第7話 信じた言葉、裏切りの言葉

「今からお城へ向かうんですか?」

「ああ、さっき城から使者が来てな。殿下からお話があるそうだ。どうやらお前の婚約者だった男に関する件で、何か進展があったらしい」


 翌朝──可能な限りの睡眠をとって業務を開始して間も無く、ティフォン団長が医務室にやって来てそう告げた。

 朝一番で城下の人々には黒騎士への警戒を呼び掛けており、いつにも増して騎士団の皆は忙しそうに働いている。

 私もそんな彼らの力になれればと、疲労回復に効果のある魔法薬作りをしようと思い立ったところだった。

 そのポーションのレシピを教えてくれたサージュさんはというと、黒騎士の目撃情報が無い日中の内に自宅の山小屋へと帰っていった。

 あまりよく眠れなかったのか、彼の目の下にクマが出来ていたのが印象的だった。


「……オルコの件、ですか」

「大体の話は俺も聞いているが……ろくでもない男だな、そのオルコっていう野郎は」

「それはまあ……刺されましたからね、私」


 騎士団での生活にもすっかり慣れてきた。

 この暮らしには満足しているし、騎士団の治癒術師として働く事でしか救えなかった人が居る。

 その切っ掛けとなったのが、カウザ王国の伯爵家の長男オルコの浮気だったのよね。

 苦い顔をした私に、団長さんは言う。


「色々思う所はあるだろうが、ひとまず殿下から説明をお聞きしてこい。外で案内役の高官が待ってるから、早く行ってくると良い」

「はい、それでは失礼します」


 団長さんに一礼して、私は彼と一緒に医務室を出た。

 誰かが訪ねて来た時の為に、ドアには外出中の札を掛けておいた。ひっくり返せば在室中と書かれているので、これで私の不在を知らせる事が出来るのだ。

 そのまま団長さんは訓練場で騎士達との鍛錬に戻り、私は表玄関を出る。

 すると、彼が言っていた通り玄関先に男性が立っていた。あの人が高官さんなのだろう。


「お待たせしてしまい申し訳ございません。王国騎士団専属治癒術師のフラム・フラゴルです」

「初めまして、フラゴル様。それでは早速ですが、殿下がお待ちかねですのでどうぞこちらへ……」


 彼に案内されるがまま、私は久々の王城へと足を踏み入れた。

 前にここへ来たのは、私がこの国に来た初日の事だった。

 あの時と変わらず煌びやかなお城の階段を登り、高官さんに通されたのはこれまた気品溢れる執務室だった。

 綺麗に整頓された机の向こう側に佇むクヴァール殿下は、私の顔を見て薄っすらと口元を緩める。


「彼女の案内、ご苦労だった。アデル、そなたはもう下がって良いぞ」

「はっ……。失礼致します、殿下」


 そうしてすぐに退出した高官さん。

 クヴァール殿下はすっと目を細めながら私にソファに座るよう促し、それに従って腰を下ろす。

 うわ、殿下の執務室なだけあってフカフカだわこのソファ。

 宿舎の談話室にあるソファも実家のものより座り心地が良かったけれど、本物の王子様が普段使いする部屋に置かれた家具はレベルが違う。

 そんな驚きが顔に出ないように気を引き締めていると、殿下も私の向かいのソファにローテーブルを挟むようにして着席する。

 その絶妙なタイミングを読んでいたのだろうか。コンコンコンコン、とノックの音がした。「入れ」と殿下が反応してやって来たのは、ティーセットを用意したワゴンを押すメイドさんだった。

 美しい空色の花が描かれたティーカップに注がれた紅茶から、豊かな香りが漂って来る。

 お茶の用意を終えたメイドさんも、先程の高官さんのように余計な物音を立てずに去っていった。これが王城クオリティというものなのかしら。


「……さて、今日こうしてそなたを呼び立てたのは他でもない。そなたと婚約を結んでいた、オルコ・ドラコスに関する調査結果が出た」


 顔以外に良い所なんてほとんど無かったオルコ。

 浮気が発覚し、私を殺して口封じを目論んだあの男──やけに犯行慣れしていた様子が気になり、それを殿下達に伝えたのがもう一ヶ月以上も前の事だ。

 私が騎士団での仕事に明け暮れていた最中、殿下は私なんかの為にあの事件を調べてくれていた。


「瀕死のそなたを発見したあの森では、ここ数年何度も遺体が見付かっているという話をした事を覚えているか?」

「はい。女性やお年寄り、様々な身分の方が殺害されていると……」

「それらの被害者とドラコス伯爵家との関連性を調べ上げたところ、二つの大きな疑惑が浮上したのだ。一つが伯爵家の嫡男、オルコと交際関係にあったとみられる女性達。彼女達の出自を洗ったところ、どうやらあの男はそなた以外にも手に掛けてきた女性が居たようなのだ」

「そんな……」


 私以外にもオルコに狙われた女性が居る──それってつまり、私が治療院の患者さんに聞いた女性以外にも浮気相手が居たって事よね……?

 ただでさえ彼の浮気を知って、あんな人だとしても婚約者だったからショックを受けたのに……私の時みたいに、何人もの女性を殺していたっていうの?

 複数の女性に手を出していた事への怒りより、それだけの女性を躊躇いなく殺害してきたあの男への恐怖の方が遥かに勝る。

 頭が真っ白になりかけた私の意識を引っ張り上げるように、殿下の声が耳に届いて来た。


「身元が判明しているだけでも三名。遺体の腐敗などによる損傷で判別不可能だった者も含めれば、最低でも両手の指で数えられる程度は犯行を繰り返していたとみて間違い無いだろう」

「……だからあの人は私を殺そうとした時も……何の抵抗も無かったんだ……」


 殴られて、攫われて、胸を刺されて。

 いらないオモチャを捨てる子供のような感覚で、何人もの女性の命を奪っていた男。

 そんな人だったから、私が治療院での仕事を続けさせてほしいと言っても納得してくれなかったんだ。

 彼は他人の命なんて何とも思っていない。

 私が必死に救おうとしているものを平気な顔で傷付けられる、心無い悪魔のような人。

 それに気付いた瞬間、彼という人間を嫌という程理解してしまった。


「……カウザ王国へ放った諜報員からの報告によれば、そなたは伯爵家を裏切り、他の男と逃げたという扱いにされているらしい。それにより婚約は破棄。今は別の女性と関係を持っているそうだ」

「本当に裏切ったのは、あんたの方じゃない……。私はっ、あの時のあんたの言葉を信じていたのに……!」


 ここまでスッパリ割り切られてしまうなんて、あまりにも惨めじゃない。

 私は……私は、初めて出会ったあの時の言葉を信じていた。だから彼と婚約しても良いと、そう思ったのに──



 ******



 あれはまだ、私が先生の元を離れて間も無い頃だった。

 どこかの街の治療院で働きたいと思った私は、昔両親との旅行で訪れたハリマという街に移り住んだ。

 ハリマは治安も良く冒険者も多い街だったから、良くも悪くも患者さんが多い賑やかな土地だった。

 先生から大体の治癒魔法は教わっていたから、後は実際に治療院で仕事を覚えて、正式な治癒術師として試験をパスしなくてはならなかった。

 私はすぐに治療院へ赴き、ここで見習いとして働かせてもらえないかと交渉を始めた。

 急な話で当時は迷惑を掛けてしまっただろう。でも、そこで出会った先輩達はとても器の大きい人達だったのよね。

 そうして数日後、無事に治癒術師見習いとしての仕事が始まった。

 先生と二人だけで学んだいた頃とは異なり、様々な患者さんがやって来る治療院での勉強の日々はまた違った発見が多々あった。

 最初のうちは大怪我をして運ばれて来る冒険者さんの血の量や傷を見てビクビクしていたけれど、これと向き合う道を選んだのは紛れもない自分自身。

 彼らのような人達を救う事が出来るんだから、怖がってなんかいられなかった。


 そんな毎日を過ごしていたある日、休日という事もあって気分転換にカフェでも行こうかと大通りをあるいていた時の事だ。

 横を走り抜けていった馬車が急に止まったかと思うと、その中からえらく派手な身なりの青年が降りてきた。

 そして私の方を見て微笑みながら、こんな言葉を浴びせてきたのだ。


「やあ、愛らしいお嬢さん。僕はこの街の伯爵家の出身のオルコ。オルコ・ドラコスだ。君の色鮮やかな赤い髪とべっ甲のように美しい瞳に、僕の心はすっかり虜になってしまったようだ。ああ、麗しの君よ! この近くに良い店があるんだが、良かったらお茶でもどうだろうか?」


 当時の私は本当に男を見る目が無かった。

 こんなミュージカルみたいな登場をしてきたオルコを、愚かにもカッコいいと思ってしまったんだから。

 馬車から颯爽と降りて来たその様が、まるで白馬に乗った王子様のようだなんて……。


「……ええと、ごめんなさい。私は伯爵家の方にお褒め頂くような者ではありません。ですからその、失礼ですが──」

「いいや、君は本当に美しい」


 俯いて彼の誘いを断ろうとしていた私に、オルコはきっぱりとそう言った。

 ビックリして顔を上げると、彼は流れるような仕草で片膝をついて私の手を取る。

 じっと私を見上げるオルコのディープグリーンの瞳が、戸惑う私の顔を写し込む。


「初対面の女性にいきなり言う事では無いかもしれない。でも、これだけは断言するよ。アザレアの花のように華やかな、まだ名も知らぬ君。君は美しく、それは誰の目から見ても間違いの無い事実だ。僕に恋の喜びを教えてくれた君に、心からの感謝を伝える事を……どうか、許してくれないだろうか」


 そしてオルコは、私の手の甲にそっと唇を落としたのだ。

 こんな風に外見を褒められるなんて生まれて初めての事だったから、私は気が動転して逃げるようにその場から去ってしまった。

 それからというもの、彼はどこからか情報を仕入れて私の職場を調べ上げ、毎日のように猛アタックを繰り返して来た。

 何度デートを断ってもめげない彼に根負けして渋々約束を取り付けた数ヶ月後、彼からプロポーズを受けたのだ。


「フラム……僕だけの、たった一人の大切な人。どうかこの指輪を受け取ってほしい。そして、僕と共にこの先の人生を歩んでくれないか」


 あの頃は、オルコはそれだけ私の事だけを考えてくれているものだと思っていた。

 私なんかを美しいと言ってくれた……そんな彼の心を信じてみようと思えたのだ。

 彼は私にとっても、たった一人の大切な男性になるはずだった。


 それなのに……彼はその言葉全てを、嘘で塗り固めていた。

 私の婚約者だったあの男は、私の心を弄んだのだ。



 ******



『君は本当に美しい』


『ハハッ。お前は顔だけが取り柄えだったのに、頬が腫れ上がってるよ!』


『もっと僕好みの身体付きだったら、もっと愛してあげられたろうにねぇ……?』


『……お前は一度も僕に身体を許さなかったね。結婚するまでは駄目だって言って。それが運命の分かれ目だったんだ』


『僕は君の心になんて興味無かったんだ。さっさと抱かれていれば、死ななくて済んだのに……』


 オルコの言葉が、鮮明に蘇る。

 私がもっと早くあの男の本性に気が付いていれば良かった。

 そうすればきっと、助けられた人が居たかもしれないのに……!


「オルコに弄ばれたのは私だけでは無かった……。今だって彼と一緒に居る女性も、いつ私のような目に遭うか分かりません」


 あまりの悔しさに、視界が涙で滲んだ。

 せめて、今からでも救える命があるのなら……私はそれを取り零したくなんかない。


「私に出来る事なら何でもやります。ですから殿下、どうかオルコの……ドラコス家の罪を暴いて下さい! 私の事は良いんです。あんな卑劣な男の手に掛けられた女性達の無念を晴らしたい……! 私が救いたかった命を簡単に奪ってしまうあの男を、私はどうしても許せません……‼︎」

「当然だ。私もあの者の下衆な所業は不快極まるものがある。この事件の解決に、私は必ずや最善を尽くすと誓おう」

「ありがとうございます、殿下……っ」


 感情が昂ぶって涙が止まらない私の隣に殿下がそっと腰掛ける。

 宥めるように優しく私の肩を抱くその腕の温もりが、より一層私の心の湖を溢れさせていくのだった。

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