13 不愉快な術
バイクに二人乗りして来留芽と薫は同区の南を目指していた。斑も普通の人には見えない鎌鼬姿で薫の頭の上にいる。しかし、そろそろ日が陰り現世の境界が少しばかり曖昧になる頃合だ。人によっては斑の姿が見えてしまうかもしれない。そのため来留芽としては斑を妖界へ返すか高高度を飛んで着いてきてもらうかして欲しいのだが、あろうことか、この鎌鼬はぐーすかと寝こけているのだった。
「のんきなものだよなぁ」
「でも、斑がここまで消耗していながら現世に居続けるのも珍しいけど」
「こいつ、消耗してんのか?」
薫は正面を向いたままそう尋ねた。斑が自分のヘルメットの上で寝ていることは気付いていたが、そこまで消耗しているとは思っていなかったらしい。来留芽から見れば斑は結構無理しているように見えるのだが、それはひょっとしたら術者と式神という関係だから分かるのかもしれない。
「本人は認めたがらないだろうけど、それなりには消耗していると思う」
来留芽はふっと張りつめた糸を緩ませたような目をすると薫の頭の上から斑を引き取り、お腹辺りに抱えた。見える人がいた場合に気付かれないように、よしんば気付かれても猫程度にしか思われないように鎌鼬らしい部分を隠すのだ。
やはり、来留芽の呪詛に触れたのが良くなかったに違いない。何の影響もないなんて、それは嘘だったのだ。それほどまで頼りなかったのだろうかと呪詛の行使者としては気になってしまう。
「何かあったのかもしれねぇな。俺は気付けなかったけど。お嬢も気付けなかったとしたら」
「……あやかしにしか分からない罠だったってこと? でも、それって」
――あやかしこそを罠にかけるものだったのでは
そんな考えがふと浮かんでしまったが、そう外れたものでもないような気がするのだ。もっと言うならば来留芽の式神こそを標的としていた可能性もある。もしそうだとしたら、相手は……
「――薫兄。どうしてこの道には誰もいないの?」
思考に沈む寸前で来留芽はふと気が付いた。大通りを走っているというのに対向車どころか先行車や後続車、歩行者すら影も形もない。
「は? っ、まさか!? ちょっと止めるぞ、お嬢!」
薫も今気が付いたかのようにハッとした。そして、バイクを止めてヘルメットを外すと外の様子を確認する。来留芽もヘルメットは付けたまま、周囲を警戒した。四車線の大通り。道の両端にはビルが並び、二人がいる場所のちょうど後ろは工事中のようで足場とシートがかけられている。だが、誰もいない。これだけ人の気配がないということはこの空間が隔離されている可能性がある。そのような真似ができるのは……来留芽達の界隈の者しかいない。
『……不愉快な術の気配がしますね』
「斑、目が覚めたの」
『どうやら僕は寝ていたようですね。不覚を取りました』
どうやら、斑がすやすやと寝ていたのは何らかの術の影響もあったようだ。だが、目が覚めたからにはその影響も薄れているはず。戦力として換算しても良いだろう。
「説明らしい説明はできないけど、ついさっきこの付近が人払いされていることに気が付いたの」
『ここに来るまで気付けなかったということでしょうか。となると、誘い込まれた可能性がありますね』
人目がないので斑は鎌鼬の姿のまま宙に浮き、周囲を見回していた。術の起点を探しているのだ。人払いも術で成されている以上はその起点とも言うべきものがどこかにある。例えば呪符であったり、何かの目立つものが媒体となっていたりするのだ。それさえ壊してしまえば表の世へと戻れる。とはいえ、今回のこれはかなり大がかりに仕掛けられているものだ。術の起点となるものもきっと巧妙に隠されている。もしくはとても小さいものを起点としているかもしれない。
固まっているだけでは埒があかないので少しだけ散らばろうと提案しようとしたその時、対向車線側から車の走る重低音が響いてきた。
「何か来るぞ、気を付けろお嬢、斑」
「分かってる」
『ええ……』
斑が来留芽の肩に乗り、小さく妖力を動かした。来留芽もいくつかの呪符をすぐ取り出せる位置に潜めておく。
そして、その姿が見えてくる。
「バイク……」
薫の黒っぽい車体のものとよく似た形状だ。違うのは色だろうか。やって来たバイクは白が基調となっていた。乗っているのは背の高い男と子どもだ。現代に似つかわしくない着物を着ている子ども。その正体は言わずとも分かる。
彼等は来留芽達のいるちょうど反対側に来ると止まった。
『留芽姉っ!』
「こらこら、逃がすわけないだろーが」
