第3話 優美な花

「──その後はあんた達の宿舎から戻ったオンブルと協力して、どうにかここまで逃げ延びた。鍵を掛けてベッドに倒れ込んだまでは記憶があるんだが……」

「大変でしたね……。サージュさんの治療が間に合って、本当に良かったです」


 サージュさんの話が終わり、続いてグラースさんがもう一つ問いを投げかけた。


「では、ブラッドベアはまだ潜伏している可能性があるのですね?」

「ああ。あの程度で巣に逃げ戻るとは思えない。このまま街道に出られたら被害が拡大するぞ」

「随分しぶとい個体のようですからね。我々の力で、必ずやブラッドベアを討伐してみせましょう」


 魔弾の銃で攻撃してもものともしない、屈強な魔物──ブラッドベア。

 私もオルコに胸を刺されたあの時、自分に迫る死を嫌という程味わった。

 あんな恐ろしい目に遭う人を増やさない為にも、ここで被害を食い止めなければ、今度こそ誰かが命を落としてしまうかもしれない。

 それだけは絶対に駄目だ。

 だって私は、誰かを癒し、その命を救う治癒術師。


「ティフォン団長に伝令を飛ばし、そのむねを伝えます。それ程までに危険な魔物でしたら、このグラースが貴方がたをお護りしましょう」


 それ故に、私自身には戦う力が無い。


「頼むぞ、グラース」

「お願いします、グラースさん」


 誰かが戦い傷付いた時にこそ、私は初めて治癒術師としての役割を果たす事が出来る。

 誰も傷付かないのが一番だけれど、この世の中はそう甘くはないのだから。


 その時だった。

 小屋の見張りをしていた騎士さんが、血相を変えて駆け込んでこう叫んだ。


「グラース様、こちら側に捜索対象のブラッドベアが現れました! 至急、援護をお願い致します‼︎」

「そ、そんな……どうしてここに……⁉︎」

「あんたは僕とここに居ろ! あの魔物はそこの騎士に任せて、僕達はここで安全を確保するんだ!」

「ええ、是非そうして下さい。すぐにそちらへ向かいます!」


 報告を受けたグラースさんは小屋を飛び出して行き、私達は室内に残された。

 ここに入る際に扉を壊してしまったから、簡易的な修理しか出来ていない。万が一ここに来られてしまったら、私達の逃げ場はどこにも無い。

 するとグラースさんが向かった先から、思わず震え上がってしまいそうな咆哮が耳に届いた。

 本当にブラッドベアが現れたんだ。サージュさんにあれ程の怪我を負わせた、とんでもない魔物が──



 ******



 部下からの報告によれば、交代で周囲の見回りをしていた騎士の一人がブラッドベアの姿を目撃したという。

 徐々に山小屋の方へと近付いている為、このままでは再びミスター・サージュの身が危険に晒されてしまうだろう。

 勿論、非戦闘員のレディ・フラムの身の安全の確保も必要となる。

 私は山小屋に騎士を数人残し、後の人員を率いてブラッドベアを包囲する作戦を指示した。


「先程ブラッドベアらしき咆哮が聴こえたのは、あちらの方角からでしたね」


 私達は騎士の目撃情報と咆哮を頼りに、物音を立てぬよう慎重に進んでいく。

 何故団長達の目を掻い潜ってここまで戻って来られたのか、見当が付かない。

 けれど、ブラッドベアはその名の通り血に由来する特徴を持った魔物だ。

 傷付いた獲物の血の臭いを覚え、離れた場所からでもそれを嗅ぎ付けて追い掛けてくる、驚異的な嗅覚を持っている。

 私は魔物一匹を相手に負けるつもりなど微塵みじんも無い。しかし、それでもミスターの話から察するに、今回の相手はかなりの強敵だというのが窺える。


「……ここで二手に分かれます。ルイス、アルド、マリックは私に続きなさい。貴方達はここで待機を。私が合図を送るより先にブラッドベアと戦闘に入った場合、どちらかが駆け付けて取り囲み、戦います」

「了解しました」


 声をひそめて命令を出し、いよいよターゲットを討伐すべく私達は動き出した。


「それでは、作戦を開始します」


 私達四人は警戒をしながら草木の間を抜け、目標の地点まで到達する。

 するとその時、再びあの叫ぶような唸り声が山に響き渡った。

 やはり読みは当たっていた。声がしたのは私達と、待機させている部下達の居る中間地点からだ。

 私は背後の部下達と視線を交わし、互いに頷き合う。

 そして腰にした剣を抜き、それを天に向けて高く掲げた。


「氷のつぶてよ、降り注げ!」


 私が得意とする氷属性の魔法により、空に鉛色の雲が発生する。

 そこから生み出された無数のひょうが、瓶に入った飴玉をひっくり返したようにして降ってきた。

 それを合図に私達は一斉に駆け出した。

 魔法の雹は私や部下達に当たる前に搔き消え、それ以外は地面にぶつかって溜まり込んでいく。

 そして遂に、私達の目の前に黒い巨体が姿を露わにした。

 ミスターの話でも相手は巨大だと聞いていたが、並みのブラッドベアよりふた回りは大きくないだろうか。

 だが、私の合図を受けて駆け付けた部下達と奴の逃げ道は塞いでやった。


「グオォォォォ‼︎」


 私の雹を浴びながら、ブラッドベアは開戦の雄叫びを轟かせる。

 腹にまで響くその騒音に、相手の戦意を肌で感じた。

 私は愛剣を構え、冷静に眼前の敵を見据みすえる。


「……グラース・アヴァランシュ、参る‼︎」


 地面を思い切り蹴り出し、ブラッドベアとの距離を一気に詰める。

 ミスター・サージュの魔弾によって既に潰されていた右目。

 そちら側に飛び込んでしまえば、片目でしか物を見られない相手の死角となって、攻撃を加えやすくなる。


「はあっ!」


 まずは一撃、斬撃を浴びせた。

 手応えは確かにある。しかし、向こうはその程度では怯まなかった。

 怒り猛るブラッドベアは、その豪腕で私を叩き付けようと勢い良く攻撃を繰り出してきた。


「なんの、これしきっ……!」


 それを片膝をつくようにして剣で受け止め、頭上からの一撃を何とか防いだ。

 しかし、何というパワーなのだろう。

 仮にも魔弾の雨を喰らっているはずだというのに、衰える気配の無い圧倒的な持久力。

 今止めた攻撃ですら、腕が痺れる程の威力だった。


「これは……少々本気を出さねばなりませんね……」


 久々に骨の折れる戦いになりそうだ。

 もしこの戦いで大怪我でもしようものなら、彼女を悲しませてしまうのだろうか……。


 王城までの十日間、私は副団長としてレディ・フラムという女性を観察してきた。

 彼女は我々王国騎士団の命を預けるに相応しい治癒術師なのか。

 そして、彼女自身の人としての在り方を──。


 彼女は優しく、それでいて前向きな性格だ。

 そんな彼女だからこそ、傷付いたミスターを目にしたほんの一瞬の表情が、目に焼き付いて離れなかった。

 あの瞬間だけは、騎士団の癒し手としてではなく、一人の慈悲深い女性として心を痛ませていた。

 もしも私の至らなさで、彼女にあんな表情をさせてしまったら──きっと私は後悔するだろう。

 それが何故かは分からない。

 ただ、彼女には花が綻ぶような笑顔が、きっと似合うだろうから。


「私は最善を尽くしましょう。貴女の前に、胸を張って戻れるように……!」


 だからどうか……私を笑顔で出迎えて下さい。

 それだけで私は、大人気もなく喜んでしまいそうだから……。

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