【第98話】それぞれの夜
「あ、シリューさん♪ っと、ヒスイちゃん」
2人が病室に入ると、ミリアムは嬉しそうに満開の笑顔を向け、そしてほんの一瞬、少しだけ複雑な表情を見せた後、すぐにまた元の無邪気な笑顔に戻った。
「ミリちゃん!」
ヒスイがベッドに半身を起こしたミリアムの前に飛び、両手を伸ばして左右の胸の上部に触れて目を閉じた。
「ヒスイ?」
シリューはその行動の意味が分からず、胡乱げに首を傾げる。
「あ、これ、私の魔力の流れを見てくれてるんです。そうですよね、ヒスイちゃん」
急激に魔力を消費し魔力酔いになった場合、体内を循環する魔力の流れが乱れが生じる。それをこうして両手で相手の身体、特に心臓のそばの胸の位置に触れる事で確認出来るのだ。
勿論、それが出来るのは、ごく一部の魔力を認知する才能を持った者か、ヒスイのように魔力自体を糧とする存在だけだ。
そうしているうちにヒスイが目を開き、ミリアムを見上げてにっこり笑った。
「流れが整ってきてるの。魔力もちょっと回復してるから、もう一晩くらい休めば大丈夫なの」
「ほんと? ヒスイちゃんっ」
「へえ、ヒスイってそんな事まで分かるんだ」
シリューが漏らした感嘆の声に、ヒスイは嬉しそうに振り返りぴんっと胸を張った。
「ヒスイはご主人様のお役に立てるのですっ」
ヒスイは久しぶりに、きらきらと星を振り撒きながら飛び回った。
シリューはヒスイが離れた隙に、ミリアムの耳元へ口を寄せる。
「お前、さっき何であんな顔したんだよ。ヒスイは気づいてないみたいだから、まあいいけどさ」
耳をくすぐる囁きが、期待した甘いものではなく、明らかな棘を持っていた事にミリアムは思わずおののいた。
「そ、だってっ……お、怒ってます?」
じわりとアーモンドの瞳に涙を浮かべるミリアムに、シリューは慌てた。
「ちょっ、何泣きそうな顔してるんだよ。別に、怒ってる訳じゃないからっ」
「うそっ、怒ってるくせにっ」
ミリアムは涙を溜めた瞳で、上目遣いにシリューを見つめる。
「別に、ただ理由を聞いただけだろ、なんで……」
ミリアムの頬を一筋の涙が伝う。
「い、意地悪なシリューさんには、教えてあげませんっ、ばかっ」
涙を拭う事もせず顔を背けるミリアムに、シリューはただ戸惑うばかりだった。
「え? 何で? 俺、なんか悪い事した?」
悪い事をした訳では無い、ただ女心を理解していないだけだったが、シリューがそれに気づく筈もなかった。
「ご主人様、ミリちゃんを泣かせちゃダメなの、ですっ」
すいっと、2人の間に割って入ったヒスイが、両手を広げてミリアムを庇う。
「いや、ちがっ……」
「ごめん、違うのヒスイちゃんっ」
シリューもミリアムも、ヒスイの思わぬ行動にあたふたと手を振った。
「あ、あの、じゃあ、今日は、か、帰るからっ、ま、また来るよ」
「は、はいっ。ありがとう、ございましたっ。あの、た、楽しみにしてますっ」
2人とも、必要以上にしどろもどろだ。
ただ1人、冷静なヒスイが一言。
「ご主人様、今日こそミリちゃんと寝てあげないのです?」
「みゅっ!?」
「ごほっ、げほっ」
とてつもない爆弾を投下した。
当然ながら、そのままヒスイと共に宿へ帰ってきたシリューは、夕食を済ませた後、部屋のソファーにゆったりと座り、これまでの調査で分かった事を整理していた。
女性聖神官のジャネットを誘拐した野盗団。その主要人物は既に処刑された。
野盗団から、誘拐された人々を買い取っていた謎の黒幕。
人を魔人化する人造魔石と、それを製造した人物。
そして、拘置所に魔法陣魔法を使って侵入し、ランドルフにその人造魔石を埋め込んだ人物。
それらが、果たして別々の人物なのか、それとも1人なのかは分からないが、転移魔法を使う事からおそらくは魔族だろう。
「……そんなもんか……」
分かっている事は呆れる程少なく、相手に結び付く決め手となるような情報が何も無い。
最も情報を握っていた筈のランドルフは、大した取り調べを受ける事も無く、早々に処刑された。
「あれ……?」
そこで一つの疑問が浮かぶ。
今回の黒幕は、拘置所に侵入する術がありながら、何故ランドルフを殺さず、魔石を埋め込むにとどめたのか。
「ランドルフから、自分の情報が洩れるって思わなかったのか?」
シリューはふと、野盗団を街に連行した時の事を思い出す。
“ お前、このままで済むと思うなよ ”
ランドルフは、怒りの籠った目でそう言った。あの時は単なる負け犬の遠吠えとしか思わなかったが、自分が助かる何らかの取引があったのだとしたら……。