やはり、月白だった。こちらに腕を伸ばし逃げてこようとするのだが、当然、それを許すような相手ではない。子鬼は男によって後ろ襟を掴まれ猫の子のように持ち上げられてしまっていた。
『むぐぐぐぐ……』
「黙ってねぇと処分されちまうぜ?」
「ハク!」
男の残虐な選択肢に来留芽はハクを案じる。流石にそこまで言われてはそれ以上暴れることも身の危険を覚えたようで、口を押さえられたハクは力なく持ち上げられるばかりになった。少なくとも大人しくしていれば命は取られないのだろう。そう思えたから少しだけ気を緩めた。
「てか、やっぱりあんたらだったか。オールドア」
なぜ来留芽達がオールドアの者だと断定できたのか。その疑問を瞳に溜めて男を見据えた。こちらは相手のことを一切知らないのに、相手にはこちらのことを知られている。それにはどうしても危機感を煽られ、不愉快な感情が呼び起こされる。
「仕掛けに触っただろ? うちのボスが仕掛けた罠だ」
「やっぱり……」
罠、と言われて来留芽はやはり、と頷いてしまう。
やはり、天文台に仕掛けていた樹の術が歪になっていたのは罠だったのだ。浸食され、浸食し返したそのやり取りは向こうにも伝わってしまったのだろう。
来留芽達の様子を見て、男は皮肉気な笑みを口元に形作る。
「けど、驚いたぜ。対応が早すぎるってな。まぁ、詰めが甘いからこんな術に引っ掛かるんだろーけど。おっと、俺を狙っても無駄だぜ。こいつがどうなっても良いってんなら別だけどな」
男の言葉にシャーっと怒りを露わにしたのは斑だった。おそらく、そのまま風刃を放とうとしたのだろうが、月白が盾となるように持ち上げられ、首を絞めようとするかのように手が当てられたのを見て攻撃を止める。来留芽は斑を落ち着かせるようにそのけば立った背を撫でた。
「私達を閉じ込めたのは、なぜ?」
男は、その問いを待っていたと言うかのように笑みを深める。それと時を同じくしてビルの合間に日の光が落ちた。闇が辺りを支配し始める。
「これは、宣戦布告だ。俺達は渡世と古戸が隠している霊的資源を奪わせてもらう」
来留芽のものか、薫のものか、ゴクリと唾を飲み込む音がする。明確に敵であると立場を明らかにした相手に思うのはなぜ、というものだった。
標的は渡世家と古戸家だということだろう。霊的資源とは、無色家の清流筆紋のように霊力を底上げする呪物などのことを指す。今回の場合は湖月の儀式によって力を増す『月影の宝玉』が狙われている。とはいえ、厳密にはオールドアのものではないし、隠しているわけでもない。月白の誘拐事件が起こらなければオールドアに紐付くものでもなかったはずだ。
「はっ、馬鹿じゃねぇの。この時代に霊的資源を潤沢に持っているところなんてないだろ」
「薫兄の言う通り、オールドアだって資源はそう持っていない。ハクを対価に奪おうとしているものだってオールドアの所有というわけじゃない」
そう、それが真実のはずだ。宣戦布告は見当外れのものだと言える。だからといって、今狙われている白鬼の里を見捨てるという選択肢はないのだが。
「さてな。ただの戦闘員である俺が知ったこっちゃねぇ」
「目的は何なの。力を付けようとする目的は」
「さて、な。答える筋合いはねぇな」
目的が見えない以上、何が狙われるかの判断も付けられない。ただの戦闘員と言っているが口の堅さは相当のもののようだ。もっとも、誘導尋問めいたものは来留芽ではなくて樹の得意分野なのだから情報を得られなくて落ち込むことはそうない。
そのとき、様子を見ていた薫が向こうに気付かれないようにして囁いてきた。
「……来留芽。気を付けろ。俺が見た限り、ここまでの術をあいつだけで出来るはずがねぇ」
『それには同意します。先程から風が阻害されているので』
「仲間がいるということ? 確かに……」
人払いの術自体はたいていの霊能者は使える。しかし、今回のように大掛かりなものはそれに見合った頭数を揃えるか儀式を行うしかないのだ。とはいえ、儀式を行った場合は力の動きが顕著になる。気付けないとは思えなかった。消去法的に考えると向こうが行ったのは頭数を揃える方だと言える。
「……ああ、そうだ。そっちの奴に一つ言いたいことがあったんだ」
「俺のことか?」
「ああ、ご同輩。あんた、人とあやかしとの間の子だろ? この生きにくい世界に一緒に風穴を開けないか、とのご案内だ」
