第8話 独占欲

「……すみません、もう大丈夫です」


 殿下は私が泣き止むまで、ずっと隣で頭を撫でてくれていた。

 気分が落ち着いていくにつれて、今の状況への照れ臭さの方が勝ってきた。イケメンに黙って肩を抱かれてなでなでされるって、こんなに顔が熱くなるものなのね。


「そなたの気持ちが落ち着いたのなら、それは何よりだ」

「お気遣いありがとうございます。ええと、お話の続きをしなければいけませんよね」

「そうだな。オルコ・ドラコスによる女性の連続殺害容疑……そして、もう一つのドラコス家の疑惑について話そう」


 そうして殿下は、その手から私を離した。

 そのまま向かいのソファに戻るのかと思ったのだけれど、何故か彼は私の隣から動かずに話を続ける。


「カーシスの森で発見された数多くの遺体は、我がアイステーシスの国民だけに留まらない。この事件の調査にはかなりの時間を要したが……そなたのお陰で、ドラコス伯爵家に調査の手を伸ばす事が出来た」


 私がオルコに殺されかけた事が切っ掛けというのは少し複雑だけれど、長年手掛かりが見付からなかった事件が解決に向かおうとしているのは良い事だろう。

 でも、それはオルコだけでなく彼の父──ラルウァ伯爵もあの森で誰かを殺害していたという証明になる。

 何も知らなかったとはいえ、私はそんな恐ろしい事をやってのけるドラコス家に嫁ごうとしていたのだ。

 それを知る前にあの家から離れる事が出来たのは、不幸中の幸いだった。


「我が国の貴族の一人が、ある日を境に姿を消した。彼はカウザ王国との国境にある魔石鉱山の所有権を争っていたのだが、その相手というのが……ドラコス伯爵だった」


 魔石鉱山は、人々の生活に欠かせない様々な魔石が発掘される宝の山だ。

 それが他国との国境を跨いでいるとなれば、当然どちらの国も所有権を主張して権利争いが勃発する。

 カウザ王国からは国境に近いハリマに住むドラコス伯爵家が。アイステーシス王国からはエルピス侯爵家が代表して話し合いをする事になったという。


「しかし、その話し合いの最中にエルピス侯爵は行方をくらました。数ヶ月に渡る権利交渉は、侯爵側が有利に進めていたのだ」

「それでは、権利争いに負けそうになったラルウァ伯爵が邪魔者を消そうと……?」

「あの伯爵ならばそう考えてもおかしくはないだろう。不要となった人間を消す──親子揃って、非道な行いをする事だ」


 エルピス侯爵が行方不明となって数日後、遠征から帰って来る途中に王国騎士団が彼の遺体を発見した。

 それは偶然の出来事だったけれど、それ以来カーシスの森では頻繁に無惨な遺体が捨てられるようになったのだとか。

 それを切っ掛けに、殿下は森の調査を国王から命じられたのだそうだ。


「あの、クヴァール殿下。一つお聞きしたい事があるのですが……」

「何だ? 申してみよ」

「どうして最初にラルウァ伯爵が疑われなかったのでしょうか? 元からドラコス家は評判も良くなったそうですし、権利争いをしていた相手ならば一番に疑われてもおかしくはないと思うのですが」


 交渉期間中に遺体で発見されるだなんて、どう見ても不自然だ。

 権利争いで侯爵を殺害したと真っ先に疑われるのが自然。そう思って質問したのだけれど、殿下の口からこんな答えが返ってきた。


「疑われはしていたのだ。しかし、当時のエルピス侯爵家では長男と次男のどちらに家督を継がせるかで揉めていてな。兄は恋愛結婚の末、庶民の女性との間に生まれたのだが、出産して間も無く命を落とした。侯爵の再婚相手は同じ貴族の娘だったのだが、彼女との間に誕生した弟こそが跡継ぎに相応しいと主張する家族との間で、意見が分裂してしまったそうだ」


 元々エルピス侯爵は周囲の反対を押し切って庶民の女性と結婚していたそうで、高貴な血統を重んじる親戚からは白い目で見られていた。

 長男は剣術の腕は弟より上だったのだけれど、政治などには疎かった。

 頭が良く優秀な、そして歴史ある家系の血だけを受け継いだ弟こそが侯爵家を継ぐべきだという声が大きかったのだ。


「鉱山の権利争いが始まる以前から、この家の確執は王侯貴族の間では有名だった。十年程前、長男の食事に毒が混入していた事件は瞬く間に広まっていたな。幸い彼の命は助かったのだが、それを機に長男は家を出たのだ」

