第10話 炎の女

 一歩一歩近付いていく度に、瘴気の影響なのか気分が悪くなってくる。


「かなり濃い瘴気ね。アタシやティフォンちゃんは何度かこういう経験はしてきたけど、流石にこんなのは初めてだわ」

「……顔色が悪いな、フラム。一旦引き返して休んでも良いぞ?」

「まだ大丈夫です、団長さん。私の事なんかより、早くこれをどうにかしないと……」


 吐き気と頭痛を伴うような体調不良。

 自分の中で魔力の循環がおかしくなるような、異様な感覚。

 こんなものが広がってしまったら、大変な事になってしまう。

 額に冷や汗が浮かぶのを感じながら、それでも私は前に進んでいく。

 殿下達が倒した古代鰐は、想像していたよりも巨大な体躯をしていた。

 一刀両断されたその身体は、体内から吹き出したというどす黒い瘴気に包まれている。

 古代鰐を包み込んだ瘴気は何をしようとしているんだろう。

 肉体に残された魔力を利用する為か、それとも……


「……団長さん、シャルマンさん」


 先導してくれていた二人に声を掛けると、彼らは足を止めて振り返った。


「ここから先は私一人で向かいます。お二人はここで見守っていて下さい」

「ふ、フラムちゃん……」


 すると、心配するシャルマンさんとは対照的に、ティフォン団長はしっかりとした口調で言う。


「お前に任せて良いんだな?」

「はい。このやり方で正しいかどうかは、まだ分かりませんけど……この方法だと、お二人を巻き込んでしまうかもしれませんから」


 クヴァール殿下が仰っていた、炎の御子が持つ浄化の炎。

 彼らが最後までついて来てくれたとしたら、その炎で巻き添えにしてしまうかもしれない。

 だってあれだけ広範囲の瘴気なんだもの。

 あれを一気に焼き払うのなら、術者である私一人で向かった方が安全だ。


「途中で魔物が出て来たら、その時は俺達がすぐに倒してやる。頑張ってこい、フラム!」

「ティフォンちゃんの言う通りね。魔術師団と騎士団の団長が揃ってるんだもの。アナタはアナタの、アタシ達はアタシに出来る事をやらなくっちゃね!」

「はい……!」


 二人の励ましを受け、今度は私一人で歩き出す。

 すれ違いざまに団長さんに頭を撫でられて、それを見たシャルマンさんがクスクスと笑っていた。

 ……今ならやれそうな気がする。

 自分の中にある力を信じて、目の前の壁を乗り越えてやろう。


 そして遂に、私は瘴気の発生源の目の前に辿り着いた。

 腕を伸ばせば瘴気に触れそうなこの距離。

 さっきからずっと頭がクラクラしている。

 私は深呼吸して息を整え、一度も挑戦した事の無い魔法の発動準備を開始した。


「我が呼び声に応えよ、炎の精霊よ……」


 この瘴気を焼き払い、全てを浄化する為の力を──。

 私は目を閉じて両手を胸の前で握り、ありったけの想いを込めて言葉を紡ぐ。


「瘴気を……世界の穢れを焼却する、聖なる炎をここに……」


 精霊の気配が周囲に集まって来るのが分かる。


「お願い、力を貸して……!」


 すると、突如ブワッと熱風が巻き起こった。

 驚いて眼を開けると、私を見下ろす女性が挑戦的な笑みを浮かべていた。

 その女性は燃え上がる炎のような髪を靡かせ、猫のような黄色い眼をしている。

 真っ赤なタイトドレスを身に纏った彼女は、地面に足を付けていなかった。宙に浮いている。


「あたしが手を貸してやろうじゃないか、新しい炎の御子さんよ」

「貴女は……もしかして、精霊……?」

「おや、そうは見えないかい? あたしはあんたに喚ばれてやって来た、炎の大精霊フランマ。詳しい説明は後にした方が良さそうさね。さあ、あたしに命じてごらん! この瘴気を焼き尽くせってね!」


 炎の大精霊と名乗った彼女、フランマ。

 彼女は腰に手をあて、前髪を搔き上げた。

 その姿はまさしく炎の姉御。

 彼女から溢れる自信と男勝りなその態度は、激しい炎を体現した存在であるという事をありありと伝えてくる。

 今は彼女の力に頼るしか無いだろう。


「大精霊フランマ様、どうかこの瘴気を聖なる炎で焼き払って下さい!」


 私の願いに、彼女はニッと歯を見せて笑った。


「フランマ様、か。こうして面と向かって言われるのはちとむず痒いモンがあるけど、こうも熱心に請われちゃそんなの気にしてられないねぇ!」


 フランマ様は勢い良く上空に飛び上がり、周囲に漂っていた他の精霊達の魔力をどんどんと束ねているようだ。

 すると、彼女は私からも魔力を吸い上げているらしい。自分の身体から魔力が抜けていくのを感じる。


「浄化にはあんたの魔力も必要なんだ。少しばかり貰っていくよ!」


 必要な分の魔力を集めたのか、フランマ様の身体から炎が吹き上がった。

 それは普通の炎ではなく、黄金に輝く神秘的な火炎だった。


「これこそが浄化の炎、フラム・サクレだ!」


 黄金の炎を纏ったフランマ様は、そのまま一気に瘴気の中へと突っ込んでいく。

 まるで流星のように闇へ飛び込んでいった彼女。

 次の瞬間、大きな爆風を巻き起こしながら煌めく炎が渦を巻いた。

 聖なる炎──フラム・サクレによって焼かれた瘴気は、みるみるうちに光の粒子となって空気に溶けていく。

 私と彼女、そして精霊達の炎。

 それが本当に今、あのとんでもない瘴気を焼き尽くしているのだ。


「これが、大精霊の力……」




「フラム、そなたが炎の御子であった事は証明された。その証拠こそが……」

「このあたしってワケさね」


 無事に瘴気の浄化を終えた私達は、村の外のテントへと戻って来た。

 会議用のテントに顔を揃えた殿下と両団長、副団長に、私は一緒にやって来たフランマ様を紹介していた。


「フラムは凄い娘だよ。自覚はまだ無いだろうが、人間にしては規格外の魔力を眠らせてるんだ。こうして大精霊であるあたしを喚べたのも、その実力が備わっていたからこそさ」