来留芽は思わず薫を見上げてしまう。彼の経歴についてはほんの少ししか知らないが、半妖であるからこそ普通の人からも霊能者からも爪弾きにされた経験を持っていることは聞いたことがあった。今でこそオールドアでのんびり過ごしているが、ふとした瞬間に他者を信じられない排他的な心の動きを見せられることがある。
人の社会は過ごしにくいものだ。来留芽でさえそう思うのだから、咄嗟の時に振るえる力が鬼のそれである薫は余計に難しいものだったのではないだろうか。
「そんな顔をする必要はないぜ、お嬢。オールドアにいて、お嬢がいたからこそ、俺は変われたんだからな」
どんな顔をしていたのか、それは来留芽自身が知ることは出来なかったが、薫が似合わない優しい笑みを見せてしまうくらい頼りないものだったのだろう。ぽんぽんと頭に手を乗せられて撫でられる。これは、気にするなという無言の言葉。
来留芽が落ち着いたのを見て、薫はキッと男の方を睨んだ。
「お前らとは行かねぇ! 俺の居場所はオールドアにこそある」
薫はこれ以上なくはっきり「断る」と叫んだ。そしてオールドアにこそ自分の居場所があるのだと言われて、来留芽の内にこそばゆい気持ちが沸き上がる。
「生きにくい世界だぁ? ああ、その通りだぜ。てか、そんなもん当たり前だろうが。けどな、俺は諦めちゃいねぇ。ここから少しずつ足掻いて、俺の世界を充実させていく」
「そんな泥臭い作業をよくやろうと思えるな。一気に塗り変えてしまった方がずっと楽だろうが」
「どうだろうな。けど、この方が人らしくて良いだろ?」
「あんたは人に価値を置くか……それじゃあ、相容れないな」
薫の言葉を聞いても男には何も響かなかったらしい。むしろ一気に興味が失われたようで、こちらを見る瞳に冷酷な色が混じる。静かな殺意が向けられて来留芽は体を硬くした。斑も毛を逆立て唸る。
『どうかご無事で、お嬢、薫!』
それは警告でもあった。まさに直前になってされたものだったのだ。
斑は言葉を発すると一瞬のうちに上へと飛ぶ。同時に強い風が下から上へと吹き上がった。視界を離れていく斑の尻尾の軌道を追って来留芽は空へと顔を向けるが、予想していたような夜空は見えず、赤と白の鉄の首が視界いっぱいに映り目を見開く。
「な……あ……」
「『鬼の腕よいまここに』!」
薫に抱き込まれ身を屈めたかと思うと、体の芯から揺らされるかのような重い地響きが襲いかかる。それと同時に何度か鈍い衝撃を感じた。薫の腕に背中に落ちてきたものが打ち付けられた衝撃に違いない。どれだけの重さが彼に掛かったのか。想像しようもなく、来留芽は固く瞑った目を開けなかった。
「……大丈夫か、お嬢」
「私は特に怪我も無い。けど、薫兄こそ……大丈夫なの」
しばらくして囁くように安否を確認されるが、来留芽としては薫への心配の方が勝っていた。なかなか動かせない体を何とか捻って顔を見ようとする。
「見るんじゃねぇ。大丈夫だから」
――そんなはずがない
赤と白の鉄の首……あれはタワークレーンだった。いくら鬼化して頑丈にしていたとしてもビルの上から落ちてきた鉄の塊にしたたかに打たれて無事で済むはずがないのだ。しかも、今回は不意を打たれている。準備だってまともに出来ていない。
「ところで、斑の奴は?」
「たぶん、強制帰還したと思う」
来留芽の場合、式神には瀕死の状態になったら強制的に妖界へ戻す約束をしている。あちら側に戻れば致命傷を受けてもしばらくすれば回復するからだ。斑の動向は術者の来留芽だからこそ把握出来ているところもあった。彼は警告をした後、使える力のほとんどを使ってクレーンに付されていた呪詛を吹き飛ばし、落下を押しとどめていた。しかし、力及ばず激突し妖界送りとなったのだ。
「っつぅことは、俺が潰れていねぇのも斑のおかげってことだ。もうちょっと見せ場がなきゃやってられねぇな」
「薫兄……」
薫はぐぐっと体に力を入れて立ち上がる。ビル工事の足場を作っていたのだろう板や棒を振り払い、背に乗っていたクレーンの首を跳ね上げ後方へ転がした。鉄が打ち合う音が闇を切り裂く。しゃがんでいた来留芽も立ち上がると真っ先に薫の様子を確認し、ビリビリに割けた服の袖から覗く腕に赤い筋が走っていることに気付いて息を飲んだ。
――血だ
怪我をしているのだ。それを見て、咄嗟に動けず守られるばかりだった自分が情けなくなりグッと息が詰まる。
そのとき、呆れたような感心したような声が落ちてきた。
「へぇ。あれだけのものを受けて無事なんだぁ」
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