13 怪獣戦争一歩手前
海月宮の異変。それを見て海の盟主は険しい顔をすると巨体バージョンに変化し、来留芽達をひとまとめに攫うと大急ぎで現場へ向かった。
そんな彼の手の中で、来留芽達は指の隙間からの水流に煽られ上下左右不規則にシャッフルされる。一番被害を受けているのは薫だろう。細にぶつかっては蹴り飛ばされ、樹にぶつかっては拳を振るわれていた。扱いが酷いが、それでへばる薫ではない。
「うわぁぁあああ……へぶっ」
「目が……回る……」
来留芽も薫のフォローに回る余裕など無かった。人の手というものは巨大であっても意外と掴むところがないと知った。どうしても滑ってしまうのだ。
『情けねぇなー、お嬢。ほら、掴まっとけ』
「ありがと、茄子」
唯一水流に煽られること無くどっしりと構えていた茄子に言われて来留芽はふわりと寄せられた尻尾を掴み、ようやく落ち着く。茄子がそうしていられたのはどうやら掌に爪を立てているからのようだった。爪を立てているというか軽く刺しているのではないかと思ったが、その恩恵を受けている身分で何か言えるとは思わないので考えなかったことにする。海の盟主も何も言わないのでおそらく蚊に刺された程度にしか感じないのだろう。
「茄子。何が起こったんだと思う?」
『さてな。おっそろしいほど強ぇ妖力だったから……どこかの大妖怪が襲撃に来たんじゃねぇの。地震を起こせるほどってぇと……あまり考えたくないけどなー』
面倒事に巻き込まれてしまったことは確定だろうか。海の盟主が運んでくれているので現場で状況を見ることが出来るのは良いことかもしれないが、大妖怪の戦闘の余波に対応しきれるかどうかが問題だ。
『聞こえるか、霊能者よ』
「え~と、海の盟主様?」
揺れがだいぶ収まったことで落ち着いた樹が返答する。細と薫はまだぐったりしていて声を出す余裕もないようだった。
『そうだ。近くまで来たからそろそろ降ろそうと思うのだが、大丈夫か?』
「もちろんだよ~」
流石は海に生きるあやかしだ。二つの宮は来留芽達からすればかなりの距離があったのに少しの間シャッフルされることと握られる恐怖に耐えるだけで到着してしまった。天井のようになっていた右手が離れ、外の様子が良く分かるようになる。
来留芽達が居たのは海の盟主の宮……勇魚宮から山があるように見えた場所の頂のようだった。つまり、現在位置から海月宮が見える。遠目にだが見える宮は壁が吹き飛ばされたのか、穴が空いていた。思わず振り返って勇魚宮を見る。あそこと海月宮は似ていると言える。……壁の厚さも。思い出せる限りではそう簡単にぶち抜ける厚さではなかったはずだ。
「あんな風に穴、開くの?」
来留芽は唖然としてそう呟いた。
『普通はないな。危険があると困るから霊能者達にはこの場所か目の前の崖を降りてすぐのところで待機していてもらいたい』
「いや、私達にも加勢させてください」
少しグロッキー状態から回復した細がそう主張する。
この場所まで来られたのはあくまでも海の盟主の気遣いで、騒動への対応には関わらせてもらえないとしたら連れてきてもらった意義を見出せない。来留芽達には力がある。そして、仮にあやかしが暴れているとしたらそれを鎮圧する手助けをするのは当然のことだった。
『しかし、客人に戦わせるのは……。それに、人は水中では思うように動けまい』
細の言葉に海の盟主は少し考え込む素振りをしたが、“客人”と認識している来留芽達の手を借りるということに対していい顔をしない。
「水中は確かに人間本来の動きが出来る空間ではありませんが、私達も霊能者です。戦いの心得はありますし、仮に何かあっても全ては自己責任であること程度は承知しています」
『ふむ。そこまで言うのならば手伝いを頼もう。数人はここで待機してもらうのは同じだ。万が一こちらへ逃げてくる者がいた場合、捕らえるか足止めをしていてくれ。その他は私に掴まっておれ。速さ重視で行くことにする』
それを聞いてすぐさま動いたのは細だった。彼はへたばっていた薫の服を掴むと海の盟主にさっさと掴まる。そして、薫が口を開く間もないうちに彼等は矢のように飛び出していった。
「流石は海のあやかし。水の抵抗をものともしていない」
「来留芽~、僕らもアンテナ張っておこう。万が一にも見逃さないためにね~」
