第38話 神官少女は涙ながらに訴えます
「あれ? 何処行っちゃったのかなぁ……」
神官の少女は、先程騒ぎのあった、正確には騒ぎを起こした場所に戻り、きょろきょろと辺りを見渡した。
逃げたひったくり犯を、何とか追い付いて取り押さえ、市民の通報により駆け付けた官憲隊に引き渡して事情説明をしていた為、少し時間が掛かってしまった。
「……お詫び……出来なかったなぁ……」
少女は頬に手を添え、弓月の眉を寄せた。
「変な
『変な娘』を飛び越し、『紫パンツ変態神官娘』と言う、恥ずかし過ぎるあだ名を付けられた事など、少女は知る由もなかった。
見ると、被害者だった老婆も無事に鞄が戻って来たようで、今は官憲に事情を聴かれている。
結局、ただあの少年の邪魔をしただけで、何の役にも立たなかった。
「……はぁ、またやっちゃった……」
少女は大きな溜息を漏らす。
「神官殿、いつもご協力感謝します」
官憲隊士の一人が、少女に挨拶をする。
「あ、いえ、お疲れ様です」
官憲隊士がいつも、と言ったのには勿論訳がある。
勇者を支援する為、四代目勇者によって組織されたエターナエル神教は、主に三つの職位で構成されている。
まず白い法衣の
冠婚葬祭など祭祀を司り、有事の際はその優れた治癒術で後方支援を担当する。
黒い法衣は
残る一つ、聖騎士団は直接戦闘の矢面に立ち、魔物の討伐を主な任務とする。
この少女の法衣は黒。
つまり、官憲隊と協力し、街の治安維持にあたるのが、少女の負った役目の一つという訳だ。
今回は、お世辞にも役に立ったとは言い難いが……。
「神官殿、一つ確認したいのですが……」
官憲隊士が、表面が派手に砕け、内部の鉄骨がひしゃげた街灯の支柱を指差して続ける。
「これは……神官殿が?」
「あ、え………は、はい……」
少女は力なく頷いた。
「これは、折れて傾いていますので、支柱ごと取替が必要ですね……あの、神官殿。協力は有難いのですが、こう毎回あれこれ壊されますと……」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさいっ、ホントに申し訳ありませんっ」
長い髪が波打つほどの勢いで、何度も何度も腰を折り頭を下げる少女。
「修理費は神殿の方に回しておきますので」
少女の願い虚しく、官憲隊士は冷静に、且つ事務的にそう告げた。
「ふえぇぇん、やっぱりですかぁ」
「はい」
「これ以上、お給料から引かれたら、私、生活していけません……」
少女の涙ながらの訴えを、隊士はしかし、あっさりと受け流した。
「これからは自重して下さい、では」
「ああ、いけず……」
『果てしなき蒼空亭』
二階建てのその宿は、白を基調にした壁と青い屋根。入口の扉は屋根より少し濃い青で、その上品なコントラストにはなかなかのセンスを感じる。
シリューは、いつか二人で行こう、と美亜が見せてくれた、避暑地のペンションを思い出した。
「いらっしゃいませ! お食事ですか? お泊りですか?」
扉をくぐり、元気よく出迎えてくれたのは、亜麻色の髪にアンバーの瞳。そして頭には、イヌ科の動物を思わせるかわいらしい耳の生えた少女だった。
「あ、泊まりです。長期でお願いします。冒険者ギルドのレノさんから紹介されたんですけど……」
少女の顔が、ぱっと花が開いたような笑顔になる。
「レノは私の姉ですっ。私妹のカノンって言います。お泊りなら宿帳に記入をお願いしますっ、こちらへどうぞ」
元気に圧倒されそうになりながら、シリューは一階の食事処を抜け、奥のカウンターへ案内された。
「母を呼んで来ますので、少しお待ちくださいっ。母さーん、お泊りのお客様―! お姉ちゃんの紹介だってーっ」
カノンは、宿中に響き渡る様な大声で母親を呼びながら、カウンターの後ろの扉へと入っていった。
おそらくそこが、厨房や事務室になっているのだろう。
幾らも待たずに、カノンが母親を伴って戻ってきた。
「いらっしゃいませ。騒がしくてすみません、この子にはいつも言っているのですが……」
レノやカノンも美人だが、その母親もまたかなりの美人だった。
四十に近い年の筈だが二十代後半位に見える上に、レノには無い年齢による色気がある。
シリューはついつい見とれてしまい、慌てて目を逸らす。
「あ、いえ、大丈夫です……」
「申し遅れました、レノとカノンの母でロランと言います。この宿の女将です」
ロランが手を身体の前で合わせ、お辞儀をした。
「シリュー・アスカです」
「ではシリューさん、早速ですが宿帳に記帳願えますか」
ロランは紐で纏めた、茶色い紙の束を広げカウンターに置いた。
「レノの紹介と言う事は、シリューさんは冒険者ですか?」
「はい。と、言っても今日登録したばっかりですけど」
シリューは宿帳の職業欄に冒険者と書き込んだ。
「それで、長期の滞在との事ですが、うちでは一週間ごとに前払いで宿代を頂いておりますが、よろしいですか?」
「構いません。幾らでしょうか」
「一泊二食付きで60ディールですから……」
「420ディールですね」
合計の金額を伝える前に、シリューが即座に正しい金額を答えた事に、ロランは少し驚いた表情を見せた。
「あの、シリューさんは、もしかして貴族の方ですか?」
この世界の常識から言えば、読み書きと計算まで出来る教育を受けられるのは、殆ど商人か貴族だけである。
『アスカ』と、家名を名乗ったシリューを、貴族だと思うのは当然の反応だろう。
「……そうですが、訳あって国も家も飛び出した身です。特別な配慮は必要ありません」
説明するのも面倒なので、聞かれた場合はそう答える事にしていた。
半分は本当で、半分は嘘。設定としては悪くない。
シリューは上着のポケットに手を入れ、ガイアストレージから1000ディール金貨を一枚取り出した。
「すみませんが、1000ディール金貨しか持ち合わせてなくて……、二週間分、840ディールでいいですか?」
そう言ってシリューは、カウンターの上に1000ディール金貨を置いた。
「はい、ではお釣りの160ディールは……」
「出来れば、10ディール銀貨でお願いします」
分かりました、と頭を下げ、ロランは一旦奥の事務室へ行き、お釣りを持って戻って来た。
「では、10ディール銀貨十六枚です」
「ありがとう、助かります」
シリューは手渡された銀貨を、数える事も無くポケットに仕舞う。
「あの、両替をしてくれるところってありますか?」
ナディアから報酬として貰った10万ディールは、全て1000ディール金貨だった。
大きな買い物をするには便利だが、街の庶民向けの店では、ほぼ使いようが無い。
「それでしたら、商人ギルドへ行けば、無料で両替できますよ」
「良かった……じゃあ明日にでも行ってみます」
ロランは笑顔で頷いた。
「では、お部屋に案内しますね、どうぞこちらへ。カノン、案内をお願いね」
シリューは、カノンに案内され二階へ続く階段を上っていった。
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