鬼舞之章

1 騒動は……


 穂坂が持ってきた幽霊騒動――けしかけたのは来留芽だったが――それは、おそらく無事に解決したと思う。今日まで悪霊の話は聞かないし、穂坂から聞いた限りでは神無という女性も持ち直したらしい。間違いなく成仏出来たのだろう。

 そういえば、あの生放送の音楽番組では一つトラブルがあったらしい。歌うはずのない曲が流れたというのだ。幸い穂坂達が即座に対応したから番組的にはそう違和感のないものになっていた。不思議なこともあるものだ。もっとも、その原因を追及するつもりはない。

 おそらくは、だから。


「おはよう、古戸さん。これ、あげる」


 席に座ってぼうっとしていたら穂坂がやって来て言った。甘酸っぱい妄想でもしたのか、周囲が一瞬ざわめく。しかし、差し出されたモノを見て来留芽は首を傾げた。


「あげるって……おまんじゅう?」

「個人的なお礼。ノブ達がね、どうしてもって言ってさ」

「別にいいのに」


 静谷の件に関しては仕事だった。それに、来留芽はほとんど活躍していない。


「生放送の時さ、差し入れくれただろ。あれ見てホッとした」


 そう、あの生放送の日、来留芽は穂坂達に差し入れに行っていた。目的は光久と神無、二人の結末を伝えること。簡単に、手紙の形でしたためていたのだ。しかし、簡単に渡してはもらえなかった。困っていると穂坂の事務所で会ったリーカという人が「大丈夫だよ~」と保証してくれて、ついでに届けてくると言ってくれたのだったか。どうやら無事に届いていたらしい。


「ただ、結末を知らなきゃ穂坂くん達も前を向けないと思っただけだから」

「助かったよ。ようやく神無さんも前を向けたみたいでさ、おれ達のところにも来てくれた」

「これからが大変かもしれないけどね」


 それでも、死ぬよりはずっといい。


「ねぇ、来留芽ちゃんと穂坂くんは何を話しているの? 生放送がどうとかって言っていたけど……あの番組のことでしょ? STINAの新曲の」

「お、常磐も見てくれたのか! ちょっと古戸さんに世話になったんだ」

「へぇ」


 意味ありげにこちらを見る八重。裏関連だと分かってしまったようだ。穂坂はそんな来留芽達の様子を見て首を傾げているが、気にしないことにしたようだ。正直に言うとその態度は助かる。


「先生が来るから席ついて!」


 学級委員のたき詩織しおりが声を張り上げた。学級委員はくじ引きで決めたのだが、彼女は責任感が強いので真面目に仕事をしている。

 このクラスは比較的真面目な人の方が多いが、不良然とした人もいないわけではない。男子の学級委員の青山あおやま鷹司たかしがその内の一人だ。


「かったりーな。滝もそんな声かけなくてもいいだろ? センセに怒られよーがそいつの責任だ」

「ならば君は大人しく私に怒られるのですね、青山。机の上に足を乗せるのを止めなさい」


 いつの間にか教室にいたタロちゃん先生が持っていた紙を丸めてコツンと青山の頭に当てる。そこでようやくクラスの皆も先生が来ていることに気が付き、ざわめいた。恐るべし、タロちゃん先生の隠密能力。


「チッ……」


 青山は態度悪く舌打ちするとそっぽを向く。割といつものことなのでもう誰も気にしていない。

 ちなみに、タロちゃん先生という呼び名は四月の自己紹介で好きに呼んでくれと言われたあと、ある女の子がうっかり“タロちゃん先生”と呼んでしまい、恥ずかしそうにしていたのにそのうち堂々とタロちゃん先生と呼ぶようになり、それ以降全員が何となく同じように呼ぶようになって終には定着してしまった呼び方である。


「さて、いよいよ七月になりました。七月と言えば、何か思い浮かびますか?」


 そういえば細もこのクラスの空気に染まりかけており職員室でタロちゃん先生と呼んでしまい大笑いされたと愚痴っていた。最近は気が緩みすぎだろう。

 気が緩んでいると言えば、いまのホームルームもそうだ。誰も先生の問いかけに答えない。そして、先生は少し悲しそうな顔をしている。

 ――真面目に考えようか


「暑いですー」


 まず沈黙を破ったのは穂坂だった。確かに七月になって少し暑くなった気がする。しかし、我慢できないほどではない。


「つまり、もうバテているってことですか? 君達は若いんですからバテるにはまだ早いでしょう」


 どうやら先生が求める答えではなかったらしい。


「それなら海の日!」「いや、夏休み!」

「まだまだ先ですねぇ。というか、その前に地獄の期末テストがあるんですよ?」

「「うげぇ……」」


 テストが好きな人はそういない。真面目で優等生な滝すらも少し顔をしかめていた。


「じゃあ、プール!」

「あ、水泳の授業は今週末からだそうです。ちゃんと伝えましたからね。後で文句言いに来ないでくださいよ」

「「「あはははは」」」


 この反応はまたしても違うのだろう。では、他に七月といえば?


「……うーん。直近だと七夕があるけど」


 来留芽はぽつりと呟いた。それを耳ざとく聞き取ったタロちゃん先生はきらりと目を光らせる。


「その通り! 七月と言えば七夕です。近く星夜祭を行うことになりましたー」


 わーっと乗りの良いクラスメイトが声を上げる。

 しかし、星夜祭とは何だろうか。クラス全員がそろって首を傾げた。年間スケジュールにもその予定は書いていなかったはずだ。


「タロちゃんせんせー。星夜祭って何すか?」

「当然の質問ですね。星夜祭は不定期に開催されるものです。といっても、基準は七月七日の夜が晴れの時となっているので分かりやすいですけどね。趣旨としては夜に皆で集まって静かに天体観測を楽しみつつ持ち寄ったお菓子を食べるということになりますね」


 しかし、あまり遅くまで外にいられない人もいるのでは? そのような疑問のまま来留芽は穂坂の方へ視線を向けてしまう。彼は、残念そうに眉を八の字にした顔のまま手を挙げる。


「先生。おれ、七月七日は用事があるんだけどー」

「穂坂くんは仕方が無いですね。他にも用事がある人は欠席して構いません。強制ではありませんから。ただ、少なくともクラスの半数は参加してもらいたいので、今から確約を取っておこうかなと思っています。さあ、行ける人、行けそうな人は挙手してください」


 来留芽は挙手を保留したまま自分の予定を考える。

 七夕の日は天の川の流れに乗って遠くからやって来るあやかしが多くなるときだ。オールドアの者は毎年それらが騒動を起こさないように見回りをしていた。今年もそのパターンだと思っていたが、学校のイベントがあると社長が知ればそちらを優先するように言われるかもしれない。学生の時間を過ごせるのは人生で一回限り。それを逃すのはもったいないというのが社長の考えだった。


「うーん……あまり集まりませんね。まだ分からないという人もいるかもしれないので、黒板に名簿をはっておきます。行ける人は丸をつけておいてください。学級委員の二人には申し訳ないけど、名簿は放課後私のところに、あと、星夜祭実行委員を決めておいてください」

「……チッ、面倒くせぇ」

「青山くん、その言い様はないでしょ」

「ってぇ! マジで叩くか普通!?」

「つべこべ言わないことを覚えるべきだよ? 青山君」


 本気なのかわざとなのかは分からないが嫌そうに舌打ちした青山を滝は結構強めに叩いていたらしい。とはいえ、この二人のこのようなやり取りは意外によく見るので、一組の面々は温かく見守っている。ケンカップルの第一候補として、いつ付き合うのかと賭けがされていたりする。

 そして、朝のホームルームはチャイムが鳴ったことで終わった。


「来留芽ちゃん、参加しないの?」


 休み時間は星夜祭の話題で持ちきりだった。まだ詳細な情報が回ってきていないからだ。いくらでも想像の余地があるものは期待も膨らませやすい。

 来留芽のところにもそういった話をしようとしてか、八重がやって来ていた。


「うーん……いつもは仕事が入っているんだけど。八重は参加する?」

「もちろん。毎年行うとは限らない限定イベントなんだよ? 参加しなきゃ損だって」


 損得の問題ではないだろうが、学生時代の思い出となるものを避けるというのは些かもったいないかもしれない。一つ一つの思い出がいつか自分の大切な記憶になる。将来、学生時代の大切な思い出がないというのはとても悲しいではないか。


