20 儀式場へ急げ
白鬼の里。その入口に翡翠と恵美里がいた。月命酒による選別をかろうじて突破した二人は儀式の中心は厳しいかもしれないが、その外縁部ならば問題ないだろうと判断され、この場所にいる。儀式を見ることが叶わないのは残念でならなかったが、儀式による力の上昇や細かい制御がされていることを体感できるだけでも充分身になった。
「お母さん……この儀式、すごいね……」
「ええ、これほど規模の大きい儀式を行えるようになるまでどれほどかかるでしょうね」
月神様の力は里全体に及んでいた。それは神様自身ではなく、巫女によるものだ。同じ系統の術を使う者として、その技術には圧倒されるしかない。
「と、呆けているわけにはいかないのよ。恵美里、私達も術で補完しなきゃね」
「うん。分かってる……簡易で良いかな……?」
「ええ。それで良いと言われているわ」
巫女の術は本気でやるとなると大がかりな儀式を伴う。しかし、それでは時間も霊力も多く使うことになる。効率が悪いのだ。この場で翡翠と恵美里に求められているのは素早さなので、時間がかかる方法は取れない。
二人は顔を見合わせて頷くと同時にぱん、と柏手を打った。
「「祓いたまひ、清めたまへ」」
簡易にも程があると言いたくなるが、この一文には世のため人のためと身を削る思いで試行錯誤してきた先人の知恵で満ちている。それを翡翠と恵美里はこちら側についてまだ右も左も分からぬ時から社長や巴より教わっていた。
ちなみに、柏手を打つ手順一つに渡世家独自の簡易祝詞の技術がたっぷりと込められていたりする。
「これで……半径一五〇メートルくらいまでの異変は察知できる……はず」
「そうね。それじゃあ、恵美里。私はもう少し離れたところにいるから、何かあったら鬼の方に言うのよ。……お白さん、娘をよろしくお願いします」
『うん。任せといて』
翡翠と恵美里は同じ術を使う。その効果範囲が被ってしまってはもったいない。なので、それぞれ白鬼の里の者と組んで動くことになっていた。恵美里はお白と呼ばれている鬼と一緒に行動する。お白は鬼の中では小柄で恵美里と同じくらいだ。だから、親近感を覚える。とはいえ、生まれてからの年数は比べるまでもなくお白の方が上だが。
「よろしく……お願いします」
『うんうん、物理的な攻撃は任せといて』
そして、しばらく何もないまま見張りを続けてあまりの変化のなさに気が抜けそうになったときのことだ。突然、恵美里の探知範囲内に何者かが現れたことに気付く。
「っ、反応あり……三人? 場所はここから東」
『里の方か。早速向かうね』
「うん……まずは様子見でお願い……します」
人には到底出せない速さでお白は駆けて行く。その背中に恵美里がいるのだが、まるでバイクに乗っているときのような景色に目を回しそうだった。
「いた……!」
里の中心部にある広場。そこに三人がいた。探知範囲内であることも確認し、彼等が先程感じた対象であると判断する。
『ハク坊? ハク坊だねっ! お前達は何者か? 坊を離しなさい!』
「お白さん……大丈夫だよ。だって、その二人は……」
――味方、だから
恵美里がそう言うと、お白は力が抜けたように座り込んだ。ちょうど良いのでその背中から降りて三人を見る。
どうやら、来留芽と巴が月白を伴ってこの里へやって来たようだ。来留芽の腕に抱かれて、見覚えのある小鬼が手を振っていた。
「来留芽ちゃん……巴さん……月白くんの救出ができたんだね……」
「うん。ハクは無事。恵美里、こっちの状況は分かる?」
思ったよりしっかりしている様子の来留芽がそう尋ねる。恵美里は眉を八の字にして若干申し訳なさそうな顔で答えた。
「外の方は……特に変化がないよ。……屋敷の方は分からないの……ただ、湖月さんの術がまだ動いているから、終わってはいない……と思うけど……」
