21 運命は交差して


 来留芽と月白は混沌とした儀式場を目にする。

 まず目に入る中央には膝をついた妖狐の姿があった。彼女が月白の母である湖月だろう。母を見つけた子鬼は思わず駆け出そうと一歩踏み出したが、手をつないでいた来留芽は軽く引っ張ってそれを止める。

 その直後に月白の鼻先を呪が飛んでいった。どうやら、ミホと月神様の戦いの余波らしい。


『ひぇっ……』

「ここは戦場だから、油断禁物」


 来留芽は月白よりは冷静にその戦場を分析し、時折流れてくる攻撃をいなす。そして、念のためにいくつかの呪や呪符を仕込んだ。儀式場はとても混戦模様を見せている。中央は社長と湖月がおり、周囲の戦いに気付いていないかのような無視っぷりで無駄に貫禄を感じた。周囲の戦いというのはミホと月神様の戦い、少年と月色の青年・白皇の戦いだ。どちらも攻守が激しく入れ替わり、社長がかけたであろう結界にもぶつかっている。あれでは流石の社長も消耗が激しくて長くは持たないだろう。

 社長の援護に向かうべきだろうかと思い、改めて中央を見る。湖月を守るようにして社長がいるが周囲の霊力の濃度がおかしい。今まで感じたことのないほどの質と量だったのだ。


「とりあえず、中央に行こう」

『留芽姉、それはだいじょうぶなのか?』

「社長の結界が張られているから、下手したらこの辺りより安全だと思う」

『分かった』


 そうと決まれば、さっさと行動に移すのが一番だ。そう思った来留芽は儀式場の霊力の流れを読み、その合間を縫って駆け出す。月白もそのすぐ後に続き、危なげなく呪や剣戟を避けていた。それをこなせた自分が信じられないのか、走りきってから小鬼は呆然とする。


「……社長。来留芽だけど」


 近寄ってみれば、社長は祝詞の途中だったようで声を出しての返事ができない状態にあった。しかし、その状態でも会話する方法はある。

 少し待っていると、結界の中から紙が一枚ぺらりと飛んできた。それは来留芽達の目の前に来ると唇の形になり、話し始める。


『来留芽、悪いな。見ての通り、今は手が離せないんだ。いや、口が話せないと言った方が適切かもしれない』

「見れば分かる。とりあえず、結界が心配だから外側にもう一枚張って良い?」

『……かなりの負荷がかかるぞ』

「それなら、それ用に調整する」

『なら良いだろう。正直、助かる』


 来留芽は呪符を核にして結界を張った。こちらの方法は呪符の霊力が尽きない限りは持つので来留芽自身のものを節約できるのだ。


『ははうえ……』


 月白が結界ぎりぎりまで湖月に近寄った、その時だった。


『うっ……ぐっ、ぁぁあああ!』

『は、ははうえ……?』

『まずい! 来留芽、月白を連れて離れろ!』


 湖月が突然苦しげな声を上げていた。明らかな異変に来留芽は顔を険しくする。そのすぐ後に飛んできた指示を聞いて反射的に月白を抱え、ついでに唇の形をした紙も引っ掴むと距離を取った。

 気付けば、二つの戦いが収まっている。湖月の異変に手を止めざるを得なかった様子だった。


「あーあ、ついに始まっちゃったか」

「ホヅミ、こうなると宝玉からの取り分が激減するんだけどぉ? ねぇ、どっからどう見ても奪えてないよねぇ? 自分の言葉、忘れたのあんた」

「ごめんって。でもさ、さすがに月の神様の眷属と戦うことになるとは思わないって」

「私は神様自体と戦っていたしね」


 軽口を言いながらもミホを守るようにホヅミが前に立ち、中央を警戒している。ついに、などと言っている辺り、二人はこうなる可能性を知っていたのだろうか。


『……お主等、一体何を知ってここにいるのだ?』

「それをあなた達に話す利点がこちらにあるのかなぁ?」

『ふむ。何を利点とするかはその者の価値観に左右されるからな』

「素直に分からないって言えばいいのにさ。まぁ、僕らの目的にそこの妖狐に憑いているものも関係しているし、ここは協力してあげても良いかもね」

『ふん、素直に協力すると言えばいいものを』


 先程まで対立していたこともあり、互いに協力関係を結ぶには思うところがあるようだ。しかし、湖月の異変に対してはどちらも解決しなくてはならない事情があるので、遠回しに協力を認めていた。


