2 水面下の大騒動は始末書もの


 来留芽は頭を抱える。手の中にあるのは始末書という文字が目立つ一枚の用紙だ。他の言葉はまだ何も書かれていない。天生目東高校での仕事を終えた翌日、日曜日という日にもかかわらず朝にこの嫌なものを渡されてからずっとそのままだった。


「やっちまったなー、お嬢」

「うるさい」


 様子を見に来たらしい薫がそんな茶々を入れてくるのに苛立ち、振り返って睨む。

 彼は気にせず笑うと来留芽の横に椅子を持ってきて座った。


「しっかし、珍しいな。お嬢が始末書もののミスをするのは。俺だったらいつものことかと言われるだけだけどな!」

「それは威張れることじゃない」


 薫はその腕力が普通の人のそれとは大きく異なるため、一度戦闘に入ると周囲が破壊されることが多い。そして、それはたいていの場合直しきれないのだ。

 それを誤魔化す仕事は裏警察に振られるのがほとんどだが、薫自身も何のお咎めもなしというわけにもはいかない。そこで、始末書という形で戒めることになっていた。


「ま、今回はそれが珍しく役に立つってこった。お嬢、それは一種の誓約書になる。場合によっちゃそれが裏警察との交渉材料にされちまうから気を付けないと。まだ手を付けていなくて良かったぜ」

「……今はそんな効力を持たせているんだ」

「ああ。協会のせいでな。奴ら、何でも使えるものは使うようになってるぜ。一応、最後の砦として社長がいるけど、自衛するに越したことはねぇ。だから、迂闊なことを書かないようにしないと」


 来留芽が前に始末書ものの失敗をしたのはいつだっただろうか。もうずいぶん前なので今の始末書が厄介な性質を持っていることを知らなかった。

 しかし、確かに不思議に思うべきだったのだ。目の前の紙には微かに霊力の気配がしていることを。


「分かった。とはいえ、どう書けばいいのかさっぱりだけど」


 揚げ足を取られない書き方講習があれば今すぐ通いたいところだ。もっとも、このような状況でもなければまず頼らないと言えるが。


「そのために俺がいるんだ。伊達に年に数回も始末書、書いていないぜ」

「だから、それは威張れない。まぁ、今は助かるけど」


 そして、来留芽は薫の助言を受けつつ始末書の作成に入った。この紙に書くことそれ自体が制約となるのならば慎重にあたらなくてはならない。誰だって好き好んで自由を縛られたくはないのだから。


「ま、こんなもんだろ」

「……書けた、やっと……」


 最後の一文字まで気を抜けずに書ききった来留芽は疲れたように机に伏せて力を抜いた。そして、その手に握りしめていた万年筆がころりと転がる。


 天生目東高校の大蜘蛛騒動の何が問題だったのかというと、一番は現在休眠中の魔祓がバリンと粉々に割ってしまった窓ガラスの始末だった。不可解な事象をそのままにしてしまうと普通の人に裏のことを知られてしまう。それは避けねばならないこと。だから、本当ならあのときは修復符を使わなければならなかった。

 しかし、あろうことか来留芽達は箱のつくも神の空間から何とか抜け出してから、そのことを忘れてしまっていたのだ。そのため、不可解な事件として新聞に載ってしまった。今ごろは裏警察が誤魔化しに奔走しているのだろうが……。

 あれは明らかに来留芽の失態だった。


「その紙を社長に提出して終わりだぜ。丸めれば自動で向こうに行くから」


 それにしたがって来留芽は紙を丸める。すると、ポンッと小さな煙が立ち紙は小さな鳥となって窓から飛んでいった。式神化の術がかかっていたようだ。無駄に凝っている、と来留芽は筆記用具を片付けながら遠い目をする。誓約書というのは本当のようだ。あれが使われることになったらきっと面倒くさい仕事が舞い込んでくるのだろう。


「あ、いたいた。来留芽ちゃん、社長が呼んでいるよ」

「回収早ぇな!?」

「ん? 何のこと? というか、薫もいたんだ。ちょうど良い、仕事の話みたいだからあたし達も一緒に行くよ」


 薫が驚いたのはおそらくあの始末書が使われて来留芽に仕事が舞い込んできたのだと思ったからだろう。さすがに提出して一秒でそれはない……ないはずだ。

 一抹の不安を抱きながら、とりあえず巴について社長室のある階へ向かった。


「執務室じゃなくて応接室?」

「そそ。お客さんが来ているからさ……失礼します、来留芽を連れてきました。薫も関係者ではあるので同席させてもよろしいでしょうか?」


 扉を叩いてからはがらりと口調と雰囲気を変えた巴。その態度に、思わず来留芽は自分の服装を確認してしまう。適当に選んだトレーナーに黒のストレッチパンツ。部屋着一歩手前でとても客の前に出るような服ではないのだが、大丈夫だろうか。


