10 鎖が落ちた音を聞く
この世のものとも思えないほどの美貌を備えたその女性を見て、来留芽達は目を奪われ、その場で惚けた。樹の話には聞いていたが、まさか本当にこれほどまでの美人だとは思っていなかったからだ。
「巴! 薫! 来留芽!」
突然、右手側から名前を呼ばれて、ハッと正気に返ってそちらの方を向けば、樹が……いや、来留芽達のチーム以外のメンバーが太い格子で区切られた向こうの座敷にいるのが見えた。幸い、酷いことはされていないようだった。
「……彼等をどうやって捕らえた?」
巴はたっぷりと警戒を滲ませて忍葉を睨み、そう尋ねた。来留芽も薫も同じように忍葉と対峙している。しかし、それを受けても忍葉の態度は変わらなかった。
『捕らえたというわけではありません。彼等は罠に引っ掛かってしまっただけ』
忍葉の言葉を聞いて、来留芽はちらりと格子の方を見た。それに気付いて、樹が代表してか顔を少し顰めて肯定した。
「そう……あたし達に対する人質のつもり?」
『そう捉えてもらってもかまいません。貴女方が協力的であれば何も問題ありませんよ。私の要求はこの清流筆紋を使って私に無色の力を付与すること。それだけです』
「そんなことが……」
可能なのだろうか? 巴と来留芽は胸の内で考えた。ちなみに薫は門外漢なので特に反応していない。
『当主の証がその身に刻まれていればなお良いのですが。……その反応は……持っているのですね?』
当主の証という言葉を聞いて、巴の体が微かに揺れた。身に覚えがあったからだ。それを見てとったのか、忍葉はクッと口の端を持ち上げた。我が意を得たりと言うように。
「……分かった。やるよ。けれど、あたしにある当主の証は半分だ」
『半分? それでも、十分です。十分、私の足りない力を満たしてくれるでしょう。……では、儀式場へ案内しましょう。こちらへおいでなさい。ああ、貴方達は……』
案内すると言って忍葉が壁の方へ向いて歩き出したので巴は彼女に従った。その後ろを来留芽と薫が追いかけようとしたのだが、肩越しに二人の方を振り向いた忍葉の拒絶の視線にその足を止めた。
『……こちらの方へ来てはなりませんよ』
その視線に射すくめられたかのように来留芽はそれ以上動けなかった。それはどうやら薫も同じようで、彼もまたその場で固まっていた。まるで金縛りの術でも掛けられたかのように。
紫波家の何らかの術で忍葉は現代に蘇っている。しかし、かつての力そのものまで戻せるわけではないそうだ。少なくとも忍葉は昔ほどの力を持っていないらしい。だからこそ清流筆紋を必要としたのだろうが……。全盛期の無色忍葉はどれだけ強かったのだろうか。その片鱗だけで来留芽はこの様だ。
そうして皆が見ている中、忍葉は花瓶を動かしてさらに隠された部屋への入り口を開いていた。
「こんなところにまで……」
呆れるように言ったのは巴だ。この仕掛けは知らなければ使えないだろう。事も無げに入り口を開けた忍葉はこの屋敷にいたことがあるのは間違いない。
***
暗闇を抜けた先の小部屋に忍葉と巴はやって来た。壁には清流筆紋があり、その手前には祭壇が置かれている。
「何かの儀式場?」
『ええ。無色の継承をここで行います』
「それは、当主継承の儀式?あたしは一色家の者なんだけど」
『当主継承……そうですね、そのようなものです。しかし、継承されるのは無色の全てです。清流筆紋の力にその管理使用方法、無色の秘術に
継承はメリットだけではない。デメリットも内包している。
「ええと……拒否権は」
『ありません。無傷で辿り着いてしまったご自身を恨んでください』
一応、死にそうにないけれども人質だっているのである。忍葉側であろう青波が向こうの部屋に残っているので(彼自身の力は未知数であるが)、迂闊な行動はできない。
「茜姉様だったら上手くやっただろうけど」
『ここまで来たからには、権利の譲渡もダメですよ? 諦めて受け入れなさい。心配せずとも罪の影響はそこまで大きくありません。まぁ、あの有名な古戸の呪法ほど恐ろしいものでもありませんからね』
「あ、じゃあ、その古戸の呪法とやらを詳しく教えてもらえる? それを約束してくれるなら無色の継承を受け入れるよ」
一つ、聞き逃せない言葉があった。巴は無色の継承儀式を受け入れ、せめてその利として古戸の呪法について聞き出すことに決めた。先程まで渋っていたのが嘘のようである。
