第5話 淀み抱えし男
「サージュさん、今日は本当にありがとうございました」
「僕の方こそ、地味な雑用まで引き受けてもらって助かった。お陰ですっかり日が暮れてしまってすまないな」
サージュさんの薬草園のお手伝いと、魔法薬についての勉強会は無事に終了した。
二人揃って熱中すると周りが見えなくなるタイプだったせいか、本来なら夕方には王都に戻って来るはずだったのに帰りが遅くなってしまった。
行きも帰りもサージュさんが宿舎まで送ってくれるから、こうして夜の街でも安心して歩けるのは心強い。騎士団の皆も見回りをしてくれているしね。
元から治安の良い街というのも相まって、私達はとてもリラックスして会話をしながら歩いていた。
「いえいえ、気に病まないで下さい。今日教えて頂いた塗り薬のレシピ、早速明日試してみますね!」
「ああ、成果を楽しみにしている。そういえば例の花の採取の件だが、来週の頭に騎士団が同行してくれる事に決まったそうだ」
「本当ですか? それじゃあ……!」
私の言葉に、小さく笑みをこぼして頷く彼。
「約束通り、あんたも一緒に渓谷へ行けるぞ」
「良かったぁ……! これでまたサージュさんに薬草の事を教えて頂けますね!」
「そこまで喜んでくれるとはな……」
呆れたように吐き出された言葉のようだけれど、しかしその声には彼の優しさが滲み出ていた。
仕事以外では滅多に他人と話す機会が無いらしいサージュさんとしては、私のように同じ話題で盛り上がれる相手は数少ないそうだ。
初めて馬車で彼を見掛けた時は、無愛想でちょっとだけ怖いような感じがしたけれど。
こうして私と肩を並べて歩いている彼には、あの時とは真逆の印象を抱いている。
彼が無愛想に見えるのは、相手への警戒心が強いから。
時間を掛けて互いを知り合っていけば、今のようなフレンドリーな関係が築けるんだ。
「では、来週お会いした時に塗り薬の出来をご報告させて頂きますね。それから、遠征に備えて持って行くポーションのチェックもしておかないと……」
何か足りないものが無かったか、頭の中で備品の在庫を思い浮かべていた、その時だった。
ふいにサージュさんが私の肩を掴み、歩みを止めた。
はっとして前方によく目を向けると、月明かりを背に佇む人影があった。
「ちょっと待て、あれは……⁉︎」
大きな剣を引きずって、少しずつこちらへ歩いて来る影。
その人物が持つ大剣を前に、私達は思わず息を呑む。
まるで瘴気が形になったような禍々しいそれは、しっかりと目を凝らすと黒い陽炎のようなオーラを纏っている。
古代鰐から噴出した濃密な瘴気を経験した今ならば、あの剣の危険度が嫌でも分かってしまう。
あれは人が手にして良い代物ではない。背筋が凍るような負の力は、それを持つ者の魂を蝕んでいく。
そんな物を携えた人間が、どうしてこの王都に……⁉︎
「……あんたは僕の後ろに隠れてろ。隙を見てここから逃げるんだ」
「そ、そんなの無理です……! サージュさんを置いていけません!」
彼は私をその背に隠すように前に出た。
着実に距離を詰めて来るその剣士──いや、騎士のような鎧を着込んだ黒騎士とでも言うんだろうか。
その黒騎士に対峙したサージュさんは武器を召喚した。
使用者の魔力を弾丸に変える銃、魔弾銃。
その中でも魔力消費が多い種類の一つである機関銃こそが、彼の愛用する武器である。
「そう言ってもらえるのは嬉しいさ。だが、相手はブラッドベアとは比較にならないだろう。あんたも分かるだろ? あいつが持ってる剣、どこからどう見ても地獄みたいな禍々しさで……まるで瘴気だぞ」
「……一つだけ、打つ手があります」
「王国騎士でも手こずりそうな相手だぞ? 攻撃魔法が得意ならともかく、あんたのような治癒術師じゃ手の出しようが……っ⁉︎」
サージュさんの言葉を遮るように、黒騎士は突如私達に目掛けて走り出す。
彼は完全に距離を詰められる前にいくつもの魔弾を放ち、牽制する。
「クソッ、だから早く逃げろって言ったんだ!」
「ごめんなさい! でも、少し試させてほしい事があるんです!」
魔弾は黒騎士の大剣によって的確に防がれているものの、絶えず雨のように浴びせられる弾の前に歩みが止まっていた。
私はその隙に首に掛けていたネックレスを右手でぎゅっと握り込む。
炎を閉じ込めたような幻想的な紅が、私の意思に反応するように手の中で光を放ち始めた。