『ははうえぇ……』

「そーいえば、その小鬼は私が捕まえた奴だよねぇ?」


 すたすたと来留芽と月白の方へ歩いてきたミホは口元を歪ませながら小鬼を覗き込む。


『ひっ……留芽姉、助けて』

「ハクにこれ以上手を出すなら、こちらにも考えがある」

「さぁて、どうしようかなぁ?」


 ミホは月白のトラウマと化しているようだ。

 来留芽は月白を自分の体で隠すようにして後ろに下がらせるが、ミホは不気味な笑みを浮かべて「手を出さない」との明言を避けていた。例え協力するとなっても気は抜けそうにない。


「ミーホ、話が進まなくなるから黙っていてよ」

「はいはい。ホヅミ……そろそろ。黙るも何も、ここにいたらまずいよねぇ」

「じゃあ、ミホは離脱だね。後は任せといて」


 ミホとホヅミは小声で何やらやり取りをすると、ミホの方が中空に狭間を開き消えてしまった。そのあとを密かに追って消える鬼が一人。


『……お主等は、を御そうとしておるのか』

「あれはこっちの事情、月神様といえども手出しは無用! それよりも、向こうに集中して欲しいんだけど」


 向こう、と指されたのは湖月のいる中央だ。全員が同じように視線を向けた瞬間に起こった霊力の爆発に息を飲む。 


『いよいよ、生まれるようだな』

「何が」


 来留芽は驚き、戸惑い、恐れ、戦慄といった感情に波立った心を落ち着かせようとする。それで手一杯だったからか、考えるよりも先に言葉を出していた。そう口に出してからしまった、と内心で思う。本来なら、神様相手にはもう少し丁寧な対応をしておくべきなのだ。

 しかし、幸い月神様はその手の礼儀正しさを気にしていないようで、飄々としたままちらりと視線を来留芽へと下ろすと口を開いた。


『記憶の幽霊だ。それの成仏を以て今宵の儀式が完了する』

「そういえば、社長から聞いた気がする」

『知っているではないか。ほれ、見極めに近付くがよい』

「え……」

『ああ、お前も近くに行った方がよかろ』


 とん、と軽く背中を押される。たったそれだけで、気付けば来留芽は湖月のすぐ目の前に立っていた。手を伸ばせばその体に触れられそうな距離だ。

 ――つまり、社長の張った結界の中……!


「……っ!?」


 一拍遅れてその事実に気が付き、来留芽は息を飲んだ。そして、自分の服の裾を掴み小さな声で『ははうえ』と読んでいる子鬼の存在にも気が付いて体中の血が引いていくような気分に陥った。

 あの神様は、一体何をしてくれやがったのか。


『――主が申し訳ないことをした。驚いたろう』

「え……?」


 真後ろから聞こえた声にむしろ驚く。見ればあの月色の青年が立っていた。中性的な顔にどことなく申し訳なさそうな雰囲気を漂わせている。どうやらこの場所まで何らかの術で送り込まれたのは来留芽と月白だけではなかったらしい。

 それが安心要素なのか、と聞かれると答えようがないのだが。何せ、来留芽がこちらの戦場について理解する前に目まぐるしく状況が変わってしまったから。


「あの、あなたはなぜこちらへ?」

『彼女の中にいる霊が自分の……関わりのある者だからだろう』


 青年はそう言うとうずくまっている湖月の前に片膝を突いた。そして、そっとその肩に手を伸ばし、顔を上げさせる。


『聞こえているか――小夜子さよこ。そこに、いるか』


 その声に応えるように湖月の瞳の奥に感情が揺らぎ……ずるり、と抜け出した。

 月神様が“生まれる”という言葉を使った意味が良く分かる。ソレは現世でよく見かける幽霊と比べれば異質さがあった。普通の幽霊とは違い、霊力の質が異様に高いのだ。宝玉の力を使ったからかもしれない。

 幽霊が抜けたためか力を失い崩れ落ちるように傾ぐ湖月の体は青年が咄嗟に支え、そっと横にして寝かせていた。そして、立ち上がると幽霊の方を向く。

 来留芽と月白は横たわる湖月のそばに寄り、その様子を確認した。どうやら眠っているだけのようだ。

 彼女から現れたあの幽霊は一体何者だろうか。どうしてもそれが気になった来留芽は妖狐の様子を見るのは社長と月白に任せて、月色の青年が幽霊へと向き合う、その様子を見つめた。