残った二人はのんびりと、しかし確実に探知の網を広げていった。崖下から海月宮にかけては森が出来ていたので視界に頼らない探索方法を取ったのだ。
***
海のあやかしは水の抵抗を全く感じさせない動きをする。その効果はコバンザメ的にひっつく者にもあるらしい。細は海の盟主の服を掴んでいるだけなのに予想以上に水の抵抗を感じないことに気が付いて、そう考えた。
ただし、直接触れていないとその恩恵には与れないようだ。というのも、細は右手を海の盟主の服に、もう片方の手は薫の襟ぐりを掴んでいるのだが、彼自身がいっそ快適なほどジェットコースター並の速さを堪能している一方で薫の体は上下左右不規則に制御不能なほど暴れ回っているからだった。まるで不器用な子どもに振り回されている凧のようだ。本人は声にならない悲鳴を上げていたのに、細は聞こえなかったのか聞こえても無視しているのか、顧みもしない。
『もうすぐ海月宮だ』
「分かりました」
そうしているうちに海月宮までやって来ていた。近くで見れば見るほどその穴の大きさに、そしてそれだけの穴を開ける力に戦かざるを得ない。見たところ壁の厚さも勇魚宮と同程度だ。一体どれだけ強い爆発があったのだろうか。かなり遠くまで破片が飛んでいる。それらを片付けるためか、魚人が歩き回っていた。
『一体何があったのだ』
『はっ……盟主様!? せ、説明させていただきますっ』
魚人の兵は海の盟主を前にした緊張からか、時折どもりながらも説明し始めた。細と薫も海の盟主より一歩後ろの位置でそれを聞く。
騒動の始まりは海月宮の広間に突然霊能者の団体が人魚を伴って現れたからだという。いつの間にか彼等は宮から居なくなってしまったが、しばらくの間は厳戒態勢を敷いていた。その最中のことだ。突然レンがいた接見の間より強い妖力を感じ、建物が揺れるほどの衝撃にも気付いたのだという。
『盟主様、申し訳ございません。私達はレン様の護衛が手薄になっていることに気付いていなかったのです。駆けつけたときにはもう……』
彼は強い感情が胸に迫って言葉を継げなくなってしまったようだった。
最悪を予想させる部分で言葉を切られて海の盟主にも焦りが生まれる。そしてその勢いで兵へ詰め寄った。
『レンは……レンは生きておるのだろうな!? もしや、怪我をしたのか!?』
『生きておられます! け、怪我は見受けられませんでした。気を失っていらしただけのようですっ』
『そうか……』
安堵の溜め息を混ぜて海の盟主は少し肩の力を抜いた。そのとき、受け答えをしていた兵の向こうからもう一人魚人がやって来て同僚の肩にポンと手を置く。目の前の兵は飛び上がらんばかりに驚いていた。
『盟主様。すみません、気付くのに遅れました。ゴカイ……この者が、何か変な事を口走りましたか。こいつは常日頃から誤解を招く言葉を選ぶので対峙していると大変心労が溜まることでしょう。慌てて止めに来たのですが、既に何かやらかしましたか』
後から来た兵は最初に話しかけた兵よりも上の立場のようだった。海の盟主を焦らせた兵の方はゴカイと呼ばれているらしい。彼はその呼び名に不本意な表情となり小さく抗議していたが、先輩の兵に押さえつけられていた。
『変な事と言うか……まぁ、少し勘違いしてしまっただけだ。レンはまだこの宮にいるのか?』
『レン様に御用事でしたか。案内したいところですが……盟主様、まず後ろにいる霊能者について質問してもよろしいでしょうか?』
彼が睨んだのは細だった。なぜ、どのように、海の盟主に取り入ったのか。そう言った疑問が渦を巻いているような目をしている。
『彼等のことか? 少しややこしい説明になるが、へたっている方は私に会うことを目的としてやって来た霊能者だ。もう一人の方は仲間とはぐれて私の所へ来てしまったそうだ。どちらも危害を加えてくるような者ではないと判断した』
『しかし、そちらの男はこの宮への侵入者です。よりによって人魚を手引したのですっ!』
魚人が指さすのは細だ。彼は細達がうっかり行ってしまった広間で銛を突き付けてきた魚人の一人だったのだろう。細は全てを海の盟主に話してはいない。だから魚人の話に海の盟主が怒って自分を責めたとしても仕方が無いと思っていた。彼は確かに平等な心の持ち主だろうが、それでも全くの異種族である細と同じ海に生きる者である魚人では後者の方に傾きやすいはずだ。
