第4話 いつかの運命

「わ、私……」


 グラースさんに想いを告げられて、私は心臓が大きく跳ねるような鼓動に囚われている。

 他人に嫉妬をする程に私を想ってくれている彼。

 私はこれまで、こんなにも私の事だけを考えてくれる人に出会った事があっただろうか。

 ……少なくとも、私を異性として見てくれた男性の中では、目の前の彼以外には知らない。

 彼に唇を寄せられた手の甲が、まるで火を付けられたように熱く感じる。

 唇一つでこんなにも心を揺さぶられるなんて、私は一度も経験した事が無かった。


「私は、グラースさんの事が……好きなんだと思います」

「……っ、それは……!」

 

 グラースさんの空色の眼が、大きく開かれる。

 私は彼の手にもう片方の手を重ね、きゅうっと閉じ込めるように握り締めた。

 そして驚きに満ちた彼の目を見つめ返す。私はバクバクと騒がしい心臓を少しでも落ち着かせようと、深く息を吸い込んだ。


「……だけど、この気持ちが貴方への恋なのか、私にはまだ分からないんです」


 そう告げると、グラースさんの表情が少しだけ曇る。

 でも、これだけ真っ直ぐに想いをぶつけてくれた彼には、きちんと今の私の本心を伝えなくては失礼だろう。


「グラースさんは誰にでも平等に接していて、誰にでも親切にしてくれる……。私にも騎士団の一員として優しくして下さっているんだろうと……ただの親切心から来るものなのだろうと、ぼんやりと考えていました」

「……貴女の仰る通り、私はきっと誰にでも優しい男としてその目に映っているのでしょう。確かに、貴女に出会ったばかりの頃はそうでした」

「だからきっと、私は貴方の事を優しい人として認識していた……。それ以上でもそれ以下でもない、とても優しい騎士さんなのだと」


 淡雪のような儚げな印象を受けた彼。

 けれどその内に秘めたものは、激しい吹雪のような厳しさと、グラリと燃え上がる炎のような情熱だった。


「ですが、貴方と王都を巡ったあの日に思ったんです。貴方から貰ったこのバレッタが、私が選んだこの飴と同じ雪の結晶のデザインだった。それを知った時、私は泣きたくなるぐらい恥ずかしくて……そして、嬉しかった……!」


 私は形に残らないものを渡してしまったけれど、お揃いのものを贈り合えた事への喜びがあまりにも大きくて。

 私の頭を美しく飾るのの素敵な贈り物が、この世で一番大切な宝物のように思えるんだ。


「……どうしてそんな風に感じたのか、今なら少し分かる気がします。あの時の気持ちは、きっと貴方への想いが芽吹いた瞬間だったんじゃないかって、そう思うんです」

「……その芽を育み、恋の花を開かせるのが、私の第一の目標という事ですね」


 彼の言葉に、私は思わず口元が緩んでしまう。


 恋と呼ぶにはまだ幼い、若く小さな芽。

 婚約者に裏切られ、もう芽吹く事はなかったかもしれないそれに春を運んで来た、雪の似合う貴方。

 氷の騎士と炎の御子なんていう、一見合わなさそうな組み合わせだけれど……。

 実際、心が冬に閉じ込められていたのは私の方だったんだ。


「私の心の氷を溶かしてくれたのは、間違い無くグラースさん……貴方です。でも、こんな中途半端な気持ちのままで貴方の想いを受け入れるのは、私自身が納得出来ません」


 私は改めて彼の手を強く握る。

 すると、彼もそれに応えてもう一方の手を重ねた。


「……私の元婚約者のオルコ。彼を捕らえる事が出来たら、改めてお返事させて頂けませんか? きっとその時に、この気持ちにも決着を付けられると思うんです」


 オルコとは一方的な別れをしたけれど、私はあいつに対して何も出来ていなかった。

 せめて、私は今度こそ幸せを手に入れてやるのだと。あんたなんか居なくても、私は愛する人と幸せになれる人間なんだと言ってやりたいのだ。

 過去の形だけの恋にさよならを。

 芽生えた想いに、私の心を注いでいけるように──。


 私の言葉を受けたグラースさんは、しっかりとした面持ちで頷いた。


「ええ。そうする事で貴女の心が整理されるのであれば、私はそれが成されるまで待ちましょう」


 そうして彼は私の手を離す。

 すっと立ち上がったかと思うと、彼は肩に垂れる私のハーフアップにした髪を一房指先に絡めた。


「……ですが、私はただ待つだけの男ではありません。この胸に宿る感情は、誰であろうとも消し去る事など出来ません。貴女の心に芽生えたものを、美しく花開かせる──きっと恋をする貴女の笑顔は、この世の何よりも甘くとろける果実のようなものなのでしょうね」

「グラース、さん……っ」


 彼はその指に口元を寄せ、何かに誓いを立てるようにそっとそれを押し付ける。

 それから私の耳元に、私達以外には聞こえないような小さな声でこう囁いたのだ。


「私は貴女の笑顔を護る為に、この剣を手に取りましょう。私達が寄り添うこの瞬間……二人きりでいられる時間だけは、私は貴方だけのナイトになれるのです」


 優しく響く彼の囁きは、私の脳を甘く痺れさせていく。

 胸の奥がきゅんとするような、甘いあまい愛の言葉。

 私はくすぶる想いに身を任せ、自分も彼の肩に手を乗せて、小さく言葉を漏らした。


「……そんな風に、いつか私が貴方だけのものになれるのなら……それはとても、幸せな事なんでしょうね」


 一瞬揺れた彼の肩に、私はそのまま顔を埋める。

 きっと今の私は、とても情けない顔をしているだろうから。それを隠すようにして、腰を曲げた彼に身を寄せたのだ。

 彼は私の行為を許してくれたようで、その胸で私を受け止めてくれた。


「フラム……私の愛しい人よ。貴女の抱える不安も何もかも、私がこの手で斬り伏せてみせましょう」

「ありがとうございます、グラースさん……!」


 近い将来、私はグラースさんに真実の愛を捧げる日が来るのだろう。

 私の為にその身をもって戦ってくれる貴方を、私がこの手で癒し護りたい。

 まだ芽吹いたばかりだと思っていた感情は、この瞬間も育まれている。

 彼の腕に包まれて、彼の匂いを側で感じて、魂が震えるような熱に揺さぶられている。

 加速するこの想いは、いったいどんな花を咲かせるのだろうか。


 生まれた国も選んだ道も違う私達が惹かれ合ったのは、ただの偶然の産物だったのかもしれない。

 だけど、彼には偶然なんて言葉では片付けられないものを感じている。

 あの森で死ぬはずだった私が出会った、真っ白な貴方。

 知らぬ間に降り積もった貴方という雪は、私を魅了する純白の雪原を生み出していたのだろう。

 彼とならどんな嵐の中だって、互いを励まし合い歩んでいける。


 ──そんな貴方との出会いを、人は『運命』と呼ぶのだろう。

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