【第105話】罠
「旦那様、お出掛けでございますか?」
居館のホールへと降りて来た仮面の男に、黒いエプロンドレスのカタリーナが、無表情に尋ねた。
「ええ、少し準備が必要になりましたからね」
「準備……ですか?」
「そう、久し振りに荒事になりそうなのでね」
男は人差し指を立て、楽しそうに声を弾ませる。
「では、すぐに馬車を準備致します」
カタリーナの隣で、サムリがお辞儀をして出て行こうとするのを、男が手を挙げて止めた。
「いえ、転移魔法陣を使いますので、その必要はありません」
そう言って出口に向かう途中、男は思い出したように立ち止まって振り向いた。
「そうそう、『藍』に渡した例の物は、どうなっていますか?」
それに答えたのはサムリだった。
「はい。昨日は動いていませんでしたが、今朝方より身に着けている様子。神殿に立ち寄り、件の神官と合流するようです」
「成る程、それで、仕掛けのほうは?」
男は指を立てしっかりと確認するように尋ねた。
「はい。それもご指示通り、魔力暴走の術式を組み込んであります。いざとなれば、呪文の詠唱により爆発させる事が出来ます。威力は……人間なら半身が吹き飛ぶでしょう。確実に殺せます」
サムリの言葉に、仮面の男は満足そうに頷いた。
「結構。ですがそれはいざという時の保険。けっして軽はずみなまねをしてはいけません。いいですか?」
念押しする男の言葉に、サムリとカタリーナは黙って頷いた。
シリューは、何となくいつもと様子の違うミリアムの手を引き、北門を潜り街を出た。
「あれ? どこ行くんですか?」
目的地が街の屋敷でない事に、ようやく気付いたミリアムが首を傾げる。
「ああ、あれだよ」
シリューは丘の上に立つ古城を指差した。
「え? でも、あれは……」
それは領主カルヴァート家の居城で、昨日シリューがきっぱりと否定したばかりだった。
「調査はしてみるって言ったろ? まあ、外から何か分かる訳も無いと思うけど」
シリューが言ったのは、城を囲む城壁の事だ。
「街の城壁と同じなの、結界があって中には入れないの、です」
城壁の上へ飛んだヒスイが、シリューの肩に戻ってその凛々しい眉をひそめた。
戦闘用に造られた城なら、当然魔物の侵入を防ぐ為の結界が張ってあるだろう。
「……やっぱり、思った通りか……」
街の城壁でも試してみたが、結界の外からは探査を掛ける事が出来ない。但し、それも前もって分かっていた為、特に問題ではない。
「見張りは……無し、か……」
平常時は殆ど使われていない、というのは本当らしく、城門は閉じられ外から見る限り人の気配は無かった。
「シリューさん?」
膝をついて地面をじっと見つめるシリューに、ミリアムが眉をひそめる。
「これを見て……」
シリューが指さしたのは城門へと続く、馬の蹄と車輪の跡だった。
「馬車が、通った跡……ですよね?」
シリューは立ち上がって頷いた。
「ああ、それも比較的新しいのが二つ。一つは門から出て街へ向かってる」
車輪の跡を指でなぞるように、街へ指を向ける。
「もう一つは、同じルートで城へ向かってる」
同じように、今度は城を指す。
「どっちが先で、どっちが後かって事ですか?」
「お、なかなか察しがいいじゃないか、お前にしては」
「えっへんっ」
ミリアムは得意そうに腰に手をあて、ばいんっ、とメロンを揺らし胸を張る。
特に褒めた訳ではなかったが、いつもの調子が戻ったようで、シリューはあえてツッコまなかった。
車輪の跡は、城へ向かうものが街へのものの上に重なっている。
「一旦街へ向かったけど、何かあってすぐ戻ったみたいだな……」
「どういう事でしょう?」
「さあ?」
シリューは掌を見せ肩を竦めた。
実際のところ、それだけでは何も分からない。
「とりあえず、周りも見てみよう」
「はいっ」
2時間ほど掛けて城の周囲を探り、翔駆によって上空からも観察してみたが、結局、中の様子を窺い知る事は出来なかった。
「怪しい所はありませんか……?」
「ああ、見た限りじゃ、な」
ミリアムは眉をハの字に、がっくりと肩を落とす。
「気にするなよ、怪しくないって分かっただけでもいいさ」
シリューはぽんぽんっとミリアムの頭を撫でた。
「さ、街に戻るぞ」
「は、はいぃ」
街に戻り、軽めの昼食をとった後、シリューとミリアムは屋敷の探査に向かった、のだが……。
「あの、シリューさん? さっきから、同じ所をぐるぐるしてるような気がするんですけど……?」