「そっか。じゃあ、あたし達は屋敷の方へ行った方が良さそうだ。ふふふふふ……終わっていないなら向こうの組織の残りがこっちにいるかもね。まとめて引っ捕らえる大チャンス……!」
巴が不気味な笑い声を響かせる。早くも月神様の力の影響が現れているようだ。彼女の場合はテンションの危うい向上という風になるらしい。
「と……巴、さん……?」
「恵美里、巴姉はちょっと酔ってるだけだから」
完全に酔った巴は上機嫌で遠慮のない攻撃をするようになる。力の残量を気にしないので適当なところで落とさなければならない。いつもなら社長や細、同席していれば透が止めるのだが、今回はどうなることやら。
「来留芽ちゃんは……大丈夫……?」
「私の場合は眠気として現れるみたいだけど、そういえば意識はしっかりしている……今のところ、問題ない」
『ハク坊も屋敷の方へ行くのかい?』
『そのつもりだぞ! ちちうえにも、ははうえにも、我が無事であるところを見せなきゃならないからな』
気を取り直したように立ち上がったお白は月白の返答に頭を抱えてしまった。
『向こうは危険かもしれないんだよ? 鬼頭も湖月様もむしろ来るなと言うのではないかな』
『……それでも、行かなきゃならないのだ』
静かにそう返答した月白は来留芽の肩の部分をぎゅっと握る。抱っこしている来留芽は彼が小さく震えていることも分かってしまった。
「私も選択をしなくてはならないの」
「選択……?」
「私とハクが任されてしまった。だから、巴姉はともかく、私とハクは絶対に屋敷に行かなくてはならない」
事情を全て説明するには来留芽自身も分からないことが多すぎた。
分かっていることだけを話すには、抱えている選択肢が重すぎる。
「っ! ……何?」
『鬼頭の屋敷の方だね』
そのとき、強い力が北の方から立ち上るのを感じた。来留芽達はハッとしてその方向へ視線を向ける。
「……月神様の力……」
「時間がないのかもしれない。ごめん、説明不足で悪いけど、行くから」
来留芽は踵を返すと屋敷へと駆け出した。通常、神様がそうと分かるほど強い力を使うことはない。よほど追い詰められた状況か、意図して使うのでない限りは。ただ、追い詰められた状況であればもっと余裕のない力の放出となったはず。そうではないということは、あれは意図的に使われたものだったということになる。
つまり――
「月白、大丈夫?」
『うん……』
来留芽と月白は並ぶようにして走る。途中まで抱きかかえられていた月白は気持ちを切り替えたらしく、自分で走ると主張したからだ。ちなみに、巴は一通り説明をしてから追いかけてくることになっている。
『我ががんばれば……』
寿絆編王様の分身はこの子鬼にも選択を担わせていた。それを知ったのは、来留芽があの神の分身から人形を委ねられたと細と巴に相談したときのことだ。月白もまた選択肢を提示されたのだと思い詰めたような瞳で話してくれた。提示された選択肢は二つ。肉親を失うか、犠牲を他人に押し付けるか。
来留芽の手の中にある生命の祝福とやらと合わせて考えれば、自ずと答えが出てくる。
――あの儀式場で、命を落とすか落としかねない何かが起こる
あの分身にとってはそれしか選択肢がなかったとはいえ、まだ幼い子どもに対してずいぶんと酷な選択肢を提示したものだ。
「そろそろ屋敷か……」
『大丈夫だ、留芽姉。我はちゃんと選べるから。むしろ、留芽姉こそ大丈夫なのか?』
「大丈夫」
来留芽の思いを読み取ったように月白は言う。重圧に押し潰されそうなのは共通しているが、小鬼の方が早く気持ちを持ち直したようだ。人を気遣うとは、ずいぶんと成長した。
上から目線でそう感心していると、ようやく白皇の屋敷の門が見えてきた。その前に見覚えのある姿が仁王立ちしている。
「あん? お嬢!? と、ハクかっ!」
「薫兄」
「おいおい大丈夫なのか、お嬢。月神様の影響をもろに受けていたよな?」