「お願いフランマ! あの黒騎士を止めて!」
すると、私達と黒騎士の間に割って入るようにして大きな火柱が立った。
そこから現れたのは私と契約した炎の大精霊フランマ。
情熱的な炎のようなタイトドレスのグラマラスな彼女は、弾ける火の粉を散らしながら片腕を空に掲げた。
「お安い御用さ! さぁて、あたしの可愛い妹分を怖がらせた
街中であるという事を考慮してくれているのか、彼女は浮遊をせずに戦闘を開始してくれた。
でも、突然炎の中から女性が現れたのを目撃したサージュさんは、上手く状況が飲み込めていないようだった。
それもそうだろう。私だって、もしも知らない人があんな風に出て来たら呆然とするもの。
「これでも喰らいなぁ!」
フランマは手の平から火球を出し、黒騎士目掛けてそれを放った。
けれども魔弾が止んだ事で余裕が生まれた黒騎士は、先程までと同様に火球すらも剣で斬り捨ててしまう。
「そんなっ……!」
しかし、私の心配をよそにフランマは堂々と、そして大胆に笑ってみせた。
「ハハッ! あたしの炎は、そう簡単に消えやしないよ!」
その言葉通り、斬られて掻き消えてしまうかと思われた炎は、まだ燃え尽きてはいなかった。
フランマが指を鳴らすと、小さな炎達がその姿を矢に変える。
炎の矢となったそれらは次の瞬間に発射され、黒騎士は不意を突かれてその身に彼女の攻撃を浴びた。
『…………!』
体勢を崩した黒騎士に、今度は連続で火球をぶつけていくフランマ。
彼女の連撃をもろに喰らった黒騎士は、遂に膝を折った。
「こいつを止めろって話だったが、ひとまずこんなモンでどうだい?」
「ありがとうフランマ」
「まだ息はあるようだが……」
騎士団に応援を頼んで、彼を捕縛してもらうべきだろう。
近くに巡回の騎士が居ないか探しに行こうと考えていたその時、くぐもった声が響いて来た。黒騎士だ。
『……王家に……アイステーシス王家に……復讐を…………復讐を……!』
「王家に、復讐……?」
どういう事?
あの黒騎士は、アイステーシスの王家に何らかの恨みを抱いているというの……?
するとどうした事か、突如黒騎士の身体が闇に覆われたではないか。
「おい、こいつ逃げるつもりじゃないか⁉︎」
「待ちなぁ!」
しかし、フランマが取り押さえようとしたものの、黒騎士はそのまま闇に溶けるように姿を消してしまった。
フランマは悔しそうに舌打ちをし、くるりとこちらに振り返る。
「気配がまるっと消えちまったよ。あたしとした事が下手打っちまった」
「大丈夫だよ。フランマが守ってくれたお陰で私もサージュさんも怪我しなかったもの。助けに来てくれてありがとう」
「とんでもない魔力だな、あんた……。なあフラム、この人とあんたはどういう関係なんだ?」
「ええと……」
サージュさんに彼女の事を説明しても大丈夫なのかな……?
「レディ!」
すると、血相を変えたグラースさんがこちらに駆け寄って来た。
「グラースさん!」
「ミスター・サージュとフランマ様もご一緒でしたか。という事は、既に出会ってしまったのですね。謎の黒騎士と……」
流石副団長だからか、かなりの距離を走ってきただろうに息一つ切らしていないグラースさん。
あの黒騎士を知っているという事は、私達を心配してこうして駆け付けてくれたのだろう。
「グラース、あれは一体何なんだ⁉︎ あんな危険な奴が王都に入り込んでいるなんて、ここの警備はどうなってるんだ‼︎」
「それについては申し訳ありません。つい先程、 部下から報告を受け、今夜から巡回の騎士の増員を決めました。それからあの黒騎士の詳細ですが、残念ながら有力な情報は何一つ無い状況です」
グラースさんが知ったのも少し前の事だったんだね。
もうすぐ見回りの騎士も増えると言っていたし、少なくとも今夜はもうあの黒騎士には会わずに済むだろう。そう思いたい。
「ミスター・サージュ、今夜のところは我々の宿舎にお泊まり下さい。今はとにかく情報が足りません。貴重な目撃者である貴方の話をお聞かせ願いたい」
「ああ、それなら構わない」
「念には念を入れて、あんたらの宿舎ってとこまでついて行ってやるよ」
「うん、ありがとうフランマ」
彼女の好意に甘えて、私達は黒騎士の出現に警戒しながら宿舎への帰路を急いだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます