第9話 可能性
公会堂での治療が一段落ついた頃。
そこに急ぎ足で駆け付けた、見慣れた二人の姿があった。
「フラムは居るか」
それは今朝古代鰐の討伐に向かった殿下とグラースさんだった。
殿下の呼び掛けに、私はすぐに公会堂の出入り口まで向かう。
「お呼びでしょうか、殿下」
二人は私を見ると、何やら深刻そうな顔をしていた。
どちらも怪我はしていないようだけれど、何か重大な事でも起きたんだろうか。
もしかしたら団長さん達の身に何かあったのかも……。
そんな風に思考を巡らせていると、殿下が重々しい様子で口を開く。
「……すまないが、至急そなたに伝えねばならん話がある。場所を変える。私について来てくれ」
「は、はい!」
突然私に話があるだなんて、どうしたんだろう。
言いようの無い不安が胸の奥で渦巻いている。
殿下とグラースさんと一緒にやって来たのは、会議に使われた大きなテントの中だった。
私達以外は寄り付かないように人払いをされている。あまり他人には聞かせたくない話なんだろう。
すると、殿下は静かに語り出した。
「まずは現状を伝えよう。騎士団と魔術師団の協力により、古代鰐ブー・クロコディルの討伐は成功した。だが、その後にある問題が発生したのだ」
「ある問題……?」
「私がブー・クロコディルにとどめを刺した直後から、奴の体から尋常ではない量の瘴気が噴出している」
「目視出来る程の濃密な瘴気は、その場に留まり大変危険な状況です。このまま放置していれば、そこから強力な魔物が出現する恐れがあります」
瘴気が濃い場所では、そこから新たな魔物が生まれるという話を耳にした事がある。
古代鰐の討伐が完了したと安堵した矢先に、まさかそんな事態になっているだなんて思いもしなかった。
「沼地に残った団長さん達はご無事なのでしょうか?」
「シャルマンの活躍もあり、目立った怪我を負った者は居ない。だが、それも時間の問題やもしれぬ」
「……私に、何か出来る事があるのでしょうか」
ただの治癒術師である私に、この状況を打破出来る術があるとは思えない。
私が今やれる事といったら、戦って傷付いた人を癒す事ぐらいだろう。
殿下はきっと、私も戦場に出て支援をしてほしいと仰るのだろう──
「そなたに、瘴気の浄化を頼みたい」
──そう思っていた。
しかし殿下は、私の予想を遥かに超える発言をしたのだ。
「わ、私にはそんな事出来ません! 私は普通の治癒術師です。神官様のような浄化の術なんて……」
「そなたが普通の治癒術師であるはずが無い。そうであれば、そなたはあの森でとうに命を落としていただろう」
その言葉に、私は瞬時に記憶を巡らせていた。
婚約者だったオルコに裏切られ、彼に胸を刺された森の中。
私は薄れゆく意識を手放して、気が付いたらクヴァール殿下に助けられていた。
「あの時そなたが己に行使したのは、生命魔法と呼ばれるもの。限られた者にしか扱えぬ特別な魔法だ」
フラム・アーム・アンタンシオン。
それは、消え掛けた命の炎に活力を与え、重い傷や病をもたちまち癒す大魔法。
かつて、私に治癒魔法を教えてくれた先生が言っていた。
君が使えるこの魔法は、無闇に使ってはならないよ。
これは炎の精霊が君に与えた、とても強力な魔法だ。
君は炎に愛された、特別な子なんだから──。
「フラム。そなたは炎に愛されし者──炎の御子だ」
「炎の……御子……」
ねえ、先生。
私のこの力は、誰かの為に使われるべきだと思うんです。
あの時は自分の為に使ってしまったけれど、今度こそは私が守りたいと思ったものの為に使いたい。
「炎の御子が操る炎には、穢れを焼き払う力があると言われている。そなたが真の御子であれば、瘴気の浄化が可能なのだ」
「……レディ、貴女だけが頼りなのです」
私が勇気を出して一歩を踏み出す事で、助けられる人が居るのなら……やるしかない。
目の前の誰かを助ける為に、私は治癒術師になったんだ。
殿下の仰るような力が私に本当にあるのかなんて、まだ分からない。
だけど、やってみなければ結果なんて見えてこない。
「……やります。練習無しでの本番ですけど、私なんかが皆さんのお役に立てるのなら……!」
「感謝する、フラム」
そなたならば、そう言うと思っていた。
そう呟いて、殿下は小さく口角を上げた。
私達は大急ぎで沼地へと向かう。
私の脚では二人に追い付けないから、数えきれない小さな沼を大きく迂回し、安全な道を選んで馬での移動となった。
「見えてきましたね」
この前と同じように、私はグラースさんの馬の背に乗せてもらっている。
彼が言うように、進行方向に騎士団と魔術師団の皆さんと、その奥にどす黒い霧のようなものが見えていた。
「あれが瘴気……」
「まだ魔物は出現していないようですが、どうか油断はなさいませんように」
滅多に街の外に出る事も無かったけれど、この国に来るまでこんな光景を目にする事になるなんて、想像すらしていなかった。
あんなにもくっきりと目に見える瘴気。
確かにあれは放っておけない。
あそこから強い魔物が出てきてしまったら、ベルム村は勿論、その周辺にもどんな被害が出るか分からないもの。
しばらくするとティフォン団長とシャルマンさんが待機していた場所に到着し、馬から降ろしてもらう。
「来てくれたか、フラム」
「お待たせしてすみません」
「気にしないで良いのよ、フラムちゃん。迷惑掛けてるのはこっちなんだから」
あれ? 殿下も居るのに、シャルマンさんが素で話してる。
……うーん、まあ良いか。
ありのままの自分を出せる、何か良い切っ掛けがあったのかもしれないものね。
「状況はどうなっている?」
「瘴気の吹き出しは止まりましたが、出された瘴気は古代鰐の死骸の周りで停滞しています。魔物の出現は確認されておりません」
ティフォン団長の報告に、殿下が頷く。
「これからフラムが瘴気の浄化を試みる。念の為、ティフォンとシャルマンを護衛に付ける。万が一魔物が出現した際は、フラムの身の安全を第一に心掛けよ」
「「ははっ!」」
二人にも炎の御子の話は伝わっているらしい。
これで私が浄化に失敗すれば、瘴気は消えずに彼らを失望させてしまうかもしれない。
私は瘴気の発生源へと視線を向ける。
……やってみよう。
あんなとてつもないものを浄化出来る力があるのなら、それは必ず皆の役に立つ事になるんだから。
「……行きましょう、団長さん。シャルマンさん」
「おう!」
「ええ!」
殿下は無言で頷き、グラースさんは心配そうな表情で私達を見送る。
周りの騎士さんや魔術師さん達もそれぞれの感情を渦巻かせ、私はそんな彼らの思いを一身に受けて、あの闇の元へと歩き出した。
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