第62話 無駄なたくらみ
レグノスの東門を抜け、ミリアムを示す紫のラインは、北へと続く整備された街道を逸れて、草原の中へと延びていた。
そのまま進めば、その先はエラールの森だ。
「思った通り……か」
ラインを追って街道を逸れ草原地帯に足を踏み入れた時だった。
後ろから1台の馬車が近づいて来た。
「君がシリュー・アスカかい?」
御者台の男が、人の好さそうな笑顔で尋ねた。
「そうですけど……あなたは?」
見覚えのないその男の顔に、シリューは訝し気な視線を向ける。
「ああ、すまない。俺はカミロ、Dランクの冒険者だ。まあ君の先輩ってとこだな……。実は支部長のワイアットさんに頼まれてね、君のサポートをしてくれってさ」
「……俺の?」
カミロは自分の乗っている馬車を指さす。
「子供たちを助けるにしても、街まで歩かせるのかい?」
シリューは笑って頷いた。確かに、森から街まで、小さな子供たちを歩かせるのは酷だろう。
「そうですね、ありがとうございます」
「じゃ、乗ってくれ。どこに進めばいいか、目途はついてるんだろ?」
「ええ、このまま真っすぐ森に向かって下さい」
シリューが御者台の隣に座ると同時に、カミロは手綱をふるい馬車を出発させた。
「君は、猫探しが得意って聞いたけど、人探しも得意なのかい?」
馬車がエラール街道の北側に入ってしばらく進み、カミロが好奇心に満ちた表情で尋ねた。
「まあ、猫も人も方法はそんなに変わりませんね……」
「ふーん、そんなものかね……」
迷わずに馬車を誘導するシリューが余程不思議なのだろう、カミロは大きな溜息をついた。
その時、石にでも乗り上げたのか、馬車が大きく揺れ軋むような音が響いた。
「やっちまったっ、すまないっ」
カミロは即座に馬車を停め、御者台から降りた。
「悪いが、左を見てくれないか? 車軸がいかれたかもしれない……」
右の車輪を確認しながら、カミロが言った。
「分かりました」
シリューも馬車を降りて、左の車輪を覗き込む。
馬車の構想を見るのは初めてだが、工業高校で自動車科だったシリューにとって、馬車の車軸や車輪はごく単純なものに感じた。
「……特に、異常はないみたいですね……」
「どれ? ああ確かに……」
右の点検を終えたカミロがシリューの背後に立つ。
そして。
「異常はこれからさ」
ぱしゃん。
シリューの頭に、小瓶に入った液体をかけた。
「なに、を……」
シリューはその場に膝をつき、苦しそうに振り向いた。
「ハンタースパイダーの毒だよ、どうだい良く効くだろ?」
カミロはへらへらと、薄笑いを浮かべる。
「……おま、え、仲間、だったの、か……」
「ははは、あんまり人を信用しない事だね。俺の役目はお前を始末する事さ……嫌な役だろ?」
カミロは悪びれもせず、肩を竦め両手を挙げた。
「く、そ……」
「まあ、始末してくれるのは、こいつらだけどさ」
そう言ってカミロが口笛を吹いた。
合図を待っていたように、3頭のフォレスウルフが茂みから飛び出してくる。
「さ、やっちゃってくれ」
そう言って背を向けると、カミロは馬車から離れた。
「ま、骨ぐらいは残るかもね」
大きな唸り声をあげ、フォレストウルフたちが蹲ったシリューに一斉に襲い掛かる。
ものの数秒も掛からないだろう。カミロはそう思っていた。
実際ほんの数秒で何の物音もしなくなった。
だが。
「跡形ぐらいは残したけど、これで良かったか?」
聞こえてきたのは聞こえる筈の無い声。
「な、に……」
カミロは慌てて振り向く。
そこには、全くの無傷で涼し気に微笑むシリューの姿があった。
足元に、最早原型をとどめない、元はフォレストウルフであったと思われる、血まみれの肉片。
「いったい……どうやって。何で動けるんだ」
カミロは驚愕の表情を浮かべる。
「勘違いするなよ。質問するのはお前じゃない……俺だ」
シリューの瞳が鋭く光る。
耐性のあるシリューに、ハンタースパイダーの毒など水と変わらない。相手の手の内を見る為、演技してみせただけだ。それにシリューは、ワイアットに今日子供たちを助けに行くなど一言も言っていない。
はじめからこの男の事など信用してはいなかったのだ。
無論、わざわざそれを話してやる気はないが。
「くっ、調子にのるなあっ、このガキィ!」
カミロが剣を抜いて上段から切りかかる。
だが圧倒的に遅い。
シリューはいともたやすく剣の刃先を二本の指で挟み、何事も無かったように止めた。
「ぐっ、くそっ」
カミロがどんなに力を籠めようと、剣は全く動かない。
「……そっくりそのまま返すよ。調子に乗るな……お前のターンは終わりだ」
シリューは怒っていた。
そのまま、カミロの腹に掌底突きを放ち吹き飛ばす。
「がはっ」
だが、殺さないように手加減する冷静さも失ってはいなかった。