「ああ、ぜひとも内容を知っていてもらいたい」

「来留芽ちゃん、薫も入って」


 どこかで聞いた声だった。しかし、どこで聞いたのかは思い出せない。記憶を辿ろうとする前に巴に呼ばれてしまったので、来留芽は客というのが誰なのかさっぱり分からないまま応接室へ入った。


「……失礼します。古戸来留芽です」

「紅松薫っす」

「よく来たな、二人とも。今日は裏警察の三笠殿から依頼があるそうだ」


 三笠という苗字には覚えがあった。来留芽が彼と会ったことがあるのは五月のころ、恵美里が裏側に引き込まれてしまう切っ掛けとなった事件の後のことだ。

 あの時と違うのは、その服装だろうか。社長が「裏警察の」と言ったように、今日の彼は警察の制服を着ていたのだ。ちなみに、前回は普通のスーツだった。


「久しいな」

「お久しぶり、です」

「巴、来留芽と薫もこちらに座れ」

「「はい」」


 三笠は前に会ったときとそう変わりはないようだった。ただ、少しだけピリッとした緊張感があるような気がする。それがこれから話される内容に関わってくるのかは分からないが、あまり厄介なものでなければ良いな、と胸の内に思う。


「先程まで彼と話していたのは出雲家周辺に妙な動きがあるというものだ」


 出雲家、という言葉に来留芽はげんなりする。協会幹部の家が関わるとろくなことがないと思っているからだった。

 もうこれは厄介事が舞い込んできたのだと認定して良いだろうか。


「そこからは俺がもう一度話します」


 どうやら裏警察は昨日の天生目東高校における事件が作為的なものだったのだという情報を得たという。あの周辺を担当している出雲路余一が本部に何の報告もしていなかったことから、それを確信したのだそうだ。つまり、あの大蜘蛛騒動は彼によって引き起こされた、意図的なものだったのだ。


 なぜ、彼がそうしたのかという話題に移る前に出雲家について情報を整理しておこう。


 日本霊能者協会の幹部となっている出雲家は神様の力や自然の力を借りる巫術師を多く輩出している家だ。協会の幹部として動いているのは出雲家の当主、出雲いずも健臣たけおみくらいらしいが、当主の言には従うという体制でこれまでやってきたため、彼の意見が出雲家およびその類縁の家の意見となる。

 とはいえ、そんな彼等もずっと団結していられるわけではない。家同士の軋轢はあるし、出雲を取りまとめる出雲家に対して類縁の家々は虎視眈々とその座を狙っているという噂もあった。


 ここで、三笠は出雲路余一が動いた理由について述べる。


「今回あいつが動いたのは出雲家の当主争いで優位に立つためでした」

「出雲健臣はいつから当主を追われそうな憂き目に遭っていたんだ? あの爺さんがそう簡単に許すとも思えないが」

「本部の仕事を受けている関係で関わることもありますが、出雲家は特に安定している印象が強いですね」

「ですからおそらく、最近の話です。ただ、やはり渡世社長が言うように、あの当主はそういった争いを放置するような質ではない。そこが妙なところなんです」


 妙だ、と言いながらも三笠自身に困惑した様子は見えない。何となく、その理由についても知っているのではないかと来留芽は思った。ただ、まだそれをこの場で口にする気はないようだ。


「それで、君はオールドアに何を求める?」

「助力と現協会側につかないという誓約を」


 それを聞いて、社長は目を瞑り、思案する。三笠がまだ情報を持っていることには気付いていた。依頼を受けると表明しない限りは話さないだろうということも。

 おそらく、この依頼を断るとこれに関係した情報はあまり得られないのだろう。その程度の手回しができずに裏警察で雌伏して時が至るのを待つなどという芸当を披露するのは不可能だ。


「もちろん、依頼料は支払いますし、何なら上乗せして――始末書の処理をうちで請け負っても良いですよ」


 沈黙に耐えかねてかさらに言葉を重ねてしまう三笠。口に出してからしまったと顔を歪めていたが実のところ、それはそこまで失敗の振る舞いではなかった。


「分かった。依頼を受けよう。早速だが、この始末書の処理を頼もうか」

「よろしく頼みます。始末書については適切に」


 ほっと安堵の息を吐いた三笠が持ってきた契約書に二つの署名が並んだ。双方が一部ずつこれを保管することで間違いのないようにする。


「それで、出雲家が妙なことになっている理由について話してもらえるな?」

「もちろんです。……まだ確認は取れていませんが、どうやら出雲家所有の妖輿図片が外に出ているようなのです。我々としては迂闊な者がそれを手にして当主となられてしまうのは困る。ですから、その確保を急がねばなりません。……本部に先んじて」


