9 しごとどき
碧瑠璃祭の準備は着々と進んでいた。来留芽のクラスは所定の場所に一寸法師ワールドをほとんど完成させていたし、心霊研のパネル展示はもう既に展示可能なレベルまで仕上げてある。他のクラス・部活も同様だろう。しかし、もっと手を加えることができないわけではなかった。
来留芽個人の目下の悩みとしては時間を超えてまで作業を続けようとする生徒がいることだ。巧みに見回りの目を逃れて学園に留まろうとする彼等を見つけて帰宅させるその作業が酷く面倒で、思い通りに羊を追い立てられぬ羊飼いの気分で溜め息を吐いた。自分の手を煩わさない牧羊犬が欲しい。
「まぁでも……こっちには細兄がいるから」
最終手段として全校監視術式……つまり“目”を使えば良いのだ。細への負担は大きくなるが、これで見つからないことはない。青山達がプチ行方不明になったときもあっさり見つけられたことを考えると、本当に学園の至る所に目があると分かるだろう。これは最終手段扱いしても良いと思うのだ。
《八時二十分になりました。あと十分で完全下校となります。実行委員はまだ残っている生徒がいないか確認をお願いします》
校内放送に急かされつつ、来留芽は実行委員としての仕事として校内を歩く。
「あ、古戸さん。お疲れー」
廊下の角で同じ実行委員の白鳥と遭遇した。彼女もまた見回りの仕事をしていたのだろう。
「そっちもお疲れ、白鳥さん。白鳥さんがここにいるってことは、北校舎の方は見終わったってこと?」
「うん。一応はね。ただ、私はかくれんぼの鬼役は苦手なもので」
「まだ隠れている生徒がいるかもしれないってこと。まぁ、どうせ先生の目をかいくぐることはできないだろうし、大丈夫だと思う」
後のことは全て細に丸投げしてしまおうと決める。そんな来留芽の心の内を聞き取ったわけではないだろうが、白鳥は笑って頷いた。
「特に京極先生なら安心だよね。他の先生も『あの人何でこんなにあっさり生徒を見つけられるんだ、生粋の鬼か』とか言っていたもん」
「生粋の鬼……!!」
不意打ちでやって来た、細を形容する奇妙な言葉に来留芽は思わず吹き出しそうになってしまい、慌てて自分を落ち着かせる。見た目も表の顔も優男。そんな姿を見せている細だが、もちろん性格は良いとは言えなかったりする。ただ、物語の悪役にあるような鬼を言うなら薫だし、細を鬼と形容するなら鬼畜とかそういった方面だろうな、と親しいゆえに知っている情報をもとにそう考え、また笑いそうになってしまう。
おそらく先生方が言っているのは“かくれんぼの鬼として優秀だ”という意味だろう。鬼、と付いているのにあまりにも平和な認識だ。それが来留芽の笑いのツボになっているのかもしれなかった。
《八時半になりました。実行委員も帰宅の準備をして、玄関ホールに集合してください》
これ以降は教師が中心となって最終確認をすることになる。今日は細が担当だ。今のところ、実行委員の目を掻い潜れたとしても教師には見つかっており、完全下校後の作業はどこも失敗している。言うまでもなく、それに最も寄与しているのは細だった。
「じゃあ行こっか、古戸さん」
見回りの当番の生徒は荷物を会議室にまとめてあった。来留芽と白鳥が会議室に来たとき、荷物はもう彼女達の物しかなかったので、他のメンバーは既に玄関にいるはずだ。待たせるのも悪いので少し急ぎ足で階段を降りる。
「お待たせしましたっ」
「お待たせしました」
「おぅ、それじゃあ、これで全員か。今日もお疲れ、帰りは暗いから気を付けて帰れよ。女子の面々は誰かに送ってもらえ」
代表のように三年の先輩が締めてその場は解散となる。今日見回り当番となった女子は皆それなりに同じ方向に帰る相手がいるので心配はなさそうだった。
「じゃあね、古戸さん」
「また明日」
来留芽だけは心配されつつもその場に残った。残る理由は“迎えが来るから”としてある。そう間違ってはいないのだが、正しいわけでもなかった。
