第4話 月夜の晩に

 春ももうじき終わりを迎えようとする、ある夜の事だった。

 私は団長へ王都周辺に生息する魔物の調査報告を終え、残る雑務を処理しようと、副団長専用の執務室へと向かっていた。

 とは言っても、団長の執務室とはさほど距離も無い。

 今日も何事も無く一日を終えられるだろうと、そう思っていた。

 すると、王都の巡回を終えたらしいルイスが青い顔をして私の執務室の前に立っているではないか。


「おやルイス、顔色が悪いようですが……」

「あ、グラース副団長……」


 いつも元気の有り余る彼が、どうした事か様子がおかしい。

 私の勘違いでなければ、ルイスは団長に酔い潰された時以外は常に健康的な男だったはず。


「体調が優れないのであればレディ・フラムに……ああ、彼女は今日ミスター・サージュの山小屋へ勉強会に行っていましたか。ひとまず彼女が帰って来るまで、部屋で休んだ方が良いのでは?」

「いえ、具合が悪い訳じゃないんです。ただその……副団長は、あの噂はご存知ですか?」

「あの噂……?」

「最近王都に出没する、黒い騎士の話ですよ……」


 王都の黒騎士。

 よくある怪談話の一つとして、ここ最近王都で話題になっている幽霊の目撃談の事らしい。

 話好きのルイスは偶然その話を耳にしていたようで、それを知らない私に簡単に説明してくれた。


「……つまり、騎士のようなで立ちの男が、人気の無い場所に出没しているという事ですか」

「ええ。僕もちょっとした作り話だと思って、軽く笑い飛ばしてたんですけどね……」

「しかし、噂の黒騎士をその目で見てしまった……と。貴方の顔色が悪かった理由が分かりましたよ。以前、自分はゴースト系の魔物が苦手だと言っていましたからね」

「いやー、死んでるのにまだこの世に居るって怖いじゃないですか! 僕、ホントダメですからああいうの。いつも冷静な副団長なら冷静に受け止めてくれるんじゃないかなってここで待ってたんですからね、いやマジで!」


 ふざけたような明るい口調でそういうルイスだけれど、その表情はとてもぎこちない笑顔。

 彼の言うように、私はその手の話題には特に恐怖を抱かない。

 だからこそそんなルイスの過剰な反応が少し不思議だった。

 ひとまず私は立ち話も何だから、と彼を部屋へ招き入れる。

 執務机の前に置かれたソファに座らせ、私も向かい合うように座って当時の状況を詳しく聞いてみる事にした。


 今夜の巡回はルイスが一般地区の見回りを担当しており、普段通りに城下の様子を確認していたという。

 しかし、大通りを歩いている最中、どこからか悲鳴が聴こえた。

 ルイスはすぐさまその場へ駆け出し、助けを求めるその人の元へ参上する。

 悲鳴の主は酒場で働いている女性だったそうで、職場からの帰りに例の黒騎士と遭遇した為、思わず声をあげてしまったらしい。

 ルイスは半信半疑だったものの、先に女性を人通りの多い大通りまで送り、近くを巡回していた他の騎士に彼女を預けた。

 それから女性が黒騎士を目撃したという場所の近くまで行くと、嫌な気配を感じたのだという。


「あの時、僕は間違い無く殺気を向けられていました。気味の悪い魔力を感じて振り返ったら、裏道からのっそりとそいつが現れたんです」


 真っ黒な鎧と、竜のような兜。

 それに似合った禍々しい魔力を放つ大剣を引きずったその男は、ゆっくりとルイスの方へ近付いて来る。


「一目見て分かりましたよ。あ、こいつはヤバい。ここで僕死ぬかもな……って」

「ですが、貴方は今こうして私の前に居る。……そこで何があったのです?」

「あいつがじわじわと距離を詰めてくるその威圧感だけで、僕はそこから一歩も動けなかったんです。動かなきゃ殺される。だけど身体がビクともしない……。あまりにも情け無い話なんですけどね」


 石畳の上で大剣が擦れる音がする。

 黒騎士の重い足音は、まるで己の命の期限を刻むように、その一歩一歩が規則的に耳に入ってくる。

 そして遂に黒騎士はルイスの目の前までやって来た。

 ゆっくりと振り上げられた大剣が、月の光を浴びて黒い星のように反射して──


「……気が付いたら僕は、その場にぶっ倒れてました。慌てて飛び起きたら、もう黒騎士の姿はどこにも無くて。一瞬、僕はもしかしたら夢でも見てたんじゃないかって思ったんですけどね、僕の帰りが遅いからってさっき女性を任せた騎士のマリックが血相変えて飛んで来て……」

「……では、それは夢ではなく、現実だったと?」

「ええ……。どうして僕が殺されずに済んだのかは分かりません。でも、あいつは確かにこの目で見たんです。きっとあの黒騎士はまたどこかに現れます。グラース副団長、万が一死傷者が出る前に対策を練りましょう……!」

「勿論です。ひとまずルイス、貴方はもう休みなさい。団長への報告は私が代わりましょう」

「ホントにすみません……ありがとうございます」


 そう言って笑ったルイスは、やはりぎこちない笑顔を浮かべていた。

 彼を見送った後、私はつい先程後にした団長の執務室へと戻った。


「……という報告が上がっております。もうじきレディ・フラムもこちらに帰って来る頃合いでしょう。ミスター・サージュが付いているとはいえ、相手は相当の実力者です。念の為、巡回を兼ねてレディのお出迎えに向かいたいのですが……」


 私が来るまで書類とにらめっこしていた団長は、黒騎士の話を聞いて眉根を寄せた。


「……そうだな。フラムはお前に任せる。俺は今から手の空いている奴を集めて、臨時の巡回部隊を編成しておく」

「ありがとうございます」

「その黒騎士ってのが持ってた剣は異常な魔力があったんだろ? 魔術師団に現場にその魔力の残滓が無いか、調査を依頼しておこう。どうせ夜中まで研究に明け暮れてる不健康な連中だ、まだ向こうの団長も研究室に籠ってるだろ」


 魔術師団の方々が研究熱心なのは事実だ。

 熱中するあまり、うっかり食事を忘れて日付が変わっていたなんて事は笑い話としても有名だ。

 彼らとの仲が険悪ではないから団長もこうして茶化すように言っているのだろうけれど、シャルマン団長の前でそれを口にしたら爆発弾が飛んで来る気がしないでもない。


「それでは行って参ります」

「おう! 黒騎士には警戒していけよ!」


 今はとにかく、レディ・フラムとミスター・サージュを探さなくては。

 事は一刻を争う事態だ。

 彼女を無事連れ帰った後は、朝一番にこの件の報告書を提出する為、可能な限り詳細を纏めなくてはならない。

 どうやら私も団長も、今夜はあまり眠れそうにないようだ。

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