第6話 仕舞い込んだ想い

 その日の宿舎は真夜中だというのに慌ただしかった。

 私もサージュさんとソファに並び、グラースさんから事情聴取されていた。

 驚いた事に、この騎士団で最初に黒騎士を目撃したのはルイスさんだったそうだ。

 ルイスさんといえば、私をフラムちゃんと呼んでくる明るい人だ。けれど宿舎に帰って顔を合わせた彼は、驚くくらいに顔面蒼白だった。

 彼はどうやら心霊現象や怪談話なんかがとても苦手だそうで、ちょっと意外だったわ。

 あの黒騎士に会ったという報告をグラースさんにした後、部屋で休んでいたようなのだけれど、どうにも眠れなかったのだという。

 私もあの黒騎士を目の当たりにしたから、彼の心情も理解出来る。

 あれは人間というより、幽霊や魔物のような……触れてはならない存在のように感じた。

 黒騎士と対峙してどのように感じたか、何か気になる事は無かったか。

 グラースさんはそれらの問いに返した私達の答えを聞き、一通り話し終えたところで聴取が終了した。

 それから私は、サージュさんに泊まってもらう部屋の用意に移った。

 騎士の皆が使う個室にはもう空きが無いし、かといって私の部屋に泊める訳にもいかない。


「僕はどこでも眠れるから、別にこのソファで寝るのも構わないんだが……」


 ひとまずお茶でも飲んで落ち着こうと休憩していた談話室で、サージュさんがそんな事を言い出した。

 いくら何でもそんな事は許されない。

 本人が構わないと言っていても、私が気になってしまうもの。


「そんなの駄目ですよ!」

「だが、空いている部屋は無いんだろう? たった一晩の事だ。そこまで気にする程の事じゃないさ」

「でも……」


 どうしよう。このままだと本当に彼をここで寝かせてしまいかねない。

 見回りに出ている人のベッドを貸してもらうべき?

