第2話 森の魔術師
サージュさんの治療を終えてから少し時間が経った頃、彼に動きがあった。
「……んっ……」
「あ、気が付きましたか?」
血塗れになったベッドは、私が魔法で血を落とした。
そこに寝かせていたサージュさんはようやく意識を取り戻したようで、すぐ側で看病していた私に、上半身を起こしながら口を開いた。
「あんたのその服、もしかして騎士団の……?」
「はい、私はフラム・フラゴル。王国騎士団の治癒術師です。貴方の要請を受けて、救助に参りました」
彼はたまに騎士団の方にも薬草を届けに来ていたそうなので、前任の治癒術師にも会っていたんだろう。
すると、彼は私の顔を見て目を見開いた。
「……っ! あんた、昨日王子の馬車に乗ってなかったか⁉︎ その赤い髪に茶色い目、見覚えがある!」
私も彼の外見には覚えがあった。
クヴァール殿下に助けられ王都の橋を渡っている最中、偶然目に入った深緑色の髪の男性──治療が済んで緊張が解けた後、あの時の彼がサージュさんだったと気付いたのだ。
「はい、私も覚えてます。目が合いましたよね」
「騎士団の治癒術師が辞めたのは聞いていたが、王子が連れて来たあんたが新任の癒し手だったとは……」
グラースさんは近くの見回りに向かっていたから、小屋の外で見張りをしていた騎士さんに、サージュさんが目を覚ましたとの伝言を任せた。
私はベッドの側の丸椅子に腰掛けながら、改めて彼との会話を再開する。
「傷の具合はどうでしょうか? ブラッドベアから受けたであろう傷口と打撲は治療済みですが、まだ痛む箇所はありませんか?」
そう問い掛けると、彼は自分の身体を手で触りながら確認していく。
小屋にはクローゼットやタンスがあったのだけれど、勝手に中を漁って服を着せるのも気が引けてしまった。
なので、治療の際に脱がせたローブとインナーは破けていたから、そのまま上半身は裸だった。
目視する限りでは傷も痣も見られないから、多分大丈夫だとは思うんだけど……。
「……昔作った古傷まで治ってる。これ、全部あんたが治したのか?」
「ええ。詳しい理由は分からないんですが、私が治癒魔法を使うと通常よりも効果が高いようなんです。今回の怪我を癒した時に、纏めて古傷まで治したのかもしれないですね」
「魔法だけでか? 高価な薬草を使った高級ポーションも無しに、たった一度の治癒魔法で……?」
「そ、そうですよ。うう、嘘じゃないですからね⁉︎」
私の言葉に、サージュさんは困惑と驚きの表情でこちらに目を向けている。
その時、私からの連絡を受けたグラースさんが戻って来た。
彼はベッドから起き上がったサージュさんを見付けると、安心しきった笑顔を浮かべて歩み寄って来る。
「森の魔術師殿、無事に目が覚めたのですね!」
「あ、ああ。しばらくぶりだな、氷の騎士」
やはり二人は顔見知りだったらしい。
グラースさんが嬉しそうに微笑んでいる一方、サージュさんはぎこちない笑みで返事をした。
「……そうだ、傷の話だったな。痛む所は特に無い。少し頭がクラクラするぐらいか」
「ではどうぞこれを飲んでおいて下さい。サージュさんご自身に自然治癒力が向上する魔法を掛けてありますが、それは気休め程度のものなので」
そう言って私は薬品用のポーチから増血薬の小瓶を取り出し、彼に差し出した。
それを受け取った彼は早速それを飲み干して、空になった瓶をこちらで回収する。
これだけ意識が回復しているのなら、今日一日しっかり休めば心配無いはずだ。
すると、ついさっきまで穏やかに笑っていたグラースさんの表情が変わった。それに気付いたサージュさんと私も、自然と気持ちを引き締めた。
「……森の魔術師、サージュ・ミトライユーズ。この周辺では、ブラッドベアが目撃される事は今日までほとんどありませんでした。あっても数年に一度、他の山から餌を求めてやって来た時ぐらいのものでしょう。貴方が襲われた当時の状況を、詳しくお聞かせ願えますか?」
「ああ……そうだな」
そうして、サージュさんは数時間前の出来事を語り始めた。
******
あれは明け方の事だった。