「そうだな」
「えっとっ……?」
ミリアムの指摘通り、午後からずっと同じ一画をまわっていた。
「さて、お前も疲れたろ? そこのベンチで一休みしよう」
「え? あ、はい……」
シリューは、通りの歩道に設置されたベンチに腰を下ろし、ガイアストレージから紅茶のポットとカップを取り出した。
ミリアムは少し躊躇い、こくんっと頷いた後、ポットを挟んだ反対側に座った。
「ほら」
シリューの差し出したカップを、ミリアムは両手で受け取り、カップの中で揺れる紅茶にじっと目を向けた。
「あれ? 熱いの苦手だったっけ?」
「いえ、大丈夫ですぅ。あの、ありがとうございます……」
自分の分をカップに注ぐシリューの横顔を、ミリアムは伏し目がちに見つめる。
「ん? どうかしたか?」
「い、いえ、何でも……」
明らかに表情の冴えないミリアムの態度は、鈍感なシリューでも容易に気付くほどだった。
「なあ、気分悪いなら無理しなくても……」
思い当たる事があり、シリューなりに気遣いの言葉をかける。そう言えば美亜もそんな時があった。周期的に……。
「あ、いえ、大丈夫ですっ、ありがとうございますっ」
“ もっと、ちゃんと話して欲しい ”
たったそれだけの言葉が、今のミリアムには言えず、なるべくいつも通りに見えるよう、笑って誤魔化すのだった。
当然、シリューが勘違いしている事に、ミリアムは気付かなかった。
結局、その後も同じ所を行ったり来たり、時にはベンチに腰を下ろし駄弁ったり、日が傾くまで延々と続けた。
その、あからさまに怪しまれるような行動に、ミリアムは首を捻る。
昨日はなるべく目立たないように、自然に見えるように注意していたのに、今日はわざと目立つようにしているとしか思えない。
考えてみれば、城を調べた時もそうだ。昼間に堂々と空から見下ろしていたのだ。まるで発見してくれと言わんばかりに。
「シリューさん、今日はホントにこれで良かったんですか?」
神殿に向かう道すがら、ミリアムは眉根を寄せて尋ねる。
「ああ、十分だ。思ったより収穫あったしな」
「え?」
訝し気に首を傾げるミリアムの手を握り、シリューは涼し気に笑う。
「さ、いいからっ。ちょっと遠回りして帰ろう」
「あんっ、シリューさんっ」
ミリアムもその手をそっと握り返す。
何故か積極的なシリューの態度に、ミリアムは心臓がどきんどきんと跳ね、少しだけ手汗が気になった。
それからゆっくりと街を散策し、神殿に着くころには既に日が暮れ、街灯が道を照らしていた。
いつもは神殿の門の前で立ち去るシリューが、今日は寮の入り口まで送ってくれた。
「じゃあ、また明日。ちゃんと戸締りして寝ろよ」
「はい、シリューさんも。気を付けて帰ってくださいね」
シリューはミリアムが寮に入るのを見届けて、神殿を後にした。
「ヒスイ、先に宿に帰っててくれる?」
「はい、です」
ヒスイを1人で宿に帰し、向かった先は街の北西、所謂赤灯街と呼ばれる地区だ。
道路に面したガラス張りのドアが並び、それぞれの室内にはピンクや紫の明かりが灯る。中の女性は殆どが下着やボンデージなど露出度の高い服装で、道行く男たちに秋波を送る。
健全な高校生であるシリューには、かなり刺激の強い場所である。
女性の1人と目が合い、蠱惑的な笑みで手を振ってきたが、シリューはさっと視線を逸らし、そそくさとその通りを抜けた。興味は大有りだが、目的はそこではない。
賑やかな一画を外れ街灯もまばらな貧民区に入ると、シリューは立ち止まり用心深く振り返った後、やにわに細い路地へと飛び込み、まるで逃げるように右に左にと駆け抜けた。
貧民区の先には、もう随分前から住む者のいない、壊れかけて放置された建物があり、シリューは錆びついた門扉を飛び越え、外壁の落ちたその建物へ入った。
中は意外に整然としていて、目的の為には十分の広さがあった。
シリューはジャケットを脱ぎ肩に掛ける。
派手なルアーに獲物は喰いついた。あとはフッキングだけだ。
「さあ、出てきなよ、お二人さん」
シリューが声を掛けた闇の中から、黒いエプロンドレスの女と、黒いスーツの男が、恐怖を煽るようにゆっくりと現れた。
軽度の認識阻害のアイテムを身に着けた二人。解析の結果は、
「暗殺者……か」
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