「今は大丈夫。それより、通って良い? 儀式場へ行かなくてはならないから」
「ああ、良いぜ。できれば、中で加勢してくれると助かる。どうも戦いになっているみてぇだからな」
本音を言えば加勢しに行きたい。そう顔で語っていたが、もともとの役割に専念することにしたらしい。来留芽達を見送って、追いかけてくることはなかった。
『る、留芽姉。何か、すごく嫌な感じだ……!』
月白が来留芽の服の裾をぎゅっと掴む。そのまま足も止めてしまった。嫌な感じと言うが、おそらく戦いの気配に恐怖を感じているのだろう。
「大丈夫。私がついているから」
来留芽は服を掴む小さな手の上に自分のものを重ねてそっと離させる。そのとき月白がまた小さく震えていることに気付いたので、勇気づけるようにその手を握り込んだ。
「行こう。私達が戦いを収めるのだから」
『うん……』
屋敷の中では不思議なほど誰にも会わなかった。まるで、良く似た無人の世界に迷い込んだようだった。しかし、奥に向かうにつれて武装した鬼や狐が倒れているのが見えてくる。
『……みんな……』
「たぶん、月神様の力にあてられてしまったのだと思う。死んではいない」
『……良かった……』
来留芽と月白は倒れている者達を跨いでその先へと急ぐ。奥へ奥へと歩くにつれて月神様の力も強くなっていた。
『あ、おぼろ! そんな……おぼろまで』
「親しい相手?」
『おぼろは、ははうえの側近だぞ』
朧、という名前の妖狐は覚えがある。今、目の前に座り込んでいるのは変化した姿なのだろう。
『……ぼっ……ちゃま……?』
『おぼろ!』
細い声が聞こえた。月白が騒いだからか、朧の意識が戻ったようだ。しかし、ひどく辛そうに話す。
『……みすみすと……誘拐を許してしまい……申し訳……ありませぬ』
『お前があやまるひつようはない。我がおろかだったのだ』
『そのようなことは……』
月白は否定しようとする朧の口元に人差し指を当てて黙らせる。どこか気障っぽい仕草に子鬼の将来が若干不安に思えたが、今はそれを指摘している場合ではなかった。
『おぼろ、話せるだけで良い。何があったのだ?』
『強い力の波が……重なり、意識を刈り取られたのです。ぼっちゃま……儀式場は危のうございます』
『それでも、それでも我は行かなきゃならないのだ』
月白の決意に満ちた瞳と言葉に対して、朧は感動した様子でうるうると目を潤わせていた。
『ぼっちゃま。……でしたら、こちらを頼んでもよろしいでしょうか』
朧は震える手で懐から微かに光る玉を取り出す。
『朧の……勘にございまする……この、御子様の魂を……湖月様の元に……』
『おぼろ、それは……』
「――それは、私が預かっても良い?」
月白も気付いていたようで、ちらりと視線が向けられた。きっと、来留芽に預けるように説得しようとしたのだろう。しかし、ここは来留芽自身で言うべきことだと判断した。
二人の様子に朧は戸惑いを見せる。
『お嬢さん……それは……』
「私の方も、勘でしかないけど……
『……では、貴女に託しまする……。しかし! 失うことは、許しませぬ……ゆめゆめ、忘れなさるな』
最後の力を振り絞ったように、眼光鋭くそう釘を指す。そして、朧は糸が切れたようにがくりと体から力を抜いた。
『おぼろ!』
「……大丈夫。眠っているだけ」
軽く妖狐の状態を確認すると、来留芽は立ち上がった。儀式場はもう目の前にある。
「月白。何が見えても取り乱さないように」
『……分かってるぞ』
近付くだけで先にあるのは戦場だと分かったのでありったけの呪や呪符を使って気配諸々を消しておいた。これで、早々に標的にされて苦境に立たされることはないはずだ。
「行こう」
そして、二人はおそろしく強い神力が支配するその場所へ踏み込んだ。
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