第5章 届け、祈りの花
第1話 嵐の前の静けさ
殿下に押し倒され、熱烈な愛の告白を受けたあの日から数日後。
あれから王都の夜は物静かになっていた。
神出鬼没の黒騎士を警戒する巡回の騎士以外、夜の街を歩くものは滅多に居ない。
夜にこそ盛り上がりを見せる酒場の店主は、客足が遠退き頭を抱えているのだと騎士さん達が話していたのを耳にした。
早くいつも通りの平和な夜を取り戻せたら良いのだけれど、まだ黒騎士の足取りは掴めていない。
殿下はドラコス家の調査に加え、黒騎士の捜索にも乗り出している。団長さんとグラースさんも毎晩遅くまで仕事に追われているようで、彼らの身体が心配だった。
私もフランマにお願いして、あまり目立たないように黒騎士を探してもらうようにお願いしている。
大精霊の彼女なら黒騎士にも負けないだろうし、精霊は魔力に敏感だ。赤い鳥の姿に変身したフランマは、毎晩王都の空から捜索を続けてくれている。
けれども何故か手掛かりは掴めず、そのまま捜査の進展が無いままだった。
それが何だか不気味だった。あんな禍々しいものが、あのまま大人しくしてくれるとはとても思えないから……。
そして今日はサージュさんからの依頼で、私達騎士団はアイーダ渓谷へ向かう護衛任務に出発する。
私はあれから色々と頭の中でぐるぐると考え込んでしまっていて、気持ちがふわふわして落ち着かなくなる事が増えていた。
そんな時は医務室を出て調合室へ籠り、ポーション作りに没頭する事で気を紛らわせている。
揺れる銀糸の一つ結びの髪に、明るい満月を閉じ込めたような黄金色の鋭い瞳。
うっかり気を抜いていると、あの時のクヴァール殿下の熱い眼差しを思い出して顔から火が出てしまいそうになるのだ。
だから私は殿下の事を思い出さないようにと、ありったけの集中力を発揮してポーションを作り続けていた。
そのせいで予定していたよりも多くの薬品が出来上がってしまい、一日だけで薬草を使い過ぎだとグラースさんにお叱りを受けてしまった。
作り過ぎたポーションの一部は、念の為の予備として今回の護衛任務に持って行く事になる。余った分は薬棚に収まりきらなかったので、木箱に詰められるだけ詰めて薬品庫の片隅に保管したのだけれど……。
まさかこんな形で迷惑を掛けてしまう事になるとは想定していなかった。もう同じ事を繰り返さないように自分に強く言い聞かせ、グラースさんにも必死に謝った。
「分かって下されば良いのです。何か思い詰めたような顔をしているようですが、困った事があればいつでも力になりますよ」
彼はそう言ってくれたけれど、未だに申し訳無さが残っている。
でも、これからどうすれば良いのかしら。
何かに集中していないと、ふとした瞬間に殿下の事を思い出してしまう。
良い解決策は無いものだろうか、と考えながら自室で身支度をしていたその時だった。
お給料を頂いた日に買っておいた小物入れが視界に留まり、ドレッサーに置かれたその中身に手を伸ばす。
小物入れの中はまだ品数が少なく寂しい。その中央に鎮座する美しい雪の結晶を模した装飾のバレッタに、私の手は不思議と吸い寄せられていた。
「そういえばこのバレッタ、着けるのが勿体なくてずっとここに仕舞っていたままだったわ」
いくつかの結晶が散りばめられたその髪留めは、これから夏を迎えようとする今の時期には不釣り合いだ。
けれどもそれを眺めていると、何故か心が穏やかになる。
グラースさんと王都を巡った日の事が、まるで昨日の事のように色鮮やかに脳裏に蘇っていく。
彼と色々なお店を見て回って、綺麗なものを一緒に眺めて、共に笑い合った。
「ちょっと恥ずかしかったけど、楽しかったなぁ……」
そうだ。
いつまでもここに押し込んだままでは、こんなに素敵なものを贈ってくれた彼に申し訳が無い。
この前彼が私を叱ったのだって、私が騎士団の治癒術師に相応しくあるようにと思っての事だったはずだ。
「せっかくだし、気分転換には丁度良いかもしれないわよね」
私は少し伸びてきた髪をブラシで整え、ハーフアップになるようにしてグラースさんから貰った雪のバレッタで纏めた。
我ながら上手く出来たと思う。
いつもと違う髪型にするだけでも、気分が軽くなるようだった。
そうして着替えやブラシなどの必要なものを揃え、バッチリと支度を終えた私は、そのまま食堂へと向かう。
朝食が済んだら王都を立つ。その前にしっかり腹ごしらえをしておかないとね。
「おはようフラム。今日はいつもと雰囲気違うなぁ?」
食堂に着くと、早速ティフォン団長に声を掛けられた。
彼もこれから食事を摂るところだったらしい。
私も彼に挨拶を返しながら、一緒にカウンターで朝食の乗ったトレーを受け取りに行く。
「おはようございます、団長さん。ちょっと髪型を変えてみたんです。おかしくはないでしょうか?」
「良いんじゃないか? たまには頭を弄るのも悪くないだろ。お前もまだ年頃の娘なんだしな!」
「何というか、そういう台詞っておじさんっぽいですよ? お父さんみたいですよ団長さん」
そう返すと、彼はまだ朝も早いというのに元気に笑った。
「ははは! 言われてみれば今のは親父臭かったな! まあ俺ももう二十七だし、子供が居てもおかしくない歳だからなぁ」
豪快に笑い飛ばす彼。
確か団長さんと初めてお会いした時、グラースさんも彼と同い年だと言っていたっけ。
良く言えば男らしい団長さんと、冷静で大人っぽいグラースさん。
二人は同い年なのに、こんなに印象が違うものなのね。
トレーを持って空いている席に着くと、私達は早速それぞれ好きな順に料理を口に運んでいく。
団長さんは見た目が老けているわけではないから、気の合う女性が居ればすぐにでも家庭を持てそうよね。
意思の強い目にキリリとした眉、そしてさっぱりとした髪型は皆の兄貴分としても充分魅力的だろう。
グラースさんもそうだけれど、こうしてじっくり考えてみると二人が未婚なのが不思議すぎる気がする。彼らのような男性なら、世の女性達はきっと放っておかないだろうに……。
「……ん? どうしたフラム、俺の顔なんかじっと見て」
「えっ、あ、ごめんなさい! ちょっとボーッとしていただけです!」
「そうか? なら良いが……早く食わないと飯が冷めるぞ?」
「そうですよね。早く済ませないと時間が無くなりますし」
そんなに見詰めてしまっていただろうか。
彼に不快な思いをさせていないか心配だ。
それに、団長さんの言葉通りせっかくのご飯が冷めるのは勿体無い。キッチンの料理人さん達が美味しく作ってくれたものなんだから。
少し慌てながら食事を再開すると、向こうのテーブルにグラースさんの後ろ姿が見えた。
後で改めてバレッタのお礼を言っておこうかな。いつまでも贈り物が未使用のままだと知られていたのなら、気分を悪くさせてしまっていたかもしれないもの。
私は出発前に彼に声を掛けておこうと心に決め、最後に残ったパンのひとかけらをミルクと一緒に流し込んだ。
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