だが、目の前の巨体は変わらず背中を細に向けていた。
『手引……か。私は救出という印象を持ったがな? ああ、言い忘れていたが、そちらのへたった男の方は人魚達の依頼のために私の元へ来たそうだ。私が感知した妖力も彼女達のもので間違いない。レンの宮へ行ってしまったのは、果たして本当にあいつと喧嘩別れした人魚なのだろうか?』
『海の盟主様? 他に、人魚など……そういないのでは……?』
『いたのだよ。十年近く前から閉じ込められていた人魚が。あいつが……レンが力を使って閉じ込めた人魚がいたのだ』
『そんな……まさか……』
魚人は衝撃を受けたようによろめいた。妹人魚のことは知らなかったようだ。
忘れられた人魚は助けられることはなかった。十年近くも。
『名目上は保護としていたようであったが、私にも実態を掴ませない時点で十分に怪しいものだった。それが、彼等のおかげでようやく動くことが出来たのだ。……レン。聞いていただろう?』
海の盟主が宮の穴の奥を
海の盟主は一瞬だけそれに目を向けたが、レンが平気で歩いているからか見なかったことにしたように言葉を続ける。
『分かっているのだろう? お前がやったことがいかに道理に反しているのか』
『……勿論。だが、どうしても俺はスゥを失いたくなかったんだ。名を人に渡してしまったらどんな影響を受けるか分かったものではない。その影響を阻害するために閉じ込めてしまった。そうしておけば失うことは無いと思っていた。じきに人間など忘れてのびのびと暮らせるようになるものと信じていた』
「しかし、彼女は約束をとても大切に思っていたようでした。十年近く、ずっと忘れずに……」
細がつい、言ってしまう。スティーナを直接見知っている彼にとっては彼女が約束相手である人間を忘れて暮らすようになるとは到底思えなかったからだ。レンは細に視線を向けたがそこに悪意は無く、ただ頷いた。
『その通りだ、霊能者。彼女がそうしていられたのは髪飾りがあったからだった』
「ん?」
その言葉に細と薫は首を捻った。髪飾りは取り上げられてしまったと聞いたのだが、違ったのだろうか。
『その二人は俺が髪飾りを取り上げたことを知っているようだな。ああ、髪飾りについては間違いなく取り上げた。あれがスゥの心に住まう記憶に直結し、次に人と会うための鍵となっているものだったからだ』
レンは言う。世界まで分かたれて、あやかしと人間はもはや関わって良いことは何もないのだと。特にスティーナのように人との距離が遠くなってもなお人からの影響を強く受けてしまうあやかしは自滅の道を歩むほかは無くなってしまうのだと。
『人は我等を忘れて行く。約束もすぐに忘れられてしまうに違いない。そうして最後にはそれが果たされること無くあやかしは消えてしまうのだ。そんな未来を許せるか?』
おそらくはそれがスティーナの背負ったリスクだ。
レンはなおも怒りを露わにして言う。
『俺は相手の人間など
レンの妖気が高まり、その場にいる者達に重圧を感じさせる。しかし、そんな中でも平然として動いた海の盟主はレンの肩にそっと手を置いた。
『悪いとは言わぬ。我等は浅層とはいえ多くの海のあやかし達を守ることを使命としているからな。確かに人魚が人間と交流するには障害が大きいだろう。だが、お前はその者の意思をあまりにも無視しているのではないか。その様子だとお前自身の考えも何も言っておらぬのだろう? 彼女が逃げることを選択するのは当然であろう』
海の盟主は部分的にレンに同調し、聞く耳を持たせたところで否定する。
『確かに、名を介した契約……約束が果たされないと最悪は消えてしまう。だが、そのリスクを負ってでも彼女は結ぶ価値があると判断したのだ。お前が介入して良いことではないと思うよ。それに……簡単に忘れられ、約束を反故にしてしまうような相手を選ぶはずがなかろうに』
その時、レンと兵が驚いた顔を浮かべた。同時に後ろから水流を感じて海の盟主と細、薫は振り向く。その場にいる者達が驚愕に目を開く中、凜とした声が響いた。
『その通りです』
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