 でも、勝手に他人の部屋を借りる訳にもいかないわ。

 それに、今から宿屋に移ってもらうのも不安だもの。いつまたあの黒騎士が来るか見当も付かないんだから。

 どこかにすぐ彼を寝かせられるような、誰にも迷惑の掛からない場所は……。


「……そうだわ、あそこがあったじゃない!」

「あそこ?」


 誰の邪魔にもならず、常に清潔に管理されたベッドのある部屋。

 どうして最初に思い付かなかったのかしら。私だったらいつでもあの部屋の使用権限があるというのに。

 首を傾げる彼にしばらくここで待ってもらうように告げて、急いで自室へと戻る。

 そこで必要なものを手の中に握り締め、談話室を目指した。


「お待たせしました。それではお部屋へご案内しますので、どうぞこちらへ」

「あ、ああ」


 ティーカップに残っていた紅茶をぐっと飲み干したサージュさんは、私に続いて談話室を後にした。


「……なああんた、この先って確か玄関だよな? まさかとは思うが、ここに泊まる場所が無いからって僕を城下の宿屋に行かせるつもりじゃないだろうな」

「もう、そんなんじゃありませんってば! いくら何でもこの非常事態に街を歩き回ったりしませんよ。私はそんな事をするような薄情な人間じゃありませんからねっ!」


 そう言って隣を歩く彼を睨むと、ばつが悪そうに目を逸らされた。


「……悪かった。ちょっとした冗談のつもりだったんだ。失礼な事を言ってしまってすまなかった」


 本気で言った訳ではないと分かっていたけれど、それでもああ言われて少し傷付いたのは間違いなかった。

 でも、こうしてすぐに謝ってくれるのは嬉しかった。

 こういう風な些細な冗談を言い合えるような異性の知り合いなんて、これまで誰も居なかったから。

 そう思うと、彼の不器用ながらに素直な言葉も可愛らしくなってきた。

 それが顔に出ていたのか、玄関扉を出たところでサージュさんに怒られてしまった。


「あ、あんたなぁ……! 人が謝ったところを見て笑うなんて酷いんじゃないのか⁉︎」

「うふふっ、ごめんなさい。本当だったらあんな恐ろしい騎士に出会った直後で怖いはずなのに、こうしてサージュさんと話していると……何故だかとても安心するんです」

「そ……そうなのか?」

「はい。私、ここに来るまであまり人と親しくなれなくて……。だから今みたいに、心の底から笑って話せる相手が出来て嬉しいんです」


 この国に来て、私の世界は広がった。

 治癒術師になる事だけを目指して私にとって、人との関わりは二の次だった。

 だから私は婚約者にも愛想を尽かれて、危うく殺されてしまうところだった。

 狭い狭い箱庭のような世界の中で生きていた自分には、今居るこの場所が夢のように広くて明るくて……。

 こんなに素敵な世界を知ってしまった私は、もうあの頃には戻れないだろう。

 騎士団の皆や、お城で暮らす殿下やシャルマンさんに、ベルム村の人達。そして、騎士団専属の治癒術師として初めて治療したサージュさん。

 その誰もが、私の世界には欠かせない、きらめく星のような存在になっている。


「だから、そんなサージュさんを危険な目には合わせませんよ」


 そうして私達は、目的地である建物の裏手に到着した。


「ここは……」

「訓練場です。ここの扉からだと、病棟に直結しているんですよ」


 私は自室から取ってきた鍵を鍵穴に差し込み、カチャリとそれを回した。

 専属治癒術師に預けられたこの鍵があれば、訓練場が閉まっている夜でもこうして病棟に入る事が出来るのだ。

 真夜中という事もあって、当然中は真っ暗だった。

 なので私は炎の魔法を使って小さな灯りを作り、廊下を進んで目当ての部屋に向かう。


「ここなら自由に使えるので、今夜はここで休んで下さい」


 私がサージュさんを連れて来たのは病室だった。

 幸い私がここに来てから重病人は出ていない為、誰の迷惑にもならない空き部屋と化していたのだ。

 この病室は本来なら大人数を寝かせる為の大部屋なので、彼一人の貸切状態になる。


「どこでも好きなベッドを使って下さいね。何か必要なものがあれば出来る限り用意しますので……」

「いや、こうして寝る場所を用意してもらえただけでありがたい。あんたもそろそろ部屋に戻って休んだ方が良い。じきに夜が明けてしまうだろうからな」

「……そうですね。それでは失礼します。サージュさんも早めに寝て下さいね。お休みなさい」

「ああ、お休み」


 彼に小さく手を振って、私は静かに病棟を後にした。



 ******



 あいつが宿舎へと帰っていったのを見届けて、僕は入ってすぐのベッドにうつ伏せで倒れ込んだ。

 何なんだあいつは。

 さっき外で見せたあの笑顔、本当何なんだ!

 心の底から笑って話せる相手が出来て嬉しいだって?

 そんなの僕だってそうさ! 何故なら山で暮らす根暗魔術師だからな‼︎

 好きであそこで暮らしているが、山の中で話し相手が使い魔のオンブルしか居ない僕は友人らしい友人が一人も居ない。

 そんな僕の前に現れた救いの手──まさしく天使のような女があのフラムだったんだ。

 僕の命の恩人というだけでもありがたい存在だというのに、話せば話す程僕の心に入り込んで来る……!


「くそっ……! この歳になって初恋の相手が出来るなんて、そんなのあり得ないだろ……‼︎」


 まずあいつは志が尊い。

 治癒術師になった切っ掛けを聞いた時からずっと思っていたが、どうしてあいつは他人の為にあそこまで健気に努力を重ね続けられるんだ。

 あんなに愛らしい笑顔を振りまくような女なら、内面が腐っていても不思議じゃないというのに。

 だってそうだろ?

 外見だけじゃなく中身まで尊いなんて、天が二物を与えているじゃないか!

 何なんだよ本当に。あいつは地上に舞い降りた天使か? そうなんだろ⁉︎

 薬草の配達に行く時だって、気が付いたらあいつからの注文票が届くのを心待ちにしていた。

 配達という理由があれば誰にも怪しまれずにフラムに会いに行ける。

 何故なら僕は山住まいだから。友人の居ないぼっちの僕が、急に女に会いに行くようになったら絶対に笑われる。

 あの根暗魔術師が一丁前に女と話してやがるとか絶対言われる。多分。主にあの大酒飲みの陽気な騎士団長あたりに。

 それだから僕はあいつに会える数少ない貴重な配達日が楽しみで仕方が無かったというのに……家に誘うなんて大胆な事をしでかしてしまった。


「……ああ、だからあんなおかしな騎士に襲われたのか。大きな幸運の反動で死の危険に晒されたと、そういう訳だな」


 普通に薬草の世話と注文票の整理なんかを手伝ってもらって、それからごく普通に薬草や魔法薬についての勉強会を健全に行っただけだった。

 が、それでも僕にとっては革命的な事だったんだ。

 女を家に招くなんて一度も無かったこの僕が、好いた女と二人きりでいてよくぞまあ失神せずにいられたものだ。

 この感情が、命を救われた恩から来るただの感謝の念なのかは……自分にもよく分からない。

 だが、それでもフラムと同じ空気を吸っているだけで、とても気持ちが満たされていくんだ。

 我ながら気持ち悪い想い方をしているのは自覚している。

 だから僕は、この感情をあいつに打ち明けるつもりは無い。

 こんな陰気で捻くれた男に好かれているなんて知られたら、今の関係すらも壊してしまうに決まってるからな……。

 そんな行き場の無い思いを押し込めるようにして、僕はそのまま瞼を閉じた。

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