸べられたシリューの右手に、ミリアムはそっと自分の右手を伸ばした。
が。
シリューの手は、ゆっくりと外側にずれ、ミリアムの手とすれ違ってゆく。
「え? シリューさん?」
すれ違った手に続いて、シリューの身体が糸の切れた繰り人形のように、力なく崩れ落ちた。
「シリューさんっ!? シリューさんっっ!!」
ミリアムの叫び声も、シリューには何処か遠くで響いているように聞こえた。
【警告。生命力が著しく低下しています。生命活動を維持出来ません】
【警告。生命力が著しく低下しています。生命活動を維持出来ません】
【警告。生命力が著しく低下しています。生命活動を……】
【警告。生命力が……】
【警告……】
【警……】
「ああ、そうか……やっぱり。でも、まあ……うん、まあ、いいか……」
霞む視界と薄れてゆく意識の中、鳴り響くセクレタリーインターフェイスの警告も徐々に遠くなってゆく。
もう、どうする事も出来ないだろう。
たとえそれが運命であったとしても、目の前の少女の役にはたったのだ、なんの後悔もあるはずがない。意識を闇に溶け込ませながら、それでいい、とシリューは思った。
「シリューさんしっかりして!! ダメっ目を開けてっ、死なないでっ、死なないでぇぇぇ!!!」
ミリアムはシリューを抱き起し何度も揺さぶる。だがシリューが目を開ける様子のないのを見て取ると、そっと仰向けに寝かせ魔力を集中させる。
「美麗なる清き祝福の息吹よ、聖なる輝きを……」
「待って、治癒魔法じゃダメなのっ」
上空に潜んでいたヒスイが姿を現し、呪文の詠唱をはじめたミリアムを止めた。
「でも、ヒスイちゃんっ、このままじゃシリューさんがっっ」
「聞いてミリちゃん、ご主人様は今のリジェネレーションで、生命力が枯渇してるの。お願いなの、ミリちゃんご主人様を助けて」
「だからっ、魔法で……」
ヒスイは再び呪文を詠唱しようとするミリアムの顔の前で、大きくかぶりを振った。
「違うのっ、ミリちゃん。魔力を生命力に変換して、ご主人様に分けるのっ」
「え? 魔力を……生命力へ……?」
初めて聞く言葉に、ミリアムは目を見開きヒスイを見つめた。
「ヒスイちゃん、でもっ、どうやって?」
呪文によって魔力を魔法に転換するのはわかる、だが、一体どうすればそれを生命力に変換できるのか、その方法が分からない。
「今からヒスイが精霊の結界を作るの。その結界の中なら、ヒスイがミリちゃんの魔力を生命力に変えるお手伝いができるの。だからミリちゃんお願い!」
ヒスイがそう言うのならば、ミリアムに疑う余地はない。
「分かった、どうやればいいの? 呪文? それとも何か特別な……」
ヒスイが自分の唇に指を添える。
「口移しでいいの、そうすれば水が高い所から低い所へ流れるように、自然と流れてゆくの。それから、出来るだけ肌と肌を密着させて」
「うん、わかった」
ミリアムは大きく頷いた。
ヒスイはミリアムの頭上に飛ぶと羽と両腕を大きく広げる。
「揺蕩う水よ、旅する風よ、芽吹きの大地よ、再生の火よ、古の盟約に従い我がもとに集い来たれ……エレメンタル・エスフェール!」
ヒスイの身体が光の粒子に変わり、ドーム状にミリアムとシリューを囲んでゆく。
“ ミリちゃん、後はお願い ”
「うん、任せて!」
頭の中に直接響いた声に、ミリアムは力強く頷いて立ち上がった。
「シリューさん、絶対に助けてあげます」
そして、一切躊躇する事無く、身に着けたものをすべて脱ぎ捨てる。
「失礼します」
ミリアムは、横たわるシリューの衣服を、手際よく脱してゆく。治癒術師として実地研修を幾度も経験しているため、戸惑いはない。
それから、シリューの肌にそっと、そしてぴったりと吸い付くように自分の肌をあわせ、さらに密着するために足を絡ませる。
胸にも、お腹にも、下腹部にも、太腿にも、足先にも、まだシリューの温かい体温を感じる事が出来る。シリューはまだ生きている。そして、助けられるのは今ここにいる自分だけだ。
ミリアムの心臓がとくんっ、と撥ねる。
「シリュー……さん……受け取って」
ミリアムはそっと唇を重ねた。
下腹部に溢れる熱が胸の中央を通り、重ねた唇からシリューへと流れてゆくのをはっきりと感じとる事ができる。
ヒスイの言った通り、水の流れのように、それは自然とシリューの命を満たしてゆく。
「んっ」
身も心も蕩けてしまいそうなほど熱を持ち、それでも今はその官能の中に身を投じる余裕もない。
「んっ、んふ……くぅ」
苦しいわけではないが、力の抜けていくような、それでいて鋭い触感が走るような、何とも言い難い感覚に、ミリアムは時折ぴくんっと身体を震わせ、喘ぐように声を漏らす。
身体が火照り、意識が霞む。
“ もう少し、がんばってミリちゃん ”
朦朧とした頭の中に直接届くヒスイの声に、ミリアムは何とか意識を平常に保とうとする。気を緩めればすぐさま呑みこまれてしまう。
蒼ざめたシリューの頬が、徐々に赤味を指してくるが、ミリアムはもう目を開けていられなかった。
何かが、込み上げてくる。嫌なものではない。嫌なものではないが、自分が自分でいられなくなるような、いけない領域に踏み込むような感覚が波のように押し寄せ、抑えきれない。
