14 異端が異端じゃなくなる世界
薫が転がしたクレーンの頭部分になるのだろうか。来留芽達がいる場所から少し離れたところに少女が腰掛けていた。顔の上部だけを覆うような仮面を付けている。見えている口元は弧を描いていた。
「誰?」
「私は、ミホ」
ミホと名乗った少女はそれだけ言うと座っていたところからひょいと飛び降りた。そして、来留芽達には目もくれずにそのまま道路の反対側へと歩いて行く。おそらく、工事の足場を巻き込んでクレーンを落としたのは彼女の仕業だろう。感じ取れた霊力の残り香のようなものは彼女に感じるものと一致していた。
「私はこの世界が大っ嫌い。霊能者ってだけで危険極まりない生活を強いられるんだもんねぇ。だから……力を手に入れたら全てをひっくり返してやる。あなた達も敵に回るなら容赦はしない。これはほんの警告程度のことだから」
これ、とはおそらくクレーンを落としたことだろう。もし本気で不意打ちに来られたら……対応は難しいかもしれない。そう思わせることが目的なのだろうか。
「……ひっくり返すって、あなた達が目指しているのはいったいどんな世界?」
来留芽がそう尋ねてみれば、ミホは足を止める。そして、背中を向けたまま答えた。
「異端が異端じゃなくなる世界。私達にあるリスクは全て分散させる」
「おいおい、そこまで言っちゃって良いのか? ボス」
「似たようなことは言っていたじゃない。それにー、隠すようなものでもないしぃ」
焦ったような様子を見せた男に対してミホは「あはは」と笑った。まるで、そのうち実現するから問題ないとでも言うかのようだ。世界の改変などというおおそれた目的に対して、例え来留芽達の妨害があったとしても押し通してやるという強い意思がそこにはあった。
「さっき、ガクトも言っていたけどねぇ。これを宣戦布告と取ってもらってもいいから。改めて社長さんか鬼の頭に伝えといて。『月影の宝玉』がなければおちびさんの命は保証しない、とねぇ」
不遜なまでに失敗を考えていない態度だった。それを崩そうにも月白を人質に取られているので動くに動けない来留芽達である。それに、今は薫も怪我をしているのだ。無茶な真似は出来なかった。
ミホが道の反対側へたどり着くかというときのことだ。急に暴れ出した月白が口を押さえていた男の手から逃れる。そして、来留芽達を真っ直ぐに見ると叫んだ。
『留芽姉! 我は、元気だから! 父上にも……!』
「おやぁ、学習能力のないおちびさんがいるねぇ?」
『ひっ』
「悪い子は、お仕置きだよねぇ?」
タイミングが悪かったとしか言いようがない。月白はすぐそばに来ていたミホに掴まれ吊り上げられてしまった。お仕置きと言った少女に見えるのはどろりとした悪意だ。そんな彼女が手をかざすと、月白はくたりと意識を失ったように力が抜けてしまっていた。強制的に意識を奪われたのだろう。
「止めろ! ……っぐぅ……」
流石に見過ごせず薫が声を上げる。だが、先程の怪我が響いていたらしく、呻くとよろめいた。来留芽はそこを支えるようにして寄り添う。そのまま、月白の方へ視線を向けたその時だった。
『ハク様を傷付けることはこの朧が許しませにょっ!?』
『噛みましたね、朧様』
『それより、大丈夫ですか月白様!』
突然、来留芽達の背後のビルから三つの影が飛び降りてきた。普通のものよりも大きな狐だ。月明かりに白く浮かぶ姿はどこか神々しさを感じるが、その言動のせいでどこか残念な雰囲気が漂う。とはいえ、おそらく彼女達は白狐。普通の妖狐よりはずっと強いあやかしだ。そして月白のことを知っている風なので白鬼の里に住まう者なのだろう。
「ちぇっ、やっぱり撒ききれなかったかー。急ぐよ、ガクト」
「え、予定の場所はどうするんだよ?」
「場所はそのまま。私なら何とかできるしー」
ミホが無造作に腕を振ると彼女達のそばに狭間の穴が現れた。ブラックホールのように何もかもを飲み込んでしまいそうな入口だ。少女はそれについては恐れも見せずに縁へと足を掛ける。
――逃げられてしまう
来留芽はほんの二十メートル先に月白がいるというのに何も出来ない身を情けなく思い、唇を噛みしめた。せめて少しでも来留芽達が有利になるように向こうの力を削げれば良かったのだが、現状はむしろこちら側が力を削がれてしまっている。