「瘴気を浄化する力……フラム・サクレと言いましたか。その魔法は御子であるレディ・フラムと、炎の大精霊であらせられるフランマ様のお力が合わさった特殊魔法という事なのでしょうか?」

「ああ、そんなところだねぇ。主従契約を結んだ魔術師から魔力を貰い受けなけりゃ、あの魔法は使えないのさ」

「しゅ、主従契約? そんなものいつの間に……」


 戸惑う私に、フランマ様は私の胸元を指差して言う。


「ほら、それが契約の証だ」

「これは……ネックレス?」


 見覚えの無い赤い石のネックレスが首に掛かっていた。

 本当、こんなのいつの間に付けてたんだろう……。


「あたしと契約した奴には、昔からこうしてネックレスを贈らせてもらってるのさ。気に入ってくれたかい?」

「は、はい! 光の角度で色の濃さが変わって、まるで本物の炎を眺めているみたいで……とても素敵です」

「あははっ、そりゃあ良かった!」


 豪快に笑うフランマ様と、ネックレスに集まる視線。

 大精霊から贈り物を頂戴するなんて、こんなの滅多にある事じゃないよね。無くさないように気を付けないと。


「大精霊を目にしたのはこれが初めてだが、外見は我々人間と大きな違いは無いのだな」

「その気になれば全身を炎にする事も出来なくは無いよ? でもそんな事したらテントに燃え移らないように気を付けなきゃならないからね。面倒だからこの形を取らせてもらってるのさ」


 殿下は興味深そうに彼女を眺め、そんな彼にフランマ様は気前良く話をしてくれる。

 炎の精霊の特徴なのか、彼女はかなりオープンな性格をしているようだ。


「あんた……確かクヴァール王子だったか。あんたの国にはフラム以外に精霊の御子は居るのかい?」

「いや、彼女以外には確認されていない。他国には何人か居るそうだが、私が知るのはヴォルカン……スフィーダ王国の王子だけだ」

「スフィーダ? あそこは炎と大地の精霊への信仰が厚い。あたしが喚ばれた覚えが無いとなると、そいつは大地の御子だね?」

「ああ。最近は顔を合わせてはいないがな」


 炎の御子以外にも御子が居るんだ。

 スフィーダ王国の王子様か……。

 どんな人なんだろう。

 その人もフランマ様のような大精霊と契約をしているのかな。


「フラムに聞いたけど、この子は騎士団で癒し手をしてるそうじゃないか。今回みたいな瘴気を浄化したい時にはいつでも喚びな。フラムの為なら、あたしの炎を盛大にお見舞いしてやるよ!」


 明るくそう宣言したフランマ様。

 彼女の言う通り、今後も騎士団の遠征に同行するのなら、今日のような出来事に再び遭遇する事もあるのだろう。

 精霊の中でも最上位に位置する大精霊。

 そんな彼女が私に力を貸してくれるというのだから、頼もしい事この上ない。

 それに、フランマ様の力強さが私にとって大きな心の支えになってくれるような気がしていた。


「こちらこそ、まだまだ未熟な治癒術師ですが宜しくお願い致します。フランマ様」

「あーあー、そういう固っ苦しい話し方はやめとくれよ!」


 そう言うと、彼女はふわふわと浮きながら私の横へと飛んで来た。

 すると、私はフランマ様にガッと肩を抱き寄せられた。

 浮いているせいもあるんだろうけど、すらりとした彼女に抱き寄せられると私の顔が彼女の胸の辺りに来るのよね。

 本人にそのつもりは無いはずだけれど、顔に彼女の豊満な胸が押し付けられる。

 うわ、ボリューム凄い。むっちり。


「あたしの事は歳の離れた姉さんだとでも思っとくれ。今日からフラムはあたしの可愛い妹分だ!」

「むぎゅっ、ちょ、圧が凄いですっ……!」

「確かに、こうして二人が並んでると姉妹に見えてくるなぁ」

「どちらも赤い髪に、名前もフラムとフランマ。あらあら、ホントの姉妹みたいじゃない!」


 呑気に眺めている団長さん達。

 二人の発言に気を良くしたフランマ様は、今度は両腕で私を抱き締めてきた。

 それによって私は胸元が開いたドレスに顔を埋める形になり、ふわふわムチムチの絶妙な柔らかさを顔全体で体感している。

 新手の拷問か何かかな?

 彼女の気持ちは嬉しいんだけど、呼吸がキツい。


「むごごっ……」

「大精霊フランマよ、彼女が苦しそうだ。そろそろ解放してやってくれ」

「ん? ありゃりゃ、ちとやりすぎちまったね」


 殿下の一声が無ければ、私は彼女の胸に抱かれて窒息していたかもしれない。

 何とも羨まけしからんお胸だ。


「……ま、そういうこった! また何かあったら喚んでおくれよ、フラム」

「は、はい、フランマさ……フランマ。また今度」

「ああ。今日はゆっくり休むんだよ」


 そう言ってフランマは私の頬に唇を落として、赤い光を放ちながら消えていった。

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