7 歯を食いしばって耐えろ


 ***



 鍵の掛かった扉。重苦しいカーテン。埃のにおいがするベッド。それなりの期間使われていないと考えられるその部屋は、最近になって小さな入居者を迎え入れていた。もっとも、本意ではないのは明らかで、その小さな住人は当初、腕は縛られ目隠しまでされていた。だが、今はその縛めも少しだけ緩んでいる。連れてこられたその日の内に、命が握られていることを思い知らされてからは全く抵抗しなくなったからだ。扉も窓も床も天井も破れなかった。出せる全ての力が通じなかったことは一時的にでも抵抗する意思を奪っていた。

 ベッドの上で薄い毛布に包まり膝を抱えているその頭には小さな角が見え隠れしている。現代的な部屋に閉じ込められていたのは人ならざる者であった。


『ははうえ……ちちうえ……』


 小さな入居者、月白はひどく暗い部屋にいた。明るさという意味でも、雰囲気という意味でもだ。寂しさに母や父を呼んでみても当然のこと、応えはない。だが、本当に独りぼっちであるかというと、そうでもない。


『きぃ……』

『出て来ちゃだめだぞ』


 家鳴りが一匹だけ月白の着物の衿辺りから顔を出す。だが、子鬼の手によってすぐさま着物の中へ押し戻されてしまった。誘拐犯達はきっと月白だけがここにいると思っている。だから、家鳴りが見つかってしまったら取り上げられるか……最悪、処分されてしまうだろう。

 その最悪の予想に体を震わせたちょうどその時、部屋の扉がガチャガチャと鍵を開ける音が聞こえてきた。月白は慣れた様子で毛布を頭の上まで引き上げて丸まる。


「うぇ~い、チビ。食事の時間だぞ~」


 愉快な喋りをするこの男は誘拐犯の一味だ。朝昼夜と定刻に食事を持ってくる月白の食事係。まだ若いのに働いている様子がないので、きっと「にーと」とかいう人間の一種だろうと思っている。


「お~い、ずっと包まっていんのか? 亀か? 亀じゃないよな? いや、食っちゃ寝してんだから豚か?」


 時間にして五分ほど男は適当に月白へ話しかけてくる。毎回その内容は異なるのだが、閉じ込められているこの屋敷についてはまったく情報を漏らさない。意図的に話さないようにしているのか、それとも反応を返せばぽろっと漏らしてくれるのか。分からないのだが、前者であればそれなりに頭の回る有能な敵と考えられ、後者であれば月白が助かる。とはいえ、危険な賭はしたくなかった。


「チェッ……反応なしかよ。珍しいもんがいるって言うから来たのによ~」


 五分間黙ったままでいれば男は舌打ちすると諦めて離れていく。月白はそれに気が付いてもしばらくは顔を出さない。扉に再び鍵が掛けられた音がしてから、そろりと顔を出すのだ。それは、この場所に攫われてきてからお決まりの行動だった。


『……食べよう』

『きぃ!』

『お前にもやるから心配するひつようはないぞ』


 月白と家鳴りは一人前の食事を分け合って食べる。少しの量でも満腹感を得るために何度も噛み締めて。どうやら誘拐犯は鬼の子どもを死なせるつもりはないらしく、食事だけはしっかり出してくれていた。里では出されないような料理の数々だが、戸惑うことはなかった。月白自身は今まで浮世へ行くことはなかったが、そこでよく食べられているという料理については狐達から聞いたことがあるからだ。さんどいっち、ぱすた、かれーらいす、すぱげてぃ、ぐらたん……不思議な音で紡がれるそれらは有名な料理らしく、見た目も教えてもらっていた。


『今日のはたぶん……さんどいっち』


 パンに具が挟まれているものが「さんどいっち」であると聞いた。パンが丸い形であるとは聞いたことがないが、特徴は合っている。


『きぃ』

『うん、丸いお肉と、チーズ、葉っぱ、あと、苦い何か。食べられなくもない』


 浮世ではそれをハンバーガーと呼ぶことを知らず、サンドイッチだと思いながら月白と家鳴りは食べきった。ちょうどそれを見計らったかのように扉から鍵を開ける音が響いてくる。月白は慌てて家鳴りをひっつかむと自分の懐へ放り、毛布に包まる。


「うぇ~い、チビ、食事の回収の時間だぞ~」


 食事を運んできた時と同じような言葉を言って、男が入ってくる。ここ数日と同じやりとだ。そして、今度もまた月白は返事をしない。言葉を返すのは、相手を受け入れることになるからだ。誘拐犯なんかに言葉を与える価値など見出さない。