そして生徒が見えなくなり、夜の闇に静まったその場所にひらりと二つの影が降り立つ。
「行ったかな~?」
「降りてから言うのか……」
「いや、だって命令する時間とかなかったじゃん」
大きな鳥の影だった。そこから人影が降りると鳥はポンッと呆気なく消えてしまう。
「樹兄、薫兄。細兄の式が降りたということは問題ないってことだから」
長身で髪が跳ねている影に小柄でゆるふわな髪型の影。彼等はオールドアのメンバーである樹と薫だった。今日はちょうど細だけが最終的な見回り当番であり、完全下校後は本当に理想的な調査時間となっていた。だからあらかじめ細の式をオールドアに待機させておき、時間を見て二人がやって来たのだ。
「巴姉は?」
「巴は例のごとく本部に呼び出されているぜ。たぶん親父さんの関係だ」
「あの家も面倒なことになっているよね」
「跡継ぎである巴の兄貴達が出奔しているからだろうよ。しばらくは仕方がないとか言っていたっけな」
玄関ホールの先でそう駄弁っていると懐中電灯の光が近付いて三人を照らし出した。来留芽は手と腕で影を作り、目を細めて光の主を見ようとする。
「ああ、来留芽達だったか。すまない。大丈夫か?」
「細兄!」
スッと眩しい光は逸らされて目が焼けずに済んだ。パチパチと瞬きをして光に驚いた目を落ち着かせる。そんな来留芽の頭の上にポンと手が乗せられた。
「樹と薫も着いたみたいだな。とりあえず、今日は二宮尊徳像の謎と演劇部の鏡だ」
「来留芽から聞いた限りだと鏡の方は夢だとか観念的なものだって~? 僕向きに聞こえるけど、実際には見てみないと分からないし~」
歩き始めた細の後をついていきながら樹は予防線を張るかのようなことを言う。
「珍しく、弱気?」
「いや~……今日はちょっと出先で守屋さんと遭っちゃってさ~」
「え、守屋お祖父様と? 良く戻ってこられたね」
守屋という名前を聞いて細や薫もぎょっとしたように体を揺らした。オールドアの男衆にとって来留芽の祖父はある意味恐怖の象徴だったりする。祖父による稽古は力になるのだが、如何せん厳しすぎるという評判だ。
「まぁね~。幸い軽いもので済んだから。ただ、どうしても自信は無くなるんだよね~」
「でも私は樹兄を信じているから」
「……ありがとね~」
樹は微笑むと来留芽の頭にポンと手を置いた。
「それで、最初はどっちに向かう? 細兄」
「どうするか。どちらも厄介な感じはあるんだが……場所の分かっている鏡の方からにしようか」
そして、来留芽達はまず体育館の倉庫へやって来た。演劇部の小道具類は今この場所にあるそうだ。細は鍵を取り出して鍵穴に差し込んだ。
「あれ? ……開いているぞ、ここ」
細が取手を持ち、力を入れる。倉庫の扉は重々しい音を立てて開いた。
「思ったより埃っぽくないな」
「そりゃあ、使っていないわけではないから。演劇部の人だって掃除をしたんじゃないの。流石に小道具を埃まみれにはしたくなかっただろうし」
「ああ、そりゃそうだな」
「薫、来留芽、少し静かにしていてくれるか」
強ばったその声に何かを察した二人は即座に口を噤み、辺りは静寂に支配される。夜の闇と合わさって別世界さながらの空間で神経を尖らせた。
「誰か、いるのか?」
細の誰何にハッとして来留芽は少しの揺らぎも身逃さないように倉庫の中へ意識を集中させた。鍵の掛かっていない倉庫。ひょっとしたら、ただ鍵をかけ忘れただけではなかったのかもしれない。
懐中電灯の光が倉庫の中をゆっくりと移動する。そして、それが隅の方を照らしたとき、来留芽は息を飲んだ。
「人だ! 倒れてるっ」
四人の中で最も早く動いたのは樹だった。次いで細や来留芽も倒れている人のもとへ駆け寄り、その様子を見る。
「息は……あるみたいだね、良かった~」
口元に手を当てて息の有無を確認した樹がホッと安堵の息を吐き、軽く力を抜いた。
「ああ、それは確かに良いんだが……この子は三年の白鳥だな。いつから、どうして……」