「まぁ、たぶん行く。仕事は大切だけど学校の方もできるだけ参加しろって言われてるから」

「そっかー。じゃあ、マル付けに行こっ」

「そういえば、千代は?」

「参加するよー。今日は美化委員の会議があるからいないの。マルつける権利はもらってきたから」


 つまり、参加するということだろう。先程の先生の問いかけでは手を上げる人は少なかったが、こうしてみると意外と参加者が多そうだ。


「あれっ、恵美里のところに丸がない。参加しないのかな」

「あ、本当だ。恵美里は、って……」


 八重がある一点を見て苦笑している。そちらを向くとその理由が分かった。


「……痴話喧嘩?」


 同じように思った来留芽は「みたいね」と小さく呟く。教室の入口で恵美里と東が口論している。あの二人の間にある両片思いの恋模様を知っている身としては、彼等の様子は痴話喧嘩に見えていた。


「……だからっ! その日は私……仕事があるの! 爽くんと星夜祭は行けないの! ……行きたいけど……」

「う……仕事は、仕方ないか。エミと一緒だったらきっと楽しいのにな」

「気を遣ってくれるのは……嬉しいけど……」


 五月のあの事件以降、恵美里は自分の力を理解してその制御の訓練を積んでいた。大分力の制御にも慣れてきたので実際に仕事を割り振ってみようかという話になったのは六月の下旬頃だったか。時期的に七月七日の掃討戦がちょうどいいだろうということで恵美里は大樹のまほろば周辺を担当することになっていた。来留芽も割り振られているが、それは学園の周辺だったためそう問題ではない。

 しかし、星夜祭があるというなら恵美里にも何らかの措置を考えてくれるはずだ。来留芽は独断だが、ある人に連絡を入れた。すぐに返答が返ってくるだろう。

 そして、とりあえず恵美里と東の言い合いを止めるために二人に近付いた。


「恵美里」

「あ……来留芽ちゃん」

「仕事の話だけど、星夜祭があるならそちらを優先して構わないと思う」

「え……でも人手が足りないでしょう?」


 恵美里はオールドアの現状を良く分かっていた。人材不足を突き付けられて来留芽は苦笑する。しかし、例えそうであろうと何も出来なくなるようなオールドアではないと示してきたはずだったのだが。


「まぁ、そうだけど。あてはあるの」

「ええと……本部の人?」

「本部は今回関係ない。あの人達は大半が大したことできないから実力バレを恐れてこっちに出張っては来ないはず。そうじゃなくて、ほら、巴姉の婚約者に透さんがいたのは覚えてる? あの人なら交渉次第でこちらを助けてくれると思う」

「でも……まだ確定じゃないんだよね……?」

「ううん、確定でよさそう」


 来留芽はちらりと窓の方を見る。透からの返事が来ていた。普通の人には分からないようになっている。恵美里もそれに気付き、ホッとした顔をした。


「……そっか。じゃあ、参加するよ」

「ほんとか! エミ!」

「うん……せっかく爽くんが誘ってくれたし」

「俺がエミを誘うのは当然だよ! あ、そうだ。もし余裕があれば実行委員を引き受けろよ。俺、二組の実行委員だからさ!」


 東はそう言うと教室から出ていった。なんとも恵美里に対する好意が溢れている。そして、さりげなく恵美里と時間を共有したいと主張しているとみた。


「そういえばうちの実行委員まだ決めてなかったね。日高さんどう?」

「え、えっと……その……」


 たまたま近くにいた滝はそう言うが、恵美里はすぐには返せなかった。東に引き受けてほしいと言われ、引き受ける方向に気持ちが傾いたが、彼女はオールドアでの仕事……もとい、力を制御する訓練に行かなくてはならないのだ。たった数日とはいえ、勝手に決めていいものだろうかという考えがぐるぐると巡ったのだろう。