「チビも強情だなぁ。助けなんて来ないだろうに。もう何日目だ? お前の親父も本気で探しちゃいねぇんだろ」

『……っ』


 攻め方を変えたのか、男は月白が考えないようにしていた“可能性”を言い始めた。彼が言葉にするたびに本当に助かる可能性が減っていくような不吉な予感を覚え、思わず「黙れ」と叫んでしまいそうになる。


「ああ、そうだ。明日はここから移動する。言っておくが、そうやって隠れているだけで助かると思うなよ。お前が見捨てられたのなら、こっちにゃもう用はねぇんだ。待っているのは――処分、だぜ」


 忠告めいたその言葉を残して男は部屋から出て行った。しばらくしてから毛布から顔を出した月白は壁に背を押し当てて膝を引き寄せるとそこに顔を伏せる。よく見れば肩を小さく震わせていた。


『きぃ……?』


 泣いているのか、と心配した家鳴りが襟元から顔を出す。その顔にぽたりぽたりと雨が落ちた。いや、雨ではない。涙だ。


『な、泣かないんだ。泣いてなんかない。ちちうえの子だから、あんなやつらに弱さは見せない』


 ぐちゃぐちゃの顔はすぐに袖で消し去る。そしてぐるぐると底無しの沼に落ちそうな思いを身の内に留めるために口を一文字に結んだ。

 ――泣いてやるものか

 父、母、鬼達、狐達……里の皆を信じる。きっと助けは来る。月白がこの場所でやることは決まっている。我慢比べだ。



 ***



 白鬼頭の子ども、月白が行方不明になってから数日経つ。この間に白皇の元へは脅迫状が届いていた。その内容は月白の身柄と引き替えに『月影の宝玉』を渡せというものだった。

 手紙が白鬼の里に投げ込まれていた、という情報を、現物を持って知らせてきたのは湖月の側近をしているおぼろという狐だ。夜半に里をうろついていたところ、それが落ちていることに気が付いたのだという。

 白皇は中身を確認すると、立ち上がりった。その拍子にぐしゃっと紙が歪んでしまう。うっかり手に力が入ってしまったようだ。


『……』


 深く息を吐くと、屋敷を出る。今回は湖月に話さなかった。彼女の体調が悪化しており、手紙の話題がそぐわないと思ったからだ。


『白皇様! どこかへ行かれるのですか?』

『ああ、浮世へ』

『そう、でしたか……』


 声を掛けた鬼は振り向いた白皇の顔を見て気圧されたかのように息を飲んだ。何とか言葉を返したものの、続けるつもりだった言葉は空気へ溶けてしまった。視線がその顔に固定されたまま一歩、二歩と下がり道を空ける。様子を見ていた他の鬼も同様に道の端へと並んだ。

 その理由は白鬼の頭の表情にあった。白皇は常ではあり得ない、笑顔のようなものを浮かべていたのだ。だが、決して愉快な感情からではない。それは怒りを隠し妖気を押さえるために張り付けた表情だった。


『ついでに頭も冷やしてこよう。このままでは我が里の方々ほうぼうに悪影響を与えかねん』


 里の広場までやって来ると、白皇は無造作に腕を振り狭間を開いた。強いあやかしは任意の場所に狭間を開けることができる。そして、その先の出口もある程度定められるのだ。


『白皇様。仮に里において異変が起こったらどうすれば?』

『オールドアへ連絡すればよかろう。浮世においてはあそこが一番俺達のことを考えて動いてくれるからな。ああ、こことはつなげやすくしているから心配する必要はない』

『分かりました』


 そして、白皇は狭間に立つ。頻繁に景色を変えるこの空間は、今回は上も下も曇天を見せていた。


『さて、オールドアへつながるのはどこだったか……』


 移り変わる狭間と浮世の流れを読み取り、道を開こうとする。慣れればすでに開かれた出入口もつながっている先を察することが出来るが、狭間の景色が変わってしまったらさすがに難しい。それでも意図的に残した目印はしばらく機能するものであるが……。