助けるという名目で黒幕は魔石を使い、ランドルフはそれを信じた。ただし、結局ランドルフは処刑され、魔石によって人造魔人となった。
「……って事は、元々ランドルフを助けるつもりなんかなくて、最初から魔人にするのつもりだった?」
つまり、目的は製造した人造魔石の……。
「実験、か……」
そう考えると、色々と辻褄が合うように思える。
人造魔石を製造する為、誘拐した人々から何らかの方法で魔力を集める。効率を上げるには、高い魔力を持った人間が必要で、誘拐の実働部隊がランドルフらの野盗団。しかも、初めから使い潰すつもりで利用した。
「この街を実験の場に選んだのは、戦力の規模か……」
レグノスの冒険者ギルドに所属しているのは、最上位でもCクラス、しかもエターナエル教会の誇る、聖騎士団は常駐していない。守りの要となる官憲隊や、領主カルヴァート家の騎士団は、野盗団によってその戦力を削がれていた。
おそらく、シリューがいなければこの街は瓦礫の山となり壊滅していただろう。
「それも目的の一つか……派手なPRになるだろうな」
今のところ憶測でしかないが、的外れな推理ではないという自信があった。
「とりあえず、その線で当たってみるか」
先ずは魔石の製造元の特定だ。何人もの人を連れ込み、監禁するだけの広さが最低でも必要だろう。
ならば、ある程度的は絞られる筈だ。それが街の中でも外でも。
シリューはソファーから立ち上がり、ベッドに横になる。
「後は明日だな」
魔道具のスイッチを押し、明かりを消した。
「なんで泣いちゃったのかな、私……」
シリュー達が帰ったその日の夜。
昼間シリューが持ってきてくれた、砂糖たっぷりの紅茶が入ったカップを手に、ミリアムは病室のベッドの縁に座り、ぶらぶらと足を揺らしていた。
落ち着いて考えてみれば、別に泣く程の事ではなかった筈。シリューにしてみれば、いつもの調子で聞いただけなのだろう。なのに、あの時は無性に哀しかった。
「ヒスイちゃんの事は大好きなはずなのに……」
病室に現れたヒスイを見て、ほんの少しがっかりしたのは本当の事だ。まさか、シリューに気付かれるとは思わなかったが。
ミリアムはそっと胸に手を当てる。
「私……」
ミリアムの心に芽生えた、シリューへの想いとは別の感情。
それは……。
「ああっ、やだやだっ。ヒスイちゃんはピクシーだよっ……なのに、なんで……」
ミリアムは一気に紅茶を喉へ流し込む。かなり高価な茶葉を使っているのだろう、冷めてしまっても嫌なえぐみがない。
鼻に抜ける甘い香りが、心の棘を溶かしてくれるかのように心地いい。
「明日来てくれるかな……? どんな顔して会えばいいかな……?」
案外、シリューはもう気にしていないかもしれない、それに、女の子の繊細な気持ちを理解できるはずがない、とミリアムは思った。
「よしっ、いつも通りでいこうっ」
ミリアムはぐっと拳を握りしめた。
夜も深まり街も静かに眠りにつく頃。
明かりの消えたとある屋敷の一室で、男は月の光の差し込む窓から、幻想的なコントラストを描く景色を眺めていた。
「……断罪の白き翼……またまた面倒な人が現れましたね……深藍の執行者も何やら嗅ぎまわっているようですし」
男の顔を覆う金の仮面に、月の光が反射し怪しく輝く。
「いかがいたしましょう」
仮面の男の背後で、黒いエプロンドレスの女が尋ねた。
「そうですね、暫くは大人しく様子を見ましょうか」
「しかしっ……」
女が意見を言う前に、仮面の男が手のひらを向け、それを制する。
「白も藍も、君の手に負える相手では無いでしょう。下手に動けば、こちらの正体を掴まれる可能性があります。そのうち相手をしてやる必要があるでしょうが、今はまだその時ではありません」
男の言葉には焦る様子もなく、想定外の事態であるにもかかわらず、まるでその事を楽しむかのような話しぶりだった。
「最悪此処を放棄するという方法もありますが、それはあくまで最後の手段。出来るならこのまま研究を続けたいですね」
「はい……」
無表情のまま深く一礼し部屋を出ていこうとした女を、仮面の男が思い出したように呼び止める。
「そうそう、あの男の様子はどうですか?」
女は立ち止まって振り返り、無表情であったその顔に、薄らと笑みを浮かべる。
「元気……とは言えませんが、当分死ぬ事はないかと……」
「そうですか、それは良かった」
仮面の男は、満足気に頷いた。
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