 そこに来留芽と恵美里の視線が合う。眉を八の字にして困っている彼女を見て、来留芽は一つ頷いた。


「恵美里。オールドアにおいて、学生は学校優先に決めて大丈夫」

「ん、分かった……じゃあ、実行委員を引き受けます」

「ありがとう! っていうか、古戸さんと日高さんは同じとこで働いているんだ?」


 満面の笑みで滝は恵美里の手を取ったあと、来留芽とのやりとりからそのことに思い当たったのか目を瞬かせていた。

 来留芽は頷いて肯定する。


「ふーん……どんな仕事?」

「ええと……わたしはまだ本格的に仕事しているわけじゃないの」

「基本的には雑用」

「まぁ、バイトはものによってはそんな感じだよね。あ、もうすぐチャイムが鳴るね。じゃ」


 滝はあっさりと話を切り上げて離れて行く。

 そして放課後になって、星夜祭実行委員は早速会議があるらしく、恵美里は東と一緒にそれに向かった。



 ***



 来留芽は早めに帰ることができたので七月七日の業務について社長と話し合おうと思い、彼の執務室の扉をノックした。


「どうぞ」

「社長。七月七日の仕事について詳しく取り決めたいんだけど。それと、これ穂坂くんからもらったおまんじゅう」

「……気持ちだけでも良かったんだがな。ありがたくいただこう。他のものはラウンジに置いておけば良いだろう。ああそれと、先程清水透くんから連絡が来ていたぞ。彼なら確かに広範囲をカバーできるから助っ人にはふさわしいな」

「今回引き受けてくれたのは清水家の方は遠隔でも守れるからだって」


 式神に付されていた伝言にはそのような言葉が書かれていた。


「それはまた、ずいぶんと腕を上げたようだ。去年まではそこまで強いという話は聞かなかったから……もしかして、先日報告にあった当主の証によるものか?」


 この短期間で能力の強化が進んだとしたら、その原因はそれしか思い浮かばないだろう。

 実際にその通りなので来留芽も素直に頷く。


「たぶん。清流筆紋の影響もあるかも。巴姉も力が強くなって制御が大変だったってぼやいていたし。透さんも同じ状態だと思う。でも、ある程度はものにしているみたい」

「良くも悪くも古くからある家ってのは強い力を継いでいるな。渡世もそのクチだが」


 来留芽も古くから続く呪いをその身に封じている。良くもとは、そういうことだ。力は増せども連綿と続くしがらみも引き継がざるをえないのだ。


「まぁ、それはさておいて、来留芽と恵美里は学園方面を担当してもらう。基本的に恵美里に主導してもらうとして……来留芽と細はサポートに徹してくれ。余程のことが無い限りはそれで問題ないはずだ」

「了解」


 ただ、少し心配なのは恵美里にそんな余裕があるかという所だろう。東の勢いに押されて仕事の方まで気にすることが出来ないかもしれない。

 まぁ、そんなときこそ来留芽達のサポートが生きるのだろうが。


「ああそれと、気が早いものはもうこちら側に来ているらしい。あいつらもそこまで酷いことはしないと思うが、死人が出たら困るからな。十分気を付けておいてくれ」

「りょう、かい……」


 やっぱりそうか、と額に手をついて空を仰ぎ長い息を吐く。

 現代においてあやかしの姿を確認されることはあまりない。それはあやかし達が現世と鏡合わせのような世界に……人がおいそれと行くことは出来ない世界に引きこもったからだ。それでもやはり人がいない世界はつまらないらしい。だからまれに彼等はそこから出てくる。天の川はそのための道になってしまうのだ。

 そうして現世にやって来たあやかしがすることと言えば……ほとんどが人へのいたずらだ。ただ、たまに力加減を間違えて大騒動を引き起こす奴はいるし、あの黒いもや・影に取り込まれてしまったものは害にしかならない。だから早いうちに釘を刺しておかなくてはならなかった。これからしばらくは仕事漬けだろうと察して、来留芽は溜息を吐く。毎年のことではあるが、疲れるものは疲れるのだ。


「まぁ、頑張ろう……」


 まんじゅうを頬張りながら来留芽は控えめに気合いを入れるのだった。


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