「そこまでして次男に家を継がせようとするなんて……」

「彼は今も元気にやっているさ。だが、それでも長男が生きている限りは侯爵が跡継ぎに推すだろう。仮にも長男だからな。故に侯爵の死の直後は、侯爵家内部の確執による殺害が濃厚だと言われていたのだ」


 政略結婚ではなく、反対されてでも恋愛結婚を貫いたエルピス侯爵。

 彼の家族間での争いが、ドラコス家にとっては好都合だったのか……。


「……侯爵が亡くなられて、跡継ぎ問題はどうなったのでしょうか」

「次男が継いだ。それもあって、ドラコス家への疑いが薄れてしまったのだ」


 そのまま長男は家に帰らない事を決めたらしい。

 それも当然だ。自分を毒殺しようとした家族と暮らし続けるなんて、正気の沙汰ではないもの。


「エルピス侯爵の死から始まった死の連鎖は、もう止めねばならん。そなたと出会わなければ、一連の事件とドラコス伯爵家との関連性に目を向ける事も無かったかもしれぬ。だが、それこそが私の新たな悩みの種になっているのだ」


 そう言って、殿下はおもむろに私の手を取った。

 少し冷たい指が触れ、そのしなやかな指が私の手を包み込む。

 ビックリして彼を見上げると、殿下は真剣な面持ちで私を見詰めていた。


「え、あ、殿下っ……!」

「そなたの騎士団での働きは、目を見張る活躍ぶりだ。先月のベルム村での瘴気の浄化も、炎の御子であるそなただからこそなし得た偉業と言えよう。そなたの活躍は、私から王の耳にも届いている」


 そうだ、クヴァール殿下は王様の息子なんだもの。

 大精霊を喚んだんだもの。国王陛下に報告が行っても不思議じゃないわよね。

 でもね、こんな話をしている最中でも殿下の手が止まらないのよ。ただ手の甲から握られているだけだった左手が、いつの間にか指と指を絡め合うようにして覆い込まれている。

 その緊張でこわばる私の目の前──吐息が触れる程の至近距離に、美術品のように整った殿下の顔があるのだ。

 何これ。どういう状況なの⁉︎


「村の者達もそなたに深く感謝していた。病に伏せていた冒険者の青年達も同様に。だが彼らの口からそなたの名が広まれば、オルコがそなたの存命を知る事になるやもしれん。そうなればあの者は、もう一度そなたの息の根を止めようと躍起になる事だろう」

「そ、それは……」

「そなたは殺そうとしてきた犯人の顔を知っている。口封じとして暗殺者を寄越してくる危険もある」


 オルコならやりかねない。

 むしろ自分の面子の為に私を殺そうとしたのだから、今度こそ私を確実に仕留めようとするのだろう。

 すっかり王都での生活に馴染んでいたせいで忘れかけていたけれど、オルコに狙われる危険が無くなった訳ではなかったんだ。


「……だが、私ならばそなたをあらゆる危険から護れるだろう。そなたの命を狙う愚か者も、炎の御子としての力を狙う貴族からも、私であればそれらを跳ね除けてやれる」

「きゃっ⁉︎」


 すると殿下は、急に私をソファに押し倒した。

 けれどそれは決して乱暴な手付きではなく、私の身体を気遣うような程良い強さだった。

 そして、耳元に囁く殿下の長い前髪が、私の首元をくすぐった。


「私の手で、そなたを護りたい……。春の陽だまりのような温かなそなたの笑顔を、いつでも側で眺めていたい……」


 甘くかすれるようなその声に、私の頬は再び激しい熱を持つ。

 こんな風に男の人に口説かれるなんて……。

 どうしよう。ドキドキと煩い私の心臓の音が、彼に聴こえてしまうんじゃないだろうか。


「……お前が欲しい、フラム。どうか、私の妻になってはくれないか……?」


 『お前』って、初めて言われた。

 殿下って、そんな風に呼ぶんだ……。

 そんな事をぼうっとしてきた頭で考えていたら、殿下は耳元から顔を上げて私を見下ろしていた。

 彼の金色の瞳が、熱っぽく私を見詰めている。

 殿下は本当に、私の事を妻にしたいと思ってくれているんだろうか?

 だって私は普通の家に生まれた庶民で、彼は正真正銘の王子様。

 ついさっきそんな二人の結婚の末に起きた事件を聞いたものだから、突然こんな事を言われてもどうしたら良いのか分からない。


「……困らせてしまったな。私が嫌なら、今すぐこの胸を突き飛ばせ。お前が嫌がる事をしたくはない」

「で、殿下が嫌いだなんてとんでもありません! ただ、その……時間を下さいませんか? 私、今まで殿下の事をそういう風に考えた事が無くて……ええと……」


 このまま雰囲気に飲まれてはいけない。きっと後悔する。

 だけど、本人が許可しているとしても彼を突き飛ばすなんて出来ない。

 どうやってこの状況を抜け出そうか必死に言葉を探していると、殿下はフッと吹き出した。

 そして私の上から身体を退け、楽しそうに笑い出した。


「フフッ……優しいな、お前は。確かに、突然このような事を言われては戸惑うだろう」


 ソファに座り直した彼の隣に、私も起き上がって彼を見る。

 前から何度か思っていたけれど、殿下は普段笑わない人なのに、私と二人きりになるとよく笑う。

 一見冷たい印象を受ける切れ長の目が、今は優しい。

 彼はいつもこんな目をして私を見ていたのだろうか。


「それでは、お前の事は時間を掛けて口説き落とすとしようか。私がお前を護るにあたいする男であると信頼してもらえるよう、努力を重ねよう」

「こ、これ以上口説き落とされるんですか、私……!」

「当然だ。私はお前を愛したい。お前に愛される男になれるよう、これからは全力でいかせてもらうつもりだ」


 今のが全力でなければ、次は何をされるというのでしょうか!

 殿下の全力口説きモードに恐怖とドキドキを半分ずつ感じながら、彼からこの後の仕事に戻るよう言い渡された。



 ******



 フラムを見送り、私は一人執務室で先程までの記憶に思考をやった。

 私に押し倒された彼女は、初めて恋をする少女のように純粋な反応を見せていた。

 簡単な愛の言葉を囁けば、その白い頬は薔薇色に染まる。

 それはどのような女相手でも変わらなかった。

 古代鰐──ブー・クロコディルの瘴気を浄化するべく炎の大精霊を召喚したフラムは、もう疑いの余地が無い。彼女こそ本物の炎の御子だ。

 王には既に報告を済ませてある。後は彼女の身の安全を確かなものとし、国内外の王侯貴族の手にフラムが渡らないよう、彼女を我が妻として迎え入れるだけ。


 ──そう。彼女は我がアイステーシス王国の繁栄の為の道具。

 私との間に優秀な子を残し、この国をさらなる高みへと到達させる王子の母となるべき存在。


「彼女はそれだけの価値しかない。……そのはずであろう、クヴァールよ」


 フラムを押し倒したソファに背中を預け、まだ彼女の残り香のするそこで固く目を瞑る。

 胸を掻き乱すような、甘く柔らかなフラムの香り。

 私を見上げ戸惑いを浮かべたその栗色の瞳と、ソファの上で乱れた真紅の髪。小さな耳まで真っ赤に染まったあの表情が、目に焼き付いて離れない。

 どうしたというのだ。私はこの国の為、この国の王子として当然の事を成そうとしているだけだろう。

 それなのに……何故彼女の事が頭から離れない?

 彼女に囁いた言の葉は、あくまでただの口説き文句だったはずだろう。


「……清らかすぎるのか……彼女は……」


 他人の為に涙を流した彼女。

 他人を救う為に瘴気に立ち向かった彼女。

 フラムの心は、私にはあまりにも清すぎる。

 まるで己の心の淀んだ野望までもを浄化するかの如く、美しい魂を持ったフラム。


「私は……」


 あの時、彼女が時間をくれと言って来なかったら。

 私はあのまま彼女の唇を貪っていたのだろう。

 彼女を落とすつもりが、いつの間にか私が彼女の虜になっていた。

 あの清廉な娘を私のものにしたい。

 これは私個人の意思……欲望だ。

 どうにか彼女を私の手に収めたい。そして、その身も心の私だけが手に入れたい。

 私自身も、お前に全てを捧げよう。


「本気でお前の事を……愛しているのか」


 フラム、お前は誰にも渡さない。絶対に──。

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