第7話 この花に願いを

 あの大きなヤドカリとの戦闘を終えたグラースさんやサージュさん達は、誰も深い傷を負う事も無く討伐に成功していた。

 私がこの治癒術師の道を選んだ時から何度も感じてきた事だけれど、見知った相手が何らかの危険に晒される状況というのは、どうやっても慣れる事は無さそうだ。

 サージュさんとグラースさんの連携が凄かったんだ、と興奮気味に話してくれた騎士の皆。

 王国騎士団の人々はそう簡単に負けるはずが無い──そんな油断が、いつか命取りになるかもしれない。

 彼らの話に耳を傾ける一方で、やはり私はこの考えすぎな心配性のままでいた方が良いように思ってしまう。

 いつも全てが上手くいく訳では無い。何か重大な事態に陥った時にすぐに対処出来るよう、常に気を引き締めておかなければ……。

 もう目の前で誰かの命の灯火が消えていく様は、二度と見たくないもの。



 縄張りの主であった巨大ヤドカリが倒された滝壺。

 あの魔物は、古代鰐に比べれば圧倒的に少ない瘴気を吐き出して消滅した後、魔力が固形化したものらしい巻貝だけを残し、割れたそれがいくつも地面に転がっていた。

 静けさを取り戻したこの場所の崖上には、今回の最後の目的である薬草が自生している。


「ここを自力で登るのは効率が悪い。それに疲れるからな」


 そう言いながらサージュさんは適当な崖の前に立つと、ゴツゴツとしたその地表に手を触れた。


「あんな魔物を相手にした後ですもんね。いくら男性でも、これだけの高さを登るのは大変そうですし……」

「そういう時に便利なのが、僕が得意とする属性の一つ……地属性魔法だ」


 彼は掌から崖に魔力を送り込んでいるようだった。

 しばらくすると、ただの土壁だったはずのそこから階段状の土ブロックが飛び出して来た。

 これを登っていけば、腕力を駆使しなくとも誰でも崖登りが可能になる。魔法にこんな使い方があるなんて驚いた。


「す、凄いです……! 地属性の魔法って、こんな地形変化を可能にする事が出来たんですね!」

「ま、まあな。ある程度の適性とコツさえ分かっていれば、この程度の事は……。そこまで感心されるような事じゃないさ」


 すると、グラースさんが言う。


「地属性は使い手も少ない貴重な魔法です。その上でミスター・サージュはそこに改良を加えた独自の魔法を考案し、実践。結果として、植物の生育に最も適した土を作る技術を会得した……正しく森の魔術師と呼ばれるに相応しい偉業を成し得た方なのですよ」

「もしかしてサージュさん、天才魔術師だったんですか……?」

「グラースの言っている事は間違ってはいない……間違ってはいないが! あんた、僕の事をただの植物好きの魔術師だと思ってたのか……?」


 私の発言に地味にショックを受けているらしいサージュさんへ、私は慌ててこう言った。


「そういう意味で言ったんじゃないんです! ただその、自分の身近にそんなに凄い魔法を考案していた方が居るなんて思ってもみなかったもので……」

「そうだよな……僕なんて威厳も何も無い陰気で根暗な引き篭もり魔術師だからな……」

「ああ……どうしてそうネガティヴな受け止め方をするんですか、サージュさん!」


 この前彼の薬草園にお邪魔した際、あそこでの薬草の育て方は説明されていた。

 サージュさんは薬草を卸す得意先の要望を受けて、様々な環境で育つ数多くの薬草を栽培している。

 育ててほしい薬草の種を渡されれば、それに合った土や栄養分を魔法で調整するそうなのだ。

 今回のように、手元に種が無いものは現地まで取りに行く事もあるそうなんだけれど……まさかそんな魔法を彼が生み出していただなんて、想像すらしていなかった。


「このままこうしていては日が暮れてしまいますね。貴方の偉業は、この先もサージュ・ミトライユーズの名と共に歴史に刻まれ、語り継がれていく事でしょう。さあミスター、今は気を取り直して崖を登りましょう?」

「……適当に励まされた気がしないでもないが、またさっきのような魔物に襲われるのも面倒だな。あんた達も来るか?」

「貴重な薬草の群生地ですし、レディも一目見ておくと良いかもしれませんね」

「是非ご一緒させて下さい」


 彼らの言葉に頷き、私達三人で土の階段を登っていく事になった。

 もしも崖上に魔物が居ては危険だという事で、まずはグラースさんが一人で行く。

 一足先に到着したグラースさんが周囲を観察し、上の安全が確認出来たところで私達も登っていった。

 もう少しで登り切るという辺りで、グラースさんがそっと手を差し出してくれた。騎士さんの手を借りるというのは、乙女としてはちょっと照れ臭い。相手がグラースさんというのもあって尚更だ。

 それに気付かれていたようで、恐る恐る彼の手に自分の手を重ねた私に小さく笑みを零していた。くぅ……何だか悔しい。


「ご覧下さい、レディ。辺り一面、見事なピンク色の花畑ですよ」


 最後の一歩を登り切って顔を上げると、目の前に鮮やかな景色が広がっていた。

 崖下から見えていたものとは比べ物にならない、どこまでも続いているかのようなピンクの絨毯。

 満開だったその花畑は、一度風が吹くと無数の花弁はなびらがぶわりと宙を舞い上がり、青い空へと飛び立っていく。


「……こんなに素敵な場所があったんですね」

「ええ、本当に。極東の国にも、これと似たようなピンク色の花を咲かせる木があると聞きますが……。この花畑も、きっとそれに負けぬ美しさであると言えましょう」


 視線を右に移すと、風に乗った花弁が滝壺に流れ込む川へと落ちていくのが見えた。

 けれど、水面に触れたその花弁はたちまち消えてしまった。何事かと自分の目を疑っていると、サージュさんが説明をしてくれた。


「カザレナの花弁は、一度散ると水に溶ける性質がある。花弁には微量な魔力が宿っていて、それが溶けた水は濃度が高ければ聖水として使われる事もあるらしい。試した事は無いけどな」

「聖水……ですか」

「ある地域では悪魔や魔女、呪いなんかを祓う為に用いられているそうだ。僕はポーションに使うぐらいしか経験が無い。そもそも、そんな効果が実際にあるかどうかも怪しいが……」


 悪魔や、魔女……そして呪い。

 彼の言葉を聞いて脳裏に浮かんだのは、魔術師団長のシャルマンさんの事だった。

 シャルマンが生まれたソルシエール家の男性だけが受け継ぐという、愛の呪い。

 自分に多少なりとも好感を抱いた女性に、擬似的な恋愛感情を植え付ける呪いだ。

 私もその呪いの影響を受けた事があるから、その怖さは実感している。

 シャルマンさんは優しそうな人だな、と思っただけで……何故だか妙に惹き付けられて、目が離せなくなってしまう。あの後すぐに呪いの効果を消す薬を貰えていなかったら、私はあのままシャルマンさんに偽物の恋をしていたのだろう。

 呪いで無理矢理自分に惚れた相手に言い寄られるなんて、たまったものではないはずだ。


「その効果が本物だったら……」


 あの呪いを、この花弁の魔力で祓う事が出来たとしたら──シャルマンさんを救う事が出来るかもしれない。

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