「や、やっ、くぅっ、ん、んんっ……あっああんっ、はあああああ……シリューさ、ぁんっ!!」
ミリアムはもう我慢せず、その感覚に身をまかせ大きな声をあげた。
その声は、深淵の縁にさまようシリューの耳にも届いていた。
【生命力が回復しました。警告を解除します】
シリューの瞼の裏に、危機が去った事を知らせる、セクレタリーインターフェイスの文字が表示される。
「あ……」
シリューはゆっくりと目を開く。
頬に触れる、ミリアムの頬。そして全身に感じるミリアムの少し汗ばんだ温もりと柔らかさ。
「ハァ……ハァ……」
ミリアムは今、息も荒くぐったりとしな垂れかかっている。
薄れゆく意識の中でも、ミリアムとヒスイの会話は聞こえていた。ミリアムが何をしてくれたのか、シリューにも分かっていた。
息をするのも苦しいほどに枯渇していたものが、ミリアムの温もりと共に自分の中に流れ込み、再び満たしてゆく感覚。
これが生命力……。
どうやら、死の危険は回避したようだ。今、自分の身体に脱力してしな垂れかかるこの少女のお陰で。
シリューはそっとミリアムの髪を撫でた。
「んっ……シリュー、さん……」
ミリアムは、気怠そうに顔を起こす。
「ミリアム……大丈夫か?」
髪をかき上げ、ミリアムは微笑む。
「それは、私の台詞です……」
「そうか、うん、そうだな……もう大丈夫」
「……よかった……」
ほっと息を漏らすミリアムの髪が、シリューの頬と首筋をくすぐる。
「ごめんな、なんか、心配かけたみたいだ。ごめん……」
ミリアムはシリューの唇に指を添え、いたずらっぽく笑った。
「ねえシリューさん、そこはごめん、じゃないでしょう?」
「あ……」
倒れる前にシリューが言った台詞だった。
「ホントだ……ありがとう、ミリアム」
「どういたしまして、でも、もうこんな無茶はしないで下さい」
その約束はできない……とシリューは思ったが、口には出さなかった。
ミリアムはシリューの肩に顔を埋め耳元で囁く。
「ねえシリューさん……私ちゃんと聞きたいです……」
「ん? なにを……?」
「なんで、私のために、あんな簡単に命をかけてくれたんですか?」
ミリアムは消え入りそうな声で尋ねた。それは、さっきはぐらかされた質問の答え。
「……言わなかったっけか? 俺はお前を泣かさないって……大げさな事じゃない、俺はお前の泣き顔、見たくない……」
あっさり、軽く言ってのけたシリューの目を、ミリアムはアーモンドの瞳を大きく見開いて見つめた。
「……それだけ……?」
シリューは何事もないように頷く。
「それだけのために……命をかけたの?」
「じゃあ反対に聞くけど、それ以上の理由があるのか?」
ミリアムは顔を伏せ、溢れそうになる涙をぐっと堪えた。ここは泣いていいところではない。だが、シリューは気付いているのだろうか。そんなふうに言われて、心を乱されない女の子がいるはずがないという事に。
「なあ、ミリアム……そろそろ……」
2人とも一切衣服を身に着けていない。火照ったように艶めかしい熱を帯びたミリアムの肢体が、胸も下腹部もぴったりと押し付けられている。汗を含んだ甘い匂いが、鼻腔と本能を刺激する。さすがにこれ以上は色々と、いろいろ不味い。
「まだ……大丈夫……ね?」
ミリアムは顔をあげ、シリューの鼻先に自分の鼻を寄せる。
「今度は……シリューさんから、して……」
蠱惑的な笑みを浮かべたミリアムに、シリューは思わず引き込まれる。
「誰か……来るかも」
そう言いながらも、シリューはミリアムの瞳から目が離せない。
「……平気よ、誰も来ないわ」
「ああ、そうだな、うん……」
シリューはミリアムの背中を支えるように腕を添え、ゆっくりと位置を入れ替えて、ミリアムに覆いかぶさるように上になる。
ミリアムが両腕をシリューの首にまわして、そっと目を閉じる。
「シリューさん……」
「……ミリアム……」
そうして、2人の唇が触れ……。
「ご主人様っ」
……なかった。
「ひ、ヒスイっっ!?」
「ヒスイちゃん!?」
ヒスイが2人の顔の横で、指を頬に添えちょこんっと首を傾げていた。
「ご主人様? 追わなくていいのです?」
転送で逃げたカルヴァートの事だ。
「そっ、そ、そうだねっっ、追わなきゃ、だ、だめだよね!!」
「あ、そ、そそ、そうですねっっ!!」
2人は大慌てで起き上がり、周りに散らばった服を拾い集める。
「あ、危なかったっ、なんか流れに乗るとこだった」
シリューの呟きは、背中を向けてわたわたと下着をつけるミリアムには、聞こえていなかった。
シリューはふと、ヒスイを見る。
いつもは空気を読んで、それこそ空気のようになるヒスイだが、今は違った。いや、空気を読んだのか。あのままでは危うく一線を越え、一戦交えるところだった。
「いやいやいや」
シリューは激しく首を振る。別に悪い事ではないと思う。ただ、場所が場所、時が時だ。シリューは良くても、ミリアムにはちょっと気の毒だと思えた。
「……別に……良かったのに……」
「ごほっ、げほっっ」
まるでシリューの心を読んだかのようなミリアムの爆弾発言に、シリューは思わず咽てしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます