第3話 氷を溶かした炎

 グラースさんの様子がおかしい。

 テントに使う柱や布、調理道具などが乗った馬車の荷台に揺られながら、私は出発前の彼の事を思い返していた。

 あれからグラースさんは私に目を合わせてくれない。それはサージュさんも同様だ。

 きっと私がサージュさんと長話をしていたせいで、彼を怒らせてしまったんだろう。

 でも、それだけであんなに突き放すような言い方をするものだろうか。


「機嫌が悪そうには見えなかったんだけどなぁ……」


 彼の態度が冷たくなった理由を探るというのも、何だか気が引ける。

 今はとにかく、いざという時に皆の役に立てるように頑張ろう。この任務が終わったらやりたい事が沢山あるんだ。

 それに、向き合わなければならない問題も。


「……よし、頑張ろう」


 小さく拳を握って気合いを入れる。

 そうして十人で結成された護衛部隊は、アイーダ渓谷への道をひたすらに進んでいった。



 その日の夜。

 丁度拓けた場所を見付けた私達は、日が暮れる前にテントを張った。

 今回は以前の討伐任務の時より人数が少ないので、かなり早めに食事の支度を終える事が出来た。

 夕食には近くの森で手に入れた野鳥をメインに、サージュさんの提案で鳥の香草焼きを作る事にしたのだ。

 彼が選んだハーブの香りは食欲を刺激し、その爽やかな芳香が肉に程よく合っていた。普段からこうした料理を好んで自宅で調理しているらしい。

 私もこんな風に美味しいものを作りたいなと呟いたら、何とサージュさんがおすすめのハーブの組み合わせを教えてくれた。今度食堂のキッチンを借りて試してみよう。

 皆で焚き火を囲み和やかなムードで食事を済ませたのだけれど、相変わらずグラースさんの態度はおかしかった。

 いつもなら自分も会話に参加しているはずなのに、誰かに話を振られなければ一言も発する事が無かったのだ。

 そんな彼の様子は、他の皆も気になっているようだった。

 朝から突然普段の優しい笑顔が消えてしまったのだから、私よりも彼と過ごした時間の長い騎士達なら尚更だろう。


 食器類を片付けた後、私はグラースさんが使うテントの前に脚を運んだ。

 私のせいで彼の気分を悪くしてしまったのなら謝りたかった。このままギクシャクした雰囲気のままでいるのは、どうしても我慢出来そうになかったのだ。

 けれど、まるで相手にされなかったらと思うと、喉の奥に言葉が詰まって出て来ない。

 彼に言いたい事があるのに。言わなきゃいけないのに。

 私が生きた魚のように口をパクパクさせていると、中から金属が擦れる音がした。


「そこにどなたか居るのですか?」


 すると、グラースさんが中から顔を出した。

 外に目を向けた彼と視線がぶつかり、突然の事に思わず肩が跳ね上がってしまった。


「ぐ、グラース、さん……」

「レディ……? どうしたのです、そんな所で」

「いや、ええと、ですね……」


 彼に会いに来たというのに、こんな形で不意打ちを喰らうと対処が出来ない。

 不思議そうに首を傾げる彼はというと、今は特別不機嫌という訳でもないように見える。

 それならどうにかなるかもしれない。いや、どうにかしないと始まらない。

 私はゴクリと唾を飲み込んで、意を決して口を開く。


「……グラースさん!」

「はい、何でしょう」


 そして彼の澄んだアイスブルーの瞳を真っ直ぐに見詰め、こう言った。


「食後の飴を、ご一緒しませんか……⁉︎」


 私からの急な提案に、今度は彼の方が驚く番だった。



 口の中で飴を転がしながら、グラースさんは今朝からの曇った表情が嘘のように微笑んでいた。


「口に物を入れながらなんてちょっとお行儀が悪いですけど、こうしてグラースさんとお話し出来て良かったです」

「その通りですね。ですが、ここには他人の目はありません。多少の無礼は気にせずとも宜しいのでは?」

「ふふっ、そうですね」


 出発前に彼と交わした約束の通り、私達はあのキャンディーショップで購入した飴の味を楽しんでいる。

 砂糖の甘みと鼻を抜けるミントの心地良い香りが、私の沈んでいた気持ちを晴れやかにしてくれるようだった。

 それは彼も同じだったようで、こうして穏やかな時間を共有出来ていた。

 私達はグラースさん専用のテントの中で組み立て式の椅子に座り、小さなテーブルを挟んでいる。

 私はふとテーブルの上の瓶に入った水色の飴に視線を移す。

 雪の結晶が描かれたその飴の切り口は、私と彼が互いに贈ったプレゼントの共通点だ。示し合わせた訳でもなく、ただ気が付いたら手に取っていただけの、偶然の一致。

 彼から贈られたものは今、私の髪を飾って輝いている事だろう。


「……ご心配をお掛けして、申し訳ありませんでした」


 眉を下げて、心底辛そうにグラースさんが心情を漏らした。

 彼の謝罪に、私も本心を打ち明けようと思った。


「私の方こそ、本当にすみませんでした。大事なお仕事の前だったのに、グラースさんに頂いたバレッタを身に付けて浮かれてしまっていたんだと思います」

「いえ、貴女は悪くありません。私が幼稚だっただけなのです。貴女に謝られては、私は……」


 私達は似た者同士だ。

 気が付けばいつも互いに謝ってばかりで、真実を打ち明けていたつもりでも、いつの間にかまたこうして謝罪するのを繰り返している。

 それは相手に気遣い過ぎているせいなのか……それとも、相手に嫌われるのが怖いせいなのか。

 きっとどちらも間違ってはいないのだろう。

 彼に失礼な事をしたくない。彼に嫌われるような事もしたくはない。

 ……我儘だろうか。

 でも私は、相手を気遣う事を忘れてしまったから愛想を尽かされた女だ。同じ間違いは繰り返したくない。前に進みたい。


「……思い切ってお尋ねします。今朝から機嫌を悪くされていたのは、どうしてなんでしょうか」


 その質問に、彼の瞳が揺れた。

 一度何かを言い掛けて、言葉を吐き出す前に閉ざされた唇。

 けれど、一呼吸置いてから彼は言った。


「……くだらないと思われるかもしれませんが、この際ですから私も思い切ってお話し致します」


 ぐっと寄せられた眉根。

 迷いを捨てた彼の真剣な表情に、私は無意識に息を飲んだ。


「私は……ミスター・サージュに嫉妬しました。貴女と親しげに話す彼に、醜い感情を抱いてしまったのです」

「嫉妬……ですか……?」

「はい。私は彼に嫉妬した。彼に笑顔を向ける貴女を、私以外の男性と親しくする貴女を……それを目の当たりにして、嫉妬の炎に駆られてしまったのです」


 その言葉は、あまりにも真っ直ぐで不器用で。

 私が描いていた彼という男性像とは、まるで違っていて。

 だけれど彼の瞳の奥には、確かな強い想いが揺れているのが見えるのだ。

 それは熱く燃え盛る炎。恋と呼ぶにはあまりにも温度の高い、魂をも燃やすような激しい烈火。

 氷の騎士とも呼ばれる彼に、こんなに情熱的な炎が宿るものなのか──。


「……フラム。こんな私の事を、貴女を想うこの気持ちを、どうか……どうか、お許し下さい……!」


 彼は椅子から立ち上がり、私の横に片膝を付く。

 そして震える手で私の手を取り、その甲にそっと熱を落とした。

 その唇までも震えていて、私は彼の行為を黙って見守るしかなかった。


「貴女の事を想うだけで、この私の心は激しく荒れ狂う……。まるで、胸の内に嵐でもやって来たのではないかと錯覚する程に。この感情を無理に受け入れて頂こうとは思いません。私を拒絶なさるのなら、せめてこの剣が届く場所では全身全霊をかけてその身をお護り致します」


 そして恐る恐る顔を上げたグラースさんは、熱の籠った瞳でこう告げた。


「だからせめて……この言葉だけは、貴女に伝えたい」


 ──私は死んでしまいそうな程に、貴女の事を愛しています。

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