珍しく騎士団の方から薬草の注文が来たから、僕は軽く飯を済ませてから薬草の収穫に取り掛かった。
騎士団に勤めていた治癒術師は高齢で、仕事を引退して穏やかに余生を過ごすと言っていた。
次の治癒術師が配属されるまでは色々と大変だろうからと、昨日も僕の作った簡単な解毒薬なんかを騎士団に差し入れに行った。
そんな事があった翌日だったから、僕はどうして薬を作れる者も居ないのに薬草を頼まれたのか不思議に思いながら、黙々と作業を進めていた……その時だ。
普段は鳥や虫の鳴き声しかしない物静かなこの山で、重量感のある物音がしたんだ。
何の音かは分からなかった。
それでも、何故か嫌な胸騒ぎがしていたのを覚えている。
僕は後で山の見回りにでも行くかと気持ちを切り替えて、不安を胸の内に押し込む。
「……早く終わらせよう」
しかし、納品に必要な量を収穫し終えたかと頃合いで、またもや異変が起こった。
山の奥……数十分程前に妙な物音がした方角から、木に止まって休んでいたであろう何十羽もの小鳥達が、一斉に飛び去って行くのが見えたんだ。
どこからか狼でもやって来たのか──そんな考えが脳裏を過ぎった次の瞬間、僕の右肩に大きな衝撃と激痛が走った。
振り返って目の当たりにしたそれは、巨大な黒い影だった。
血濡れたように真っ赤な瞳をギラつかせ、そいつは唸り声をあげて飛び掛かってきた。
「ぐあああぁぁっ!」
対応が間に合わず、僕は脇腹にもう一撃喰らってしまう。
僕に鋭い爪を浴びせてきた黒い影──獰猛なブラッドベアは、ダメージを与えて弱らせた獲物(ぼく)をすぐにでも捕捉しようとしていた。
肉が裂かれたどうしようもない痛みを気合いで堪えながら、僕は愛用の武器を亜空間から召喚する。
召喚魔法を行使する数瞬、僕の中で拭いきれない疑問が浮かんでいた。
温暖な気候のこの地域では、野生動物や魔物が餌に困る事はそうそう無いはずだ。
魔物は人間や動物を見れば襲おうとするから否定はしきれないが、このブラッドベアが餌に困ってわざわざこんな場所まで来るとは考え難(がた)かったんだ。
この森で薬草園を始めてそれなりの年月が経った。この辺りの生態系だって把握しているつもりだ。
だからこそ、何故こいつが僕を襲っているのか
「ああ……クソっ!」
王都や近隣の村が狙われなかったのは幸運だったが、だからといって僕が襲われるのは全くもって喜ばしくない。
また古傷を増やす事になるのかと内心で頭を抱えつつ、僕は喚び出した魔弾機関銃を構える。
まずは相手の目を狙い、魔力を圧縮した弾丸をそこにブチ込んだ。
至近距離で放たれたからか、ブラッドベアはそれを避ける事すら敵わない。
そこで怯んだのを見て距離を取り、可能な限りの魔弾を雨のように浴びせてやった。
大声で叫び、痛みにもがくブラッドベア。
「やった……か……?」
だが、僕の淡い期待はあっさりと裏切られた。
奴はまるで濡れた身体を震わせて水を払い飛ばすようにして身震いし、僕の弾で撃ち抜かれた事実すらどこかへ追いやるようにずっしりと立っていたんだ。
「嘘だろ……⁉︎」
確かに僕は戦闘向きの魔術師じゃないが、それでもこの機関銃だってオモチャじゃない。
ダメージは通っているはず……そのはずなんだ。
だがあいつは何も無かったようにこちらを睨んでいる。
いや、むしろ僕への怒りを募らせて、今にも殺されそうな勢いだ。
僕は咄嗟に使い魔を喚び出した。
地面に浮かんだ魔法陣から、黒い犬が姿を現わす。
「オンブル、王国騎士団に伝えろ! ブラッドベアに襲撃され負傷、至急救援を要請する!」
「あいあいさー! すぐに戻るから待っててね、ご主人!」
僕の使い魔、オンブルは空間転移が使える特殊な精霊の一種だ。
オンブルが瞬く間に消えたのを視界の端で見届けて、僕はこの先どうやってこいつから逃げ延びるか考えた。
「今日が僕の命日になるかもしれないな……」
目の前の死神が動き出すまで、あと三秒──。
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