「……! 細兄!」
ハッと気が付いた来留芽が細の手首を掴み、懐中電灯を動かした。光はきらりと反射して戻ってくる。
「鏡……」
怪異の鏡、その手前で倒れていたということ。
「まさか、この鏡が……? 樹、意識は戻せそうか?」
一般的な対処法からそうではない裏的な方法まで使って白鳥先輩の様子を見ていた樹が懐中電灯で照らされる。しかし、成果は芳しくないようで首を横に振っていた。
「う~ん……ダメだね、これは。自然な意識不明じゃないよ。息はあるけど、今だけかもしれないね~。この状態じゃ生きる意識すらないからそのうち衰弱死してしまうよ」
「それじゃあ、この子は話通り鏡に囚われてしまったってことか? 俺等の出番だな」
グッと腕を鬼のそれに変えた薫を来留芽は呆れた目で見やった。
「楽しそうなのは流石に不謹慎」
「楽しそうってか……ようやく俺の出番かと思ってわくわくしているだけだぜ」
「それが、不謹慎だってこと。……でも、そんな言い合いしている暇はなさそう」
白鳥先輩を目覚めさせることはできないと結論づけた細と樹の二人は、今は鏡を調べ始めていた。
「細兄、樹兄、どう?」
「外見上は本当に問題ないんだよね~」
「しかし、力は感じられる」
来留芽も鏡の前に立ち、その鏡面に手を添わせてみる。つくも神のように長い時を過ごすうちに力を持ったのだろう。ただ、禍々しさといったマイナスの力は感じられなかった。
ふと鏡に映る自分と目が合う。次の瞬間、その姿がぶれて自分以外の少年少女の顔が映った。光の加減か、鏡に映っているからか、幽霊のように青ざめた顔色で来留芽の方を向くそれらは一様に絶望に彩られたかのような暗い表情をしていた。その中で見覚えのある顔がぱくりと口を開き、何かを話そうとする。しかし、苦しげに顔を歪めると水に映った影が揺れるようにその姿を曖昧にしながら消えてしまう。
「っ!!」
「どうした、来留芽」
弾かれたかのように鏡から離れた来留芽に気付いて細が近寄り、肩を抱いて顔を覗き込んでくる。来留芽はそちらに目を向けられず、視線は鏡に固定されたままだ。それを追うように細も正面に顔を向け、鏡越しに目が合う。
来留芽は強ばった顔を何とか動かして掠れた声で自分が見たものを口に出す。
「今……鏡の向こうに私じゃない顔がいくつか映った。……白鳥先輩も」
「確定、かな~……助けるにも、結構リスクあるね」
「リスクがあるからと言って助けないという選択肢はないから」
――やるしかない
首を振って気を取り直した来留芽は鏡から目を逸らすと細、樹、薫を順繰りに見た。
「誰かは万が一の場合に備えてここに残るべきだと思う」
「確かにそうだな。この場合だと……俺が残るべきかもしれないな。樹は入るときに鍵となるだろうし、薫は簡単に出られないとなったときにこの鏡の妖気を壊せるだろう。あとは俺と来留芽は似たようなものだからどちらが行っても良いのだろうが……。白鳥の意識を連れ戻すと考えるとこの二人じゃ不安がある」
それに、野郎だけよりはずっと成功する確率が高いだろう、と細は付け加えた。おそらくそちらの方が本音だろう。
「それじゃあ、入るまでは僕が主導するよ~。入ってからはどうなるか分からないからそれぞれ準備はするようにね~」
早速樹が鏡に手を掛けて――開いた。
本当にそうとしか言いようがない気楽な調子で鏡を扉のように開いたのだ。樹曰く、来留芽ができないのは認識の問題だという。あやかしやそれに類する存在、物には力がある。樹がやっているのはそこに自分の力を混ぜ込み、それを動かすことで自分の好きなような効果を出すというものだ。当然、そう説明されても来留芽はさっぱり意味が分からなかった。
「まぁ何にせよ、ここからが肝心だからね~。心して行動するように」
そして、樹を先頭にして来留芽、薫も鏡の中へと姿を消した。
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