『させませぬ!』
朧と呼ばれていた、三匹の中では大きい白狐が青白い炎の玉を放った。向こうには月白がいるのにと思ったが、そこは彼のことを案じていた彼女のことだ。月白だけは無事に済むように調整していたのかもしれない。
「無駄だ、無駄ぁ!」
しかし、ガクトと呼ばれていた男が炎の玉に向き直ると腕だけを鬼化して握り潰してしまう。半妖とあやかしではそこまで極端な相性の善し悪しはない。それなのに男は朧の攻撃をあっさりと潰してしまった。それはつまり、男の半妖としての力が白狐の力を上回っているということだ。
「ガク、早くしろ」
「おうよ。とりあえず、これ頼むぜ」
穴の向こう側から顔を出した何者かに男は月白を放り投げた。そして、手近なブロックを引きちぎると来留芽達の方をめがけて投げてくる。瞬く間に到達したそれは瞬間的に反応した薫が一つを砕き、もう一つは来留芽が咄嗟に取り出した呪符で砂となった。正解の呪符を取り出せて良かったと来留芽はホッとする。不正解であればきっとあのブロックは赤い花を一つ咲かせたに違いない。しかし、来留芽の横にいた薫は不機嫌さを露わにする。
「あの野郎……逃げやがった」
ほんの一瞬、朧達を含めた五人が向けられた攻撃へと意識を逸らした隙に男は狭間を潜って行ったらしい。
『もともとそのつもりであったのだろう。しかし、攻撃した私ではなくお嬢さんの方へ投げるとは、なんと卑劣な男か』
『あのような奴等に囚われたままの月白様が不憫でなりませぬ。早くお助けしなくては』
狐達はそう言うと、気持ちを切り替えたように決意をみなぎらせて次なる目的地へと飛び立とうとする。彼女達は決断も行動も早いらしい。
飛び立たれては困る来留芽は慌てて引き留めた。
「ちょっと待って。ハクを助けたいのはこちらも同じ。彼等が現れると考えられる場所がいくつか判明しているからここは共同戦線を張らない?」
『おや、お嬢さん、判明しているとは?』
「決戦となるのは明日だと思う。場所はたぶん天文台。それと、儀式場も注意すべき場所になる」
『ふむ。根拠は?』
「一つは、言ノ葉様……神様から聞いたことから推測して。もう一つは、あの場所がいろいろな意味で“場”として整っているから。まだ術の優位性を競り合ってるし」
今も術を動かしているからこそ分かる。罠を仕掛けたミホという少女……彼女はあの場所を諦めていない。来留芽にしても諦めてはいないのだが、それでも離れた場所から浸食を防ごうとするのはかなり負担になっていた。
『朧様。此度のことに関してはやはり人の子の関わりが深い』
『確かに、人と足並みを揃えて立ち向かうときかもしれませぬ。湖月様の儀式が明日に迫っていたとは……』
「オールドアとしては、戦力は歓迎する。それに、たぶん月の儀式からが勝負だから、里にいて不自然ではないあなた達が控えているというのは重要」
その考えはなかったのか、彼女達は互いに相談し始める。とはいえ、敬愛する湖月のそばに控えていることを求められているのだ。拒否する理由はなかった。
「あとは……」
「この惨状をどう誤魔化すか、だな」
来留芽達がいるこの場所は正しく事故現場と言うべき状況だった。あやかしとの戦いなどで力を振るった後は必ずと言っていいほど破壊跡の始末が待っている。たいていは修復符で事足りる。しかし、今回はビルの上から落ちてきたクレーンに合わせて細かい足場などもあり、それらを組み立て直すのは修復術の範囲外だった。単純にひび割れや歪みを直すことは容易なのだが、直したものをどのようにして上へ持って行くかという問題が出て来てしまう。
「事故として片付けてもらうしかない」
「てことは、裏警察を呼ぶしかないのか……」
表だろうが裏だろうが、警察にはお世話になりたくないものだ。しかし、我儘を言っていられない状況だった。この場所に掛けられた人払いの術、最初は敵方のミホあたりが掛けていたが、途中からは朧達が掛け直していた。それがそろそろ効果が薄くなってくるのだ。十分もしないうちにここの状況に気付く人が出てくるだろう。その前に間に合えば良いと思いながら、来留芽は裏警察へと連絡した。
「幸い、怪我人として薫兄がいるからこの場所にいた説明はつく」
「俺のバイクもあるしな……今回は二年の命か。短かったな……」