『もっとも、まだ子どもの息子では難しかっただろうな。家鳴りを帰したことは誉めてやれるが』


 不意に白皇はオールドアにつながる狭間を開く。その頃にはもう怒り等の感情は表面的にはきれいに抑えられていた。とはいえ、腹の内は怒りで煮立ったままだが……。

 そして、曇天に暖色の光が射す形になった穴へ踏み込む。


「……」

『……』


 つながった先は白く温かい煙が立ち込める、湿度の高い部屋だった。そして鍛え上げられているのが良く分かる肉体。視界の多くを占める肌色に思考が凍結する。


「……白皇か?」


 互いに固まること数秒。肌色の人物がぼつりとそう尋ねて凍った時間が動き出す。


『……ああ、俺だ。時間と場所が悪かったようだな、出直そう』


 今は妖界も浮世も夜更けであったと思い出す。どうやら白皇は守の入浴タイムに邪魔してしまったらしい。場所もどうやら予定していたところからズレてしまったようだ。誰も得をしないこのハプニングは却って白皇の頭を冷やした。


「いや、戻る必要はない。先に浴室から出て待っていてもらえるか。誰かしらはいるはずだ」

『ああ、分かった』


 浴室から出た白皇はオールドアの住居部分で寛いでいた面々を驚かせたが、すぐに馴染んでいた。ちょっとした酒盛りになってしまったそこへ風呂上がりの守が加わる。


「……それで、用件は何だ? 白皇」

『まずは、里にこんな脅迫状が来たという報告だ』


 白皇はテーブルの上に手紙を放った。一番に手を出した守がそれをためつすがめつ見る。


「脅迫状? 里への侵入を許したのか?」

『いや……おそらく、狭間を開いて投げ入れただけだろう。里は今、あれを開きやすくしているからな』


 仮に侵入していたら里の鬼に見つかって騒ぎになるはずだ。今は誰もが警戒しているのだから。


「なるほど。それを見越して行ったのであれば相当考えているだろうが……」

『月白をさらった方法をそれとなく示しただけだとも言える。問題は、内容だ』


 中身の脅迫状が一巡して、再びテーブルの真ん中に置かれる。白皇はその上に手を乗せ、ある一点を人差し指で叩いた。守、細、薫の視線が集まる。


「なるほど。『月影の宝玉』と引き換えなら鬼の子どもを返す用意がある、と書かれているな。控えめに言っても脅迫状か」

『どう取り繕おうとも脅迫状だ』


 憮然として白皇は守の言葉を切り捨てた。


「ところで、『月影の宝玉』ってのは何なんすか。宝玉と言うからには何か貴重なもんなん……っすよね?」


 薫が首を傾げてそう尋ねる。他のメンバーもその点は気になっていたので白皇へと視線が集まった。


『無論、貴重なものだ。月影の宝玉は月が満ちた夜、俺の妻が儀式をすることで力を蓄える』

「湖月は確か……月の巫女をしていたか。月ということはもしや……」


 守自身は依頼のこともあって湖月を直接知っている。だから、白皇の言葉に含まれたキーワードから察するものがあった。それが正しいと言うかのように白皇は頷く。


『ああ、そうだ。月影の宝玉はその関係もあって神力が混ざる。あやかしだろうが霊能者だろうが宝玉を使えば確実に力が増すだろう。だが最も肝心なのは、使い方によってはこの宝玉が神に対する願いの対価となるという点だ』

「そりゃあ、狙われるだろ」


 霊能者は力が落ちてきている。それをドーピング的に引き上げられるものは垂涎の的だ。それ以上に“これさえあれば神に願いを叶えてもらえる”というのは危険だ。例え、それが可能性の域を出ないのだとしても。


『そうだ。だからこそ、我が里の全てを以て隠してきた。それなのに、どうも奴等はあれのことを知っているという』

「内通者でもいるのか?」

『考えたくはないが、その可能性は否定しきれない。日時も狙ったようにこちら側にとって不利なところを指定しているからな』


 明後日の夜。それが指定された日時だった。その日その時間が如何に都合が悪いのかはすぐに白皇の口から語られる。


『明後日は満月で湖月は無理をしてでも儀式を行うだろう。幸か不幸かその儀式で宝玉に力が満ちることになる。ただ、湖月の力がかなり削られるから、回復するまでの間は里の者を守りに就かせなくてはならない』

「つまり、こちらの戦力が削がれる状況になるということか。ついでに言えば彼女の回復のために私も詰めなくてはならない」


 宝玉を手に入れるために敵はどうしても姿を現すことになる。ベストなのはその時にまとめて捕まえることだが、戦力が削がれた状態では不安が残る。月白を回収することに集中した方が良いのかもしれない。みすみす逃すという結果になってしまうだろうが……。


「月白を取り返す、という目的だけは見失うな」


 社長としての守の言葉に細、薫はしっかりと頷いた。


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