『小夜子』


 青年が小夜子と呼ぶ幽霊は言葉なく夢幻をさ迷うかのように虚な目をしてふわりふわりと湖月から離れるように歩いているだけだった。しかし、声に反応して青年の方を向く。口元が微かに動いている。だ……れ、誰、と尋ねているようだ。


『記憶の中にもうはいないのか。……小夜子、俺はかつてあなたの夫だった男だ』


 小夜子にとってその言葉が意味するものはとても大きかったようで、幽霊に劇的な変化が起こる。ただあるがままにあったような霊力が確かに彼女のものとなったかのようだった。つまり、幽霊としての不自然さが薄まったのだ。


『あ……清太郎、さん……?』

『ああ。ずいぶんと色彩が変わってしまっているから、違和感があるかもしれないが、間違いなく俺は清太郎だ』


 青年が肯定すると小夜子は目から涙を溢れさせた。


『清太郎さん……ごめ、ごめんなさい。あなたを恨んでいたわけでは、なかったのです。愛せるなら、あなたを愛したかった。でも……できなかったのです』

『そうか。俺が至らなかったのだろうな』

『いいえ。たぶん、努力やただの心の問題ではなかった。私の中の何かが決定的に清太郎さんと合わなかったのです。魂が違っていたら、愛せたのかしら……』

『……そういえば、愛だなんだのとは聞いたことがなかったな……いや、俺がずっと勇気を出せずにいただけか。俺はあなたにしてはいけないことをしてしまったのかと思うとどうしても一歩が踏み出せなかった。死後にいくらでも聞く機会はあったというのにな』

『そうだったのですか?』

『俺は……いや、自分は今、月神様の付き人をしている。だから、その力をもってすればあなたをしばしこの世へ留めることは可能だった』


 その場に一瞬だけ沈黙が落ちる。その一瞬で来留芽は彼と彼女の間のあらゆる意味での溝を感じた気がした。生者と死者……それも、ただの生者と死者ではない。神様の付き人という神話的な存在と、厳密には記憶であり実在の証明も危うい幽霊。そこには歴然とした差があった。


『でもそんなの……人間じゃ、ない』

『そうだな。だが、自分をこうしたのは……あなただ』

『っ!』


 どこかちぐはぐに感じる二人の会話。生きている頃からこの様子だったとしたら、なるほど、確かにこの二人は夫婦として破綻してしまったことにも納得できる。

 とはいえ、ここからどうやって彼女の成仏へと持って行けばいいのかは皆目見当がつかないわけだが……。

 来留芽は懐からぺらっとした紙を取り出す。


「社長、どうするの。これ、見たところかなりこじれているというか解決の道が全然分からないんだけど」

『これは、月の徒に任せた方が良さそうだな』

「実質、依頼放棄?」

『いや……まだ、湖月の意識を戻すこと、子どもの魂を戻すことが残っている。あれは私達の仕事だ』

「なるほど」


 ――子どもの魂。なるほど

 託された魂がそれなのだろう。そう思って、来留芽は魂を収めているポケットを軽く握る。

 しかしそのとき、記憶の幽霊がふと来留芽の方を向いた。本当に、何が気になったでもなく何となく視線を向けた、それだけだったのだろう。しかし、気付いてしまった。


『不思議な光を感じるわ』

『小夜子?』

『蛍のように儚げに、でも穏やかな温もりで光っている。光、ね』


 彼女はふっと悲しげで寂しそうな笑みを浮かべた。そして、次の瞬間、苦悶に顔を歪ませる。


『うぅっ……あぁぁああ……!』

『小夜子!』

『まずい、その不安定な状態が続くと消滅してしまうぞ。やはり、早すぎたか』

「何とかできないの、社長」

『できるならとっくにしている。何かの核があれば良いんだが』

「核?」

『この世に存在する資格のある何かだ』


 来留芽はまた自分のポケットを軽く握った。まさか、それが“選択”なのだろうか。

 ――誰かが何かを選ぶことで誰かを生かす選択もあるのだと覚えておくと良い

 大樹の土地神様から言われたその言葉を思い出す。選択が誰かを生かす。確かにその可能性はあるだろう。しかし、逆にも考えられるのだ。……すなわち、選択が誰かを殺すのだと。片方を選んだら片方は選べない。それは当然のことだった。


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