 それは、明確に彼と協会との溝を表している言葉だった。きっと海よりも深い闇のような溝だろう。


「妖輿図か……それが出歩いているというのなら、確かに急いで回収しなくては余計な騒ぎが起きそうだな。いや、すでに起こっているのか」

「妖輿図?」

「うん? 君は知らないのか。妖輿図というのは妖界全体の地図のことだ。これを持っているだけで霊力が底上げされたり、いろいろな効果がある。見た目はちょっとボロい紙みたいな感じだ。世界が現世と妖界に別れたとき、妖輿図は双方が再びつながる場となってしまう可能性があったからいくつかに分けられた。今の協会幹部の家々はこれを当主の証としている」


 だとしたら、出雲家の周辺で起こっているという妙な動きはそれが原因に違いない。

 これまでに妖輿図というものを聞いたことがなかったことに違和感を覚えつつ、来留芽はそう思った。


「でも、本部もそれを追っているというのなら、あたし達の方にも仕事として回ってくるかもしれないね」

「だよな。一応、取捨選択はできなくはないが、できなくはないってだけだから難しいだろうぜ」


 巴と薫は三笠を気を使う必要のある依頼者ではないと判断したようで、普段の話し方に戻していた。

 この二人はよく本部の仕事を受けていることもあって、懸念をこぼす。妖輿図の問題は大きいので本部の方も乗り出してくるかもしれないとのことだった。


「となれば、あまり本部の仕事を受けていない樹、細、来留芽に恵美里あたりに動いてもらうのが妥当か」


 社長の視線が来留芽に向かう。そこには、これ以上に仕事を増やしても大丈夫だろうかという思案が混じっていた。社員がどの程度の仕事を請け負っているのかを彼は把握しているのだ。


「昼間は学校があるから動けないけど、夜なら大丈夫」

「ああ、学生じゃ昼間は難しいか。おっと、失礼しました」

「別に口調については気にしないけど」

「そうか。最近、姪の話をしたからどうも引っ張られてしまう」


 三笠の姪というと……やはり、世界の改変を目論んでいる彼女のことだろうか。月白が誘拐されたあの事件からもう一月ほど経とうとしている。依然として彼女達の行方については不明なままだった。

 果たして、聞いて良いものだろうか。

 今、三笠正一と三笠美穂の関係を明らかにしたところで何の意味もないとは言えないのだが……考えることが多くなると動けなくなりそうなのが困る。

 もっとも、答えが返ってくるかどうかは別だ。


「それは、三笠美穂のこと?」

「ああ、君達は知っているのか。そうだ、美穂のことだ。あの子がまさかこちら側に関わっているとは思いもしなかった。確か、紅松薫という名前の……君か。迷惑をかけたな」

「ハハッ……バイクが大破したのは痛かったぜ……」

「それは、すまなかったな……」


 わずか二年で臨終を迎えたバイクを思い出して薫は涙目で乾いた笑いを零す。あれは、初めて薫がせっせと貯めたお金を使ってまで欲しいと思ったものだったのだ。もちろん、リスクを理解していなかったわけではない。薫とて長く裏側に浸ってきたのだ。例え新品であったとしても打ち捨てざるを得なくなる可能性が充分にあることは知っていた。

 とはいえ、納得ができるかというと、できないものなのだ。


「まぁ、それはもう、飲み込んだから蒸し返さないでくれよ……それより、確かあいつらって霊的資源を求めていたよな?」

「うん、たぶん、世界改変なんて難解なことをやるには力が足りないのだと思う」

「まぁ、叔父の立場からしても、彼等がそこまで霊能者として霊力を有しているとは思えない」

「っつうことは、だ」


 薫がそう言って一拍溜める。そして、人差し指を伸ばしてビシッと指摘する。


「今回のことにも関わってくるんじゃねぇの? オールドアはどう動きゃ良いんだ?」

「確かに、美穂達も狙いそうではあるな。その時は臨機応変に退けてくれ。基本的にそちらに頼みたいのはとあるつくも神の追跡だ」

「つくも神……」


 来留芽はそう呟いてから押し黙った。最近関わることが多くなっているな、とかつくも神である魔祓のせいで始末書を書く羽目になったんだった、と胸の内に曇天が広がっていくような心持ちになる。


「タマテバコ、と呼ばれるようなつくも神だそうだ。本体は宝石箱らしい」

「それって……!」


 思わず息を飲んでしまう。知らない言葉ではなかったからだ。それどころか、つい最近にそれを見てもいた。そして、来留芽自身はそのタマテバコと対峙したことがある。


「そう、天生目東高校で暴れたというつくも神、それの追跡と……可能であれば捕獲を頼みたい」

「やはり、そうだったか」


 来留芽のクラスメートである穂坂ルイのバンドメンバー、三井と坂田が持ち込んだ依頼で遭遇した謎のつくも神。彼こそが巴と薫の探していたものであり、通称タマテバコとされている宝箱のつくも神だったのだ。その情報は三笠に教えられずとも社長がすでに推測していたものだった。どうやらそれは正解だったらしい。


「――だったら、絶対に叩きのめす」


 敵がはっきりしたそのとき、来留芽は瞳に物騒な光を宿してそう呟いていた。


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