『貴女が条件をつけられる立場ではないというのに図太いものですね』
「メンタルに自信はあるからね」
寄せ集めのオールドアだなんだと、本部の仕事をよく請け負う巴は散々言われてきたのである。脅迫の一つくらい受け流せないでどうする。そもそも、残してきたメンバーを考えれば……あちらはあちらでどうともなるだろう。
『ですが、大したことは知りませんよ?』
「それでもいい。とにかく、手当たり次第に情報を集めているところだから」
『では、先に話しましょうか。儀式後はそんな余裕があるか分かりませんから』
そう言ってから忍葉が教えてくれたことは、これまでに集めた情報とたいして変わらなかった。だが、空振りというわけではない。
「古戸の呪法には核となる一際強いものがある、と。詳しい数は?」
『さぁ……そこまでは分かりません。ただ、小さい呪をまとめるモノがいるとだけ聞いたことがあります』
呪の強さは確かにムラがある。そして、今来留芽が抱えているおびただしい呪を分類すれば下から上までかなりのばらつきが見られるだろう。
「……来留芽ちゃんの話では意思を持った呪というのは確かにあるようだった。とすると、彼等が小さい呪をまとめているのかもしれない、か。少し進展したとみて良いのかな」
巴はぶつぶつと呟いていたのだが、そこへ忍葉が口を挟む。
『さて、儀式を行ってもらえますね?』
二人は向かい合って立っていた。儀式とは、継承の儀式だという。願う相手は清き川の流れに住まう龍神……一色家も清水家も祀っている神である。
『力は貴女が持つ龍の刻印に宿ります』
「私に刻まれているのは半分だけど……」
幽霊となってしまったお婆さん……清水うめによって清水家の当主の証は透と巴で二分されている。
『時代の流れを感じますね……ですが、半分でも大丈夫でしょう。受け止めきれないならばもう半分を持つ者に流せばいいことですからね』
簡単そうに言うものだ。だが、拒否は出来ない。約束なのだから。
そして、巴は教えられた通りに踏み出した。
清流筆紋とは何なのか。使用者の力を増幅するものとしか認識してこなかったが(何しろそれを求めているのが姉や兄だったのだ。取り巻く環境も不穏であれば巴が関わることを良しとしないだろうと思っていた)、その力の一端を知った今、その認識は砂糖菓子よりも甘いものだったと痛感した。
「っく……」
純粋な“力”を直接身体に流し込まれている感覚。龍の刻印はそれを貯める器のような役割らしい。巴から溢れる分を受け止める……。
「これ、一人で運用できるわけがないっ!」
巴はあっさりとギブアップ宣言をした。そして、儀式前に言われた通り、刻印のもう半分を持つ者に流すことにした。ただし、情けないことに全体の半分以上を丸投げすることになった。透なら受け止めてくれると信じている。
『ふふ……対の巫女がここにいないのに流せるのね。案外全てを受け止められるかもしれませんね』
「冗談っ……あたしはそこまで超人じゃないから。あ、そうだ。今あたしにある力で貴女が望むことは出来そう?」
『ギリギリですが……可能だと思います。手を――』
真剣な表情の忍葉は巴に手を寄せる。巴はその掌に自分のものをそっと乗せた。
力を付与するのは大して難しいことではない。ただ、その大きさ如何によっては双方に負担がかかるというだけである。忍葉は恐ろしいことに力の受け渡しに慣れた様子だったが、巴はこれほどまで大きい力を扱ったことが無かった。だから、つい呻いてしまう。
「くっ……」
それでも何とか受け渡し終えた。そして、忍葉の様子を窺えば平然としている様子が目に入る。何か得体の知れないものを前にしているかのように思えた。
『これだけの力があれば……』
忍葉はそう呟くと元の部屋へ戻っていく。その後を若干ふらつきながら巴がついていった。何をするのか見届けなくてはならないと思ったからだ。
「忍葉」
いち早く戻って来た忍葉を見たのは青波と呼ばれる、表情の乏しい男だった。彼に名前を呼ばれて忍葉は考え込んでいたが故に少し険しくしていた顔を上げて、その険を取ると彼の首に腕を回して抱き付いた。霊力を視ることが出来る者達は気付いただろう。その瞬間に忍葉から青波へと力が流れたことを。
『静希……これで、貴方を自由にしてあげられます』
「忍葉」
まるで愛を囁くかのようにして言われたその言葉は、青波から離れると言っているようなもので……思わず彼は逃がすまいとするかのように彼女の背に腕を回してギュッと抱きしめ囲い込んだ。
「忍葉、私は大丈夫だから……君がいなくなる方が心が引き裂かれてしまう……」
『ごめんなさい……けれど、私はどうしても貴方を縛り付けたくはないのです』
あれだけあった力が恐ろしい勢いで青波に移されていく。彼女を乱暴に扱えない青波は抱き付かれたまま受け止めるしかなかった。零れていってしまいそうな彼女をかき集めるかのように抱き締める。
「忍葉っ! ダメだ、いかないでくれ……」
『
そして、忍葉に満ちていた力の、最後の一滴までもが青波に流れ込んだ。それと同時に彼女は今まで見た中でも最も愛溢れた笑顔を浮かべて、スゥッと消えてしまった。
――カシャン……
それはきっと鎖が落ちた音だった。無色忍葉を現世に縛る鎖、青波を人形として操るための鎖……そして、二人の絆という鎖。
自由が戻って来ていた。だが、それに喜ぶことは出来ず青波は膝をついた。
「忍葉……ほとんど全て私に返してしまったんだな……」
ほとんどと言ったのはたった一つだけ彼女が青波から持ち去ったものがあったからだ。
――それは、『 』――
彼には彼女以上に想うことが出来る
「輪廻転生というものがあるならば、もう一度、君を見つけられるだろうか」
死の先に縁がつながること。それは誰だって願うことがある。ただ、裏側を知る者達はより切実にそれを求めるようになってしまうのかもしれない。
どこまでも、どこまでも――
***
清流筆紋は巴が手に入れたと言って良いだろう。巴の身に起こったのは霊力の増加だけでなく、無色家の記憶も流れ込んでいたそうだ。あの忍者屋敷ではとりあえずそれは記憶の引き出しに閉じ込めていたようだが、オールドアに戻ってきたところで強制的に溢れてきたらしい。彼女は今、透(鴉)と仲良く寝込んでいる。
「ふむ……ずいぶんと早く仕上げたもんだな」
朝日が昇って少し経ったとき、ラウンジで寛いでいた社長の元に細が報告書を持ってきていた。
「当事者がいる内にと思っていたんですがね……」
「清水茜、一色暁・夕凪には逃げられたみたいだな」
予め想定していたよりずいぶんと多くの報酬を置いて、気付いたらいなくなっていた。
「あれも当主になるんだろう? ふらふらしていて大丈夫だろうか」
一色家の時期当主は暁のはずだ。
「一色家はまだ椅子にしがみついていますから」
「あの人もしょうもない……。それはそうと、ずいぶんと愉快な場所だったようだな」
社長がニヤリと笑って言った。子兎を追い詰めるヤクザ笑いだ。尤も、それと対峙する細は子兎のように柔い精神をしていないので、涼しい顔で流している。
「実に見事な忍者屋敷でした」
窓から朝日が入り込む。眩しげにそれを見て、視線を下に落とした。
オールドアの外には樹と静希がいた。
「世話になった、樹」
「いや、部屋を貸した程度、世話とは言わないって~。君とは友人なんだから、いつでも来なよ」
樹は細と報告書を作成しているうちに完徹。日が昇るまでの間、オールドアへ連れてきた静希を樹の部屋(第四相談室の隣室。樹の趣味部屋だが、仮眠できるベッドは置いてある)で休ませていたのだ。
「一人じゃ解決できない問題があったら頼らせてもらう」
「依頼という形で頼むよ~」
「がめついな」
「ボランティア精神は持ち合わせていませ~ん。残念でした~。じゃあ、また」
「ああ、またな」
青波静希を縛っていた紫波の鎖がほどけたということは、彼はもう自由になったということだ。逆に言えば忍葉と共にいた彼は制限を受けていた……思考・記憶の制限を。
それは“人形に堕とす”と言われる術によるものだったわけだが、紫波柚姫がそこまでのことをしたということは、彼が何らかの重大事項を知っていることに他ならない。残念ながらまだほとんど思い出せないようで詳しく聞くことは出来なかったが、それでも彼を解放したことはその術者を出し抜いたことになる。
「あ~、紫波柚姫にざまぁって言いたいな!」
建物の隙間を縫って届いた光を浴びながら樹は大きく伸びをした。
姉兄会話Fin.
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