大破した自分のバイクの欠片を悲しげに見て項垂れる薫は置いておき、来留芽は狐達の方へ視線を向ける。
「あなたたちはオールドアに向かってもらえる? 社長に話せば計画に組み込んでもらえると思う」
そう告げれば、彼女達は頷き合ってオールドアに向かうと返答した。場所についてはすでに知っているとのこと。どうやらミホという少女がオールドアへ手紙を送り込んだところを捕捉したのだという。
「手紙っつうか脅迫状だよな、それ」
『内容は知らぬ。しかし、善きものである気配はなかった以上、そなたの言う脅迫状が正しいのかもしれぬな』
良くも悪くも事態は進んでいるということだろう。若干、来留芽側の準備が足りていない気もするが、十全の状態で行えることなどそうないのだからどこかで妥協しなくてはならない。
『さて、我等は先に行こう』
そうして飛び立った狐達を見送ると、来留芽は薫を路肩に座らせた。ここまで立っていたのだが、それも限界を迎えていたようだ。
「救急車を呼ばれることになるかもね」
「これくらいなら大丈夫だろ。少し休めばまた動ける」
薫は来留芽からスマホを借りると社長に連絡を取り、経緯を説明する。薫自身のスマホは残念ながらバイクと運命を共にしてしまったのだ。
一方で来留芽はクレーンに仕掛けられていたであろうミホの術式を特定しようとしていた。警察が到着するまでに少しでも相手の情報を充実させようと思ったからだ。
「呪と呪詛をうまく使って腐食させているみたい。この系統の術を得意とするのは……」
大きい家としては三笠がそれに該当する。腐食という点から見れば畑中の毒蛙も相当なものだが、あの家は改革には向かない性格だ。世界を改変せんとする者に家の力……毒蛙の持ち出しを許すだろうか。
とはいえ、霊能者の家は協会幹部の七氏だけではない。隠れた実力者がついに行動し始めた可能性もある。
そこまで考えたとき、とうとう人払いが効かなくなったのか辺りの惨状に気付く一般人が現れる。
「お、おい、クレーンが落ちているぞ!? そこの人! 大丈夫か!」
かけられた声に薫はおざなりに手を上げる。あちこち怪我をして血が滲んでいるが、ぶつかる瞬間は鬼化していたので骨が折れるなどの重症は負っていない。
「あー、警察はもう呼んでいるから」
「そうか! しかし、見れば見るほど悲惨な状況だな……あれ? 何か潰れたのか?」
いち早く駆け寄ってきた彼は飛び散っているものの一部に想像とは違う色を見つけたのか、疑問を口にした。それを受けて薫はずずんと落ち込み頭を抱える。
「俺のバイクとヘルメットだ」
「それは……うん、残念だったな。でも命は無事だったんだから」
「まぁ、そうだな」
そして、警察も到着する。やって来たのは矢島と言う名前の人だ。彼は状況を把握してすぐに人払いを行っていた。仕事が早いということはまともな裏警察の人だろう。
「では、この場所はしばらくはこのままにします。負傷者は病院へ……」
「いや、見た目はこうだけど傷が深いわけじゃねぇから大丈夫だ」
「では、念のため名前と所属を教えていただけますか。お二人とも」
彼ならば知られてもそう悪いことにはならなさそうだと考え、来留芽と薫は素直に自分の名前を告げる。
「紅松薫と古戸来留芽ですね……所属はオールドアと……オールドア!?」
所属を話すと二度見される。ひょっとして、すでに会社と何かがあったのだろうか。
「何か、問題でも?」
「いえ、いつもうちの室長がお世話になっていて」
「室長?」
「三笠です。念のため言っておきますとうちのメンバーは反協会に近いところにいるのでご安心を」
「……それは、言っても良かったの?」
裏警察は霊能者協会の一部署になる。そこの所属の人がはっきりと反抗の意を表して良いのだろうか。
「室長からも言われているので大丈夫です。オールドアにはオープンでいた方が何かと楽だと」
「開けっ広げ過ぎるのもそれはそれで心配になるけどな」
「うーん、しかし、うちは室長から再三恐怖の京極という話を聞いていますからね」
細を恐がる気持ちは分からないでもない。しかし、三笠という人は恐がりすぎている気もする。二人の間に一体何があったのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます