14 髪飾りを求めて


 ***



 時は少しさかのぼる。

 怒りに支配され、周囲への配慮が一瞬消え去った。それに合わせて妖気が爆発したのだろう。気付けば妹人魚は一人、接見の間に立っていた。目の前にいたはずのレンは奥へ吹き飛ばされている。彼女よりも下がる位置にいた社長と巴も部屋の隅まで吹き飛ばされていた。そして、何よりも被害が大きいのはその部屋の壁だった。海坊主でも悠々と通れるほどの大穴が開いてしまっていたのだ。


『我ながら酷い暴走ぶりね……皆、死んでないわよね?』


 少し呆然とした後、酷い攻撃を受けただろう三人の様子を見る。身動き一つしない様子に殺してしまったのかと心底焦った。流石に殺人歴が付いた状態ではシュウに合わせる顔がない。


『社長さんと巴さんは……生きてはいるみたい?』


 気を失っているが、生きている。それは三人とも同じだった。違うのは人間二人が擦過傷程度で済んでいる一方でレンはおそらく骨折までいっていることだろうか。


『あってよかった魔女の軟膏』


 昔……妹人魚が生まれたばかりの頃はレンの宮が遊び場だった。遊びに行くたびに打ち身を作ってくる彼女を心配して姉人魚達がどこからか調達してきた魔女の軟膏を持たせたのだ。たまにそれが煩わしくて宮のあちこちに隠した。それが今も残っていたようだ。魔女の軟膏という遊び心のある名前をつけられているが、悪いものではない。妖界でのみ流通する特別な薬だ。

 彼女はそれをレンの患部に塗ると少し様子を見る。毒々しい色に染まっているだけで肌を溶かすなど危険な効果は無さそうだった。妖界の薬は使用期限が決められていない。流石にいつまでも使えるという物はないはずなので使用期限等が書かれていないのは単に無精しただけだろう。ただ、万が一あまりに放置されすぎて毒性を持ってしまっていたりしたら流石の海坊主でも倒れるかもしれない。だから、念のためだった。


『……まぁ、大丈夫よね』


 たぶん、と言葉尻につけながら妹人魚はレンから離れ、二人の元へ向かう。爆発に気が付いたのだろう。扉の向こうが騒がしくなっていた。入ってこられる前に逃げなくてはならない。彼女は力なく伸びている二人の手を握り、水流を起こすと壁の穴から勢いよく外へ飛び出した。

 飛び出した彼女が向かうのは宮よりも北西方面にある海草の森だった。この森は魚人もあまり近寄らない。足や腕を引っ掛ける罠がたくさんあり、動きを阻害されるからだ。たいていはその上を泳いで行動する。森へ入る者などいないという思い込みがあるからかえって隠れるのには適していたりする。

 するすると罠を避けて奥まったところへ向かう。どこか慣れた様子なのはこの森も昔の遊び場だったからであり、今なお存在する罠は彼女自身が作成したものだったからだ。罠の看破も避けるのも問題なく行えるのは当然だ。


『それにしても、まだ残っていたのね……レン兄様も寂しく思ってくれていたのかしら』


 彼女は昔からレンを兄と慕っていた。そして、度々姉の心配を出し抜いてあの海月宮へ遊びに行っていた。この場所もかつて彼女の世界の一つだったのだ。

 しかし、よりによってレンに閉じ込められてからは思い出すこともしなかった。もうここに自分がいた跡など残っていないものと思っていたからだ。

 思い出してしまえば辛くなる。だったら思い出さないように記憶の底へ沈めてしまえば良い。牢獄では無意識にそれを実行していたのかもしれない。

 揺れる気持ちを抑えつけ、泳ぎを止めて地面に腰を下ろした。まだ気を失ったままの社長と巴は両隣に寝かせる。


『この辺りならしばらくは追いつかれないはず』


 一度空を向き、目を閉じて息を吐く。そしてそのまま後ろに生えている大きな海草に背を預けて肩の力を抜いた。爆発を起こすほどの妖力を使ってしまった彼女は休憩が必要な程度には消耗していたのだ。



「――……ん……」


 何か声が聞こえたかと思うと肩に手が置かれて揺すられる。その刺激で妹人魚の意識が覚醒した。随分と深く寝入ってしまっていたようだと思いつつ目を開けて、この場所に彼女と社長、巴以外の第三者がいるということに気が付き、はっきり目が覚めたのだろう。咄嗟に肩の手を振り払い、両隣にいる二人の腕を取って下がろうとしたが、手は空を切り何もつかめなかった。それに驚いて慌てて周りを見回せば、二人とも既に体を起こしていたからだと分かって彼女は胸を撫でおろした。そもそも、肩に手を置いて揺すっていたのは巴だった。


『あ……目が覚めたのね』


 頭が回っていなかったとはいえ、あの牢獄から助けてくれた人に対して手を振り払うような乱暴な行為をしてしまったことに対する気まずさに妹人魚は目を泳がせていた。

 巴も彼女のそんな心理を察していたので咎めることはしないで、気を失っていた間のことを尋ねようとする。


「ああ、うん。人魚さんも……正直、何があったのかさっぱり分かっていないけど……体は大丈夫? 爆発があったんだよね? そんな衝撃だった」

『ええ……あれは、妖力の暴走に伴う爆発よ。私のものが原因だから、私自身は何ともないわ。……ところで、そちらの方は巴さん達の知り合いなの?』


 視線は少し離れたところにいる樹とその隣にいるスーツ姿のまだ若い女性、そして彼女を囲うように体を回している大きな黒猫に向けられていた。


「うん。彼女は来留芽。べったり張り付いているように見えるのは茄子と言って来留芽ちゃんの式神だね。オールドアの社員で今日は別行動の予定だったんだけど合流することになったみたいね」

『別行動?』

「そう。来留芽ちゃん達は姉人魚達のツテから貴女の約束の相手と髪飾りを探しに向かっていたんだ」

『髪飾り……もしかして、レン兄様のところにあったのかしら?』


 ただ可能性を呟いただけのようだったが、来留芽は一歩前に出てそれを肯定した。


「おそらくは。海の盟主様に尋ねたところ、レン様が知っていると仰って私達……ええと、細兄と樹兄、私と薫兄は海月宮へ行くところだった。ちょうどその時に海底が揺れるほどの何かが起こって……今、海の盟主様はご自身で確認に向かっている」

『そう。もし髪飾りがレン兄様の元にあるのなら戻らないといけないわね』


 スティーナはぽつりとそう呟く。少し気が進まないといった様子だったが、深く息を吐いた後、気を取り直すかのように頬を軽く叩くと顔を上げた。


『さて、海の盟主様がいるうちに辿り着きたいわね。二人は私が連れて行けるけれど、逆に言えば二人しか連れて行けないの。社長さんと巴さん……でいいかしら?』


 それを聞いて来留芽の背中側にいた茄子が伏せて言った。


『じゃあ、お嬢はこっちだな。ほれ、さっさと乗った乗った』

「え~と、僕は自力で行けと?」


 茄子は男を乗せたがらないので樹だけ爪弾きにされてしまう。


「でも、こっちを見回る人も必要……あれ、爆発の原因がスティーナさんだったらもう警戒する必要がない?」


 来留芽と樹がこの場所に残ったのは逃げてくる者への足止めのためだった。この場合、逃げてくる者とは爆発を起こした犯人かそれに関わる者であると考えられるので、求められているのはスティーナの足止めということになる。


「だったら、あたしが猫に乗せてもらえば良いんじゃないの。ね、恋なすび」

『恋なすびじゃねーっての……。まぁ、一応巴も女だし……あだっ』


 巴は茄子のことを“恋なすび”と呼んでいる。来留芽が茄子を呼び出すときの「来い、茄子」という台詞は知らずに聞いていたら“こいなす”になる。そこから“恋なすび”の呼称を思いついたのだそうだ。

 茄子はもう長くその名前でいるが、流石に“恋なすび”呼びには抵抗感を示していた。だからこそ、巴はからかいと茄子のセクハラ的発言への意趣返しがてら頑固にその呼び方を使っている。


「一応って何かな? あたしは生物学上も間違いなく女だからね? まったく、本当に困った口だよねぇ」

『あだだだだっ』


 巴は茄子に近寄るとその髭をむんずと掴んで力の限り引っ張っていた。主たる来留芽は視線を逸らして見ないようにする。茄子に助けはない。


『じゃれ合いはそれくらいにしておいてもらえる? 社長さんと樹さんは私と一緒に向かいましょう。猫又さんは……補助が必要かしら』

『いや、要らねぇよ』


 茄子の言葉に人魚は頷くとふわりとした動きで泳ぎ始める。それでいて海の盟主に引けを取らない速さが出ていた。茄子もグッと四肢に力を入れた後、人魚を追って勢いよく飛び出していく。


『お嬢、巴、振り落とされるなよ』

「ちょ、茄子、どれだけスピード出すつもりっ……!」


 そして、少し泳いだ先に見えたのは壁に大きな穴の空いた海月宮とその周囲を片付けている魚人達、海坊主二人に細と薫だった。海坊主二人は海の盟主とレンだろう。彼等は何やら話をしているようだった。随分と感情的になっているらしく、来留芽達にも会話が聞こえてくる。


 海の盟主は諭していた。妹人魚……スティーナはリスクを理解して約束をしたのだと。そこへはレンが介入して良いものではないのだと。彼は彼女の選択を勝手だと怒りはせず、許していた。その選択を尊重し、認めていた。

 約束相手であるシュウのことだって……そう、スティーナがあの幼子に希望を見出し、自らの願いを託したのは彼に約束を守ってくれる誠実さを感じたからだ。海では愚かさを求められているのかと思ってしまうほど過保護に守られるだけだったスティーナとて名前を預けるということの意味を知らないわけではない。

 簡単に忘れられ、約束を反故にしてしまうような相手を選ぶはずがない。まさに、その通りだった。


 海月宮の広場に到着してすぐに彼女は海の盟主の言葉を肯定する。彼女と少し遅れてやって来た茄子に海の盟主とレン、魚人達の驚いた視線が突き刺さった。

 そんな中で、彼女はレンを見据えて口を開く。


『私はもう、庇護を必要とするような子どもではないわ。私を見くびらないで。レン兄様が心配するようなことは何もないの。私の約束相手……シュウは約束を果たしてくれているから』


 消滅の危機が迫っているのはスティーナ側の問題だ。


『そう……か。それならもう、スゥの約束相手を殺しに行こうとする必要はないな』

『そんなことを企んでいたの? それじゃあ、私が人を見る目がないと言っているようなものじゃない。酷い!』


 スティーナが眦を吊り上げてそう言うとレンはひたすら頭を下げていた。そんな二人を海の盟主は呆れの入った声で止める。


『二人とも、そこまでにせよ』


 スティーナはレンに閉じ込められていたのだが、存外禍根は残っていないようだった。この分ならば姉人魚達との諍いも比較的早くに収束するかもしれない。そんなことを考えつつ、海の盟主はレンに向き直って話を変える。


『ところで、海月宮を破壊した原因がまだ分かっていないのだが……レン、知っているか?』

『あ……盟主様。あの壁のことなら原因は私です。……レン兄様、ごめんなさい。骨折していたところは軟膏を塗ったけど』

『魔女の軟膏か? この色もそれか。しかし、一体いつのだったんだ……』


 レンは何となく本人は知らないが骨折していた腕を摩る。自分の無意識の行動に、やはり骨折はしていたのだと気付いた。


『何というか……骨折していたことは体が覚えているのかもしれないな。感覚的には何ともない』

『それは良かったわ』


 一方で海の盟主はスティーナが罰の悪そうな顔をして打ち明けたことに目と口を丸くしたままだった。驚きすぎて言葉が出てこなかったようだ。


『なるほど……道理で、残してきたはずの二人がこちらへ来ているわけだ』


 聞き損ねていた来留芽と樹、茄子がこの場にいる理由が分かった。海月宮の壁破壊についてはある意味身内の犯行なのでいくらでも収めようがある。

 海の盟主はもう一度スティーナとレンの様子を見て、特にわだかまりが残っているようには見えないことを確認すると二人の間に手刀を降ろし、会話を止めた。


『もう一つ聞きたいことがある。彼女の髪飾りについてだ』

『そうだったわ。私の真珠の髪飾り。あれには大切な記憶が込められているの。レン兄様……どこにあるのか知らないかしら?』


 髪飾りと言う言葉にレンは一瞬きょとんとしたが、スティーナに目を向けるとにわかに顔色を変えた。それはあまり良い予感がしない変わりようだった。


『――……い。……んだ』

『レン兄様? もう少し大きい声で……』

『……すまない。もう壊してしまったんだ』


 その言葉を聞いたスティーナから音が遠のいていった。そして、その代わりのようにレンの絶望の言葉が壊れたように何度も頭の中で再生される。


 ――すまない。もうこわしてしまったんだ


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