第63話 ミリアムは負けない

 巨木に覆われた小高い山の裾に馬車は進む。


 巧みに偽装された、馬車1台がギリギリ通れる道の奥にその洞窟の入り口があった。


 馬車が停まると、御者台と荷台を隔てるカーテンが開き、クロエが顔を覗かせ、荷台に繋がれたミリアムへ声をかけた。


「さあ、終点よ。ここからあんたの第二の人生が始まるの、楽しみでしょう?」


 荷台に男達が乗り込み、ミリアムを繋いだロープをほどき、乱暴に立たせる。


 クロエはその男達に向かい顎をしゃくった。


「ほらよっ、さっさと降りなっ」


 男に背中を突き飛ばされ、ミリアムは転げ落ちるように馬車から降ろされた。


 よろけて倒れたところを、別の男に髪を掴まれ無理やり起こされる。


「のんびり寝てんじゃねえっ、立てっ」


 まるで家畜のような扱いだったが、ミリアムは声が出そうになるのをぐっと堪えた。


 この連中は、ミリアムが悲鳴を上げたり、痛みに苦悶の表情を浮かべるのを見て楽しもうとしているのだろう。


 それが分かっているから、ミリアムはあくまでも平静を装った。


「ちっ、可愛げのねぇ女だな」


 男は吐き捨てるように言ったが、ミリアムにしてみれば、この男達にどう思われようがどうでもいい事だ。こんな輩の欲求を満たしてやる謂れはない。


 だから出来るだけ平然と、落ち着き払った態度と表情を崩さなかった。


「このっ」


 そんなミリアムの態度が余程気に障ったのか、男は髪を掴んだまま拳を振り上げた。


「そのくらいにしときなさい。大事な商品を壊したらお頭に殺されるわよ。その娘はガキたちより、うんと高く売れるんだから」


 意外にも男を諫めたのはクロエだったが、ミリアムはあえて反応を示さなかった。


「あ、ああ、そうだな」


 男達は大人しくクロエに従い、ミリアムを洞窟の中へ連れて行く。入り口からしばらくは馬1頭が通れるほどの通路が続き、それを抜けると中は家が十数軒建てられる位の空間が広がる。


 その空間の最奥の壁沿いに、自然の窪みを利用し木材や木箱で囲った区画が設けられていた。


「ダドリーっ、ハンナ!」


 全員が同じように両手を縛られ、ロープで繋がれた4人の子供の中に、ミリアムはずっと探していた顔を見つけ、思わず叫んだ。


「おねえちゃんっ」


「ミリアムねえちゃん!」


 名前を呼ばれて顔を上げたダドリーとハンナは、ミリアムの姿に一瞬笑顔を浮かべるが、すぐに不安な表情に戻る。


 ミリアムの両手も同じように縛られていたからだ。


「おねえちゃんもつかまっちゃったの?」


 ハンナは、目にいっぱい涙を溜めミリアムを見上げた。


「お姉ちゃんは捕まっちゃったけど、でももう大丈夫よ」


 それは、子供たちを慰めるための気休めではなく、ミリアムの心からの言葉だった。


「おやおや、ここから逃げ出せると思ってるの?」


 クロエが見下すような表情でミリアムを見た。


「え? 逃げませんよ? 普通に出ていくだけです。すぐにお迎えが来てくれますから」


 ミリアムは、ごく当然とばかりにクロエに笑顔を向けた。


「あら、もしかして猫のお尻追いかけてる、あの情けない臆病者のガキの事かしら?」


 クロエは思い出したように薄笑いを浮かべる。


「あのガキなら、今頃魔物のエサだぜ」


 クロエの横に立った髭面の男が、出来れば俺がじっくり殺してやりたかったけどな、と笑った。


「あんたに使ったのと同じ毒で体を動かす事も出来ず、生きながら魔物に喰われるのよ。どんないい顔で泣いたでしょうね? 是非とも見たかったわ、ははははは……」


「あはははは……っ」


 クロエに合わせて、ミリアムが声をたてて笑う。


「な、なに笑ってるのよ!」


「え? だって、自分たちの置かれてる立場も分からないなんて、残念な人だなぁと思ってっ」


 実際にシリューが闘っているところを見た事はない。ただ初対面の時、本気で繰り出した得意の蹴りを、シリューは悉く、そしていとも簡単に躱し片手で止めた。


 それにグロムレパードを1人で20頭も倒したと、事もなげに話していた。それが本当かどうかは今確かめる術はないが、大量の肉を持っていたのだ、嘘ではないだろう。


 だが、ミリアムが信じたのはそんな事ではなかった。


『任せておけ』、シリューはミリアムの目を真っ直ぐに見つめてそう言った。


 ミリアムは、その言葉を、その瞳を、信じたのだ。


「あなたたちは……もう、終わりです」


 射抜くような眼光でクロエを睨むミリアム。


「面白いわね……」


 クロエがミリアムの髪を掴み引き倒す。


「残念なのはあんたよ。いくら待ってもあのガキは来ないし、もしカミロから運よく逃げたとしても、ここまでは生きてたどり着けない。それが現実よ」


 立ち上がろうとしたミリアムの顔を、クロエが蹴り上げる。


「あくっ」


 両手を縛られたままのミリアムは、バランスを崩し、子供たちの前に転がる。


「ミリアムねえちゃん!」


「おねえちゃんっ、おねえちゃんっっだいじょうぶっ」


 その姿を見た子供たちは、緊張の糸が切れたように大声で泣き始める。


「もうおうちにかえりたーいっ!」


「おとうさんとおかさんにあいたぁい!!」


「うえーん、おねえちゃーん」


「ちっ、うるせえ! 静かにしろ!!」


 子供の1人を蹴りつけようとした髭面の男の脚を、ミリアムが身を挺して受け止める。


「くっ、このアマぁ」


「……子供に手をあげるのは、許しません。それに……私はともかく、子供を殴れば……あの人、怒りますよ?」


 ミリアムは真っ直ぐに、静かに、そして毅然と立ち、男達をねめつけた。


「ホント、気に入らないわね……」


 クロエは表情を歪ませ、ミリアムを殴った。もう薄笑いも浮かべていない。


「あんたのっ、その目っ、髪、顔っ、まっすぐ生きてますって態度も、全部気に入らないのよ!!」


 抵抗の出来ないミリアムを、クロエは何度も何度も殴り続ける。


「あっ、ぐっ、う……」


 口の中が切れ、みるみる顔が腫れあがる。


「おい、待て。そのぐらいにしとけって」


 髭面の男が慌てて取り押さえるが、クロエは興奮が収まらない様子だ。


「おいおい、えらく派手にやってるじゃねえか?」


 背後から聞こえた声に、男達が固まる。それはクロエも同じだった。


「ずいぶん酷くやられたなぁ、これじゃ美人が台無しだ……」


 男は、横たわるミリアムを覗き込んでそう言うと、クロエを振り返ってにやりと笑った。


「なあクロエ、この娘が大事な商品だってのは分かってるよな?」


 クロエは声も出せず何度も頷く。


「お前じゃあ、この娘の半分にもならねえんだぜ」


 男は剣を抜きクロエの喉元に突き付けた。


「いっそ、生きたまま解体ショーでもやるか? お前を主役にな。物好きな貴族が大枚はたくぜ」


「すみません、お頭……。調子に、乗りました……勘弁して、ください」


 クロエはぶるぶると震え、今にも泣きだしそうな声を絞り出した。


「わかりゃあいい。多少楽しむ程度なら、俺は何も言わねえ。要は怪我させて弱らせなけりゃあいんだ」


 お頭と呼ばれた男、ランドルフは剣を納め、手下達を一瞥した。


「ザルツっ、後はお前に任せる。くれぐれもこれ以上怪我させるな。それ以外はまあ……」


 ランドルフはミリアムを見下ろすと肩を竦めて踵をかえし、呼ばれてやってきたザルツに、すれ違いざま小さな声で呟く。


「俺はこんなガキに興味はねえが……」


 ぽん、とザルツの肩を叩き、人と会って来ると言い残しランドルフは洞窟から出て行った。


「ミリアムねえちゃん、だいじょうぶ?」


 ミリアムを壁に繋ぎ、クロエと男達が離れていった後、ダドリーが乱れたミリアムの髪を手ですきながら、今にも泣き出しそうな顔で尋ねた。


「大丈夫、お姉ちゃんこう見えても結構、頑丈なんだから……」


 とは言ってみたものの、顔中ズキズキと痛み、口の中は切れて血も止まっていない。首輪のせいで魔法が使えない為、傷も顔の腫れも治せない。ただ頑丈なのは本当で、何処も折れてはいなかった。


「えへへ……お姉ちゃん、酷い顔、でしょ……」


「そんなことないよ、かわいいし、きれいだよっ」


 ダドリーは泣きながら、自分のハンカチでミリアムの鼻や口から流れる血を、そっとふき取った。


「ダドリーは、大きくなったらきっと、女の子にモテモテだね……」


 そう言って微笑んだあと、ミリアムは俯いて誰にも聞こえない声で呟いた。


「……こんな顔……シリューさんに見られるのは恥ずかしい・・・・・なぁ……」






 その頃、シリューはミリアムのラインを辿り、森の中を丘陵地帯を目指し走っていた。


 魔道具によるものなのか、馬車の轍の跡は巧に隠蔽され、また時折ぐるぐると同じ所を巡り、別の方向へ誘導するように偽装されたりしていた。


 アジトへの襲撃は明け方が理想だが、日が暮れるまでには辿り着きたかった。




【対象の所持品を発見しました】




 点滅表示された赤い矢印の指す草むらに、小さく丸めた布らしき物が落ちていた。おそらく、ミリアムが隙をついて投げ落とした物だろう。


「あいつ……必死に痕跡を残そうとしたんだな……」


 実は、一度探査目標に設定してしまえば、再度臭いや魔力痕を設定し直す必要は無い。ただ、ミリアムにはその事を話しそびれていた。


 そう、話しそびれていたのだ。それは誰のせいでもない。


 シリューは草むらからその布を拾い何気なく広げた。


「……あ……」 


“ 私に出来る事があったら言ってください ”


 確かにミリアムは言った。何でもします、とも。


 拾う前に気付くべきだった。


「……必死なのはわかる、分かるけど……」


 彼女はただ必死だったのだ。


 拾わずに無視するべきだった、というのは、自分の立場を守る言い訳だろう。


 子供たちを助けたいという気持ちが、彼女の羞恥心を遥かに上回った、そういう事だろう。


 シリューは広げたソレから視線を逸らす。


「……ミリアムさん……」


 ソレは見覚えのある……紫の……。


「これをっ俺にどうしろとおおおおーーー!!!」


 パンツだった。

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