這いつくばり、胃の中身をぶちまけるカミロ。シリューは近づき、さらに顔を蹴り上げた。
「答えろ、仲間は何人だ? 森の何処に隠れてる?」
「仲間ぁ? 何のことだ?」
シリューは不敵に笑うカミロの髪を掴み引き起こす。
「惚けても無駄だよ。お前たちが誘拐犯、いや、野盗団の仲間だってのは、わかってるんだよ」
シリューはカミロの顔面を殴る。
「ぐばっ」
商人ギルドで確認を取った時にピンときた。
クロエがやって来たのが半年前、そしてエラールの森に野盗団が現れたのも半年前。
誘拐の手際や性質から少人数の犯行ではあり得ない。街に数か所のアジトを置き、本拠地はエラールの森の何処か。街に滞在する者が誘拐と情報収集を担当し、森に潜む仲間に渡す。
冒険者ギルドや官憲の情報もこの男が流していたのだろう。いくら捜索隊を出しても上手く行かない筈だ。
官憲の目を森に向けさせ手薄になった街で誘拐を行う。どちらが本業なのか分からない。いや、どちらも本業なのだろう。
そして今、森の奥へと続く、ミリアムを示す紫のライン。
ここまでくれば間違いない、以前逃がした野盗団だ。
勿論、ラインを追えばいずれアジトに辿り着くだろう。だが、その前に少しでも有益な情報は欲しい。
「もう一度聞くぞ、仲間の数は? アジトの場所は?」
シリューはもう一発顔面に拳を入れる。
カミロの口から血に交じり、折れた歯が零れ落ちた。
「へへ、いくらやっても無駄だね……俺は、痛みを殆ど感じないんだ」
生まれながらの痛覚麻痺。解析の結果表示された状態異常。
「……なるほど……」
どうするか、あれこれ思案しはじめると、ヒスイがポケットから飛び出しシリューの顔の前に現れた。
「ご主人様、このニンゲンに話をさせたいの、です?」
言葉は分からなかった筈だが、状況から察したのだろう。
「そうだね、出来れば少しでも情報が欲しい」
「じゃあ、私に任せて、なの」
そう言ってヒスイは、カミロの顔の前に飛んだ。
「な、なんだこれっ、ピクシー……か?」
羽ばたく度に、その透明な羽から光る粒子が振りまかれヒスイを包んでゆく。
それはまるでおとぎ話の挿絵のように、幻想的で心を奪われるような光景だった。
だが、これは。
ヒスイの顔にはいつもの無垢な表情はなく、魅惑的な微笑みが浮かんでいる。
「これって……」
ピクシーのもつスキル、幻惑。
幻影を見せたり、人の心を操ったりと、かなり危険なスキルだ。
「あは、はは……僕はいい子だよ……母さん」
カミロの目は既に焦点が合っていない。
「ご主人様、今なの」
シリューはその光景に戸惑いながらも、必要な質問を投げかけた。
「仲間は何人だ?」
「……なかまぁ……僕を入れて……残りは25人だよ」
この男は此処でアウト、つまり残り24人だ。
「何処に隠れてる?」
「街道の北の……丘陵地帯の、大きな洞窟……」
「使役してる魔物の種類と数を言え」
「ははは……フォレ、スト……ウルフ、と、ブルートベアが、100……ひ、ひっ、ひ……僕は、ぼっ、く、は……」
カミロは全身を痙攣させ、鼻血を流す。明らかに様子がおかしい。
「ご主人様。これ以上はこのニンゲンが壊れてしまうの」
どうやらいくら幻惑を使っても、短時間で強制的に従わせようと無理をかけると、脳に甚大なダメージが残るらしい。
「ヒスイ、もういいよ。ありがとう」
「はいなの、です」
ヒスイの羽から振りまかれる、光の粒子が消えた。
「かあさん、かあさん……」
カミロは恍惚の表情を浮かべ、うわ言のように同じ言葉を繰り返している。
「ねえヒスイ、こいつはいつまでこんな調子なのかな?」
ヒスイは頬に指を添え、ちょこんと首を傾げる。
「……明日までは、こんな感じなの、です」
それからシリューは、カミロの装備と服を剥ぎロープで縛り木に吊るした。
「まあ、お前がどうなろうと知った事じゃないけど、帰りにまだ生きてたら回収してやるよ」
運が良ければ冒険者が通るかもしれない、悪ければ魔物の餌食だが、どっちにしろこの男に情けをかける気にはなれない。
『この男、誘拐犯』
シリューは馬車の床板を剥がして簡単な看板を作り、吊るしたカミロの下にたてた。
「上手く逃げろよ」
そして馬車から馬を放し、森の外へ走らせる。
馬車を扱えないし、馬にも乗れないシリューにはそうするしか方法が無かった。
「ヒスイ、行くよ」
多少時間をくったが、それなりの情報は得られた。
「今度は、逃がさないぞ……」
シリューは再び、紫のラインを追って歩き出す。
「かあさん、はやくかえってきてね……ぎゃっ」
ブツブツとうるさいカミロを、ショートスタンで眠らせたのは言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます