第3話 銀と白の思惑

 アイステーシス王国は、数百年前まで私の生まれたカウザ王国と戦争をしていた国だった。

 今では和平条約が結ばれたお陰で、様々な資源や食料の輸出入もされている。

 双方への移民も珍しくはないから、私がアイステーシスへ保護という形で移り住むのも違和感は感じない。


 私がオルコに襲われた森を出発して、今日で十日が経った。

 あの森は両国の国境に近い場所だったそうで、そこからアイステーシスの王都アスピスまではかなり距離があり、移動に時間が掛かっている。

 そうそう。途中に立ち寄った町で、短剣で刺されて切れてしまった服を買い換えてもらったのよね。

 シンプルなデザインのブラウスなんだけれど、あまりお金の持ち合わせが無かったから、クヴァール殿下に支払いをさせてしまったの。

 治療院での仕事の日だったから、お昼ご飯を買えるぐらいのお金しか用意していなかったから……。

 せっかく騎士団で働かせてもらえるんだし、いつかこのブラウスのお返しは自分のお給料から出したいわ。

 でも着替えを用意してもらえたから、殿下にお借りしていたローブを返せたのは安心した。高級な素材だったから、汚してしまわないか気になって仕方が無かったのよね。


「見えるかフラム。あれが湖の都、王都アスピスだ」


 クヴァール殿下の箱馬車に同乗させてもらっていた私は、彼が視線を向けた窓の先を見る。

 丘を下った先に広がっていたのは、まるで海のように大きな湖と、その中心に栄える白い街並みだった。


「ここが、アイステーシスの王都……!」

「我が国自慢の、最も美しい都だ。あの大橋を越え、そのまま直進していった先に城がある。まずはそこでそなたの扱いについて、報告を済ませなければならない。少し時間が掛かるだろうが、その後に宿舎へと案内しよう」


 石造りの巨大な橋を馬車が駆け抜ける。

 そういえばグラースさんはというと、この馬車の護衛としてすぐ側を馬で走っている。

 彼の髪と同じ白馬に乗った姿は、さながら白馬の王子様のようだ。いや、目の前に本物の王子様がいらっしゃるんですけどね?

 初めて見る異国の都に胸を高鳴らせていると、行商の荷馬車や旅人の姿が見えた。

 ぼんやりと外を眺めていると、向こう側から歩いてくる真っ黒なローブを着た人影が目に入った。

 偶然か、それとも気のせいだったのか。互いに目が合ったように感じた。

 美しい深緑の髪が印象的な、少し無愛想な顔をした男性だ。


「どうした? 何か気になるものでもあったか」

「いえ、特には……。人の出入りが多いですね。それだけこの都が賑わっているという証なのでしょう」

「ああ、ここには冒険者ギルドもあるからな。それに、この都の中では畑にする土地が無い。近くの農場から多くの作物が届けられるのもあり、頻繁に人と馬車が出入りする」


 殿下に返事をしている間に、さっきの男性を見失ってしまった。

 何だか独特の存在感のある人だったなぁ。



 お城の敷地は、本当に広かった。

 これだけの面積があるのなら、同じ敷地内に騎士団の宿舎があるのも頷ける。

 殿下と騎士団の出迎えが終わると、私はグラースさんの付き添いで応接室に通された。

 やはり王家が住む場所は格が違う。絨毯は細かな刺繍が施されているし、今座っているソファだって座り心地がとんでもなく素晴らしい。

 どこを見ても嫌味の無い気品を感じるインテリアで、何かと見栄(みえ)を張るドラコス伯爵家とは大違いだ。


「こちらでしばらくお待ち下さい」


 侍女さんに言われた通り、ここで殿下が戻って来るまでグラースさんと待っていれば良いらしい。

 すぐに二人分のお茶とお菓子を出してもらったので、それをいただきながら雑談でもしてみようかな。

 それにしても、この紅茶凄く美味しい! お菓子も口当たりが良くて、油断したら食べ過ぎちゃいそうだわ。


「グラースさんは騎士になって長いんですか?」

「今年で八年ですね。王国騎士団の副団長に就任したのが二年前で、剣技は子供の頃から習っておりました」

「まだお若く見えるのに副団長を?」

「レディの仰る通り、当時二十五歳だった私はかなり早い昇進だったと思います。ですが、団長は私よりももっと若い頃に今の地位に就いたのですよ」


 彼が言うには、アイステーシス王国は実力主義で昇進を決めるらしく、才能と実力さえあれば十代の内からかなりのポジションを与えられる事もあるそうだ。

 グラースさんもその例に漏れず、実力を認められて副団長というポストに就いているという。

 カウザ王国は血筋や家柄を重視して仕事や結婚が決まる事が多いから、こちらの方が自由度が高く感じる。

 ただ、私のような治癒術師は少し事情が異なっている。

 治癒魔法は使い手が少ないが故に、この国のような実力主義で仕事を勝ち取るのだ。

 傷を癒す速度や精度、重症の患者でも自分一人の力で癒せるのならかなりの厚遇で雇ってもらえる。

 だからこそ、それを目指して治癒術師となった私の夢を軽視したオルコの事を、私は許せなかった。


「殿下に伺いましたが、レディもその若さで類稀なる才能をお持ちだとか」

「そ、そうでしょうか……」

「瀕死の重体から回復する程の魔法を使われたと聞き及んでおります。貴女の身柄の受け入れが承認されれば、我らの騎士団でその腕を発揮して頂ける事でしょう。騎士は怪我の絶えないものですから、貴女のような癒し手が居ればとても心強い」


 そう言って穏やかに微笑むグラースさん。

 優しく降り注ぐ初雪のようなその笑顔は、見ているこちらまでもを笑顔にしてしまう魅力があった。

 彼にそう言ってもらえると、何だか勇気を貰えるような気がする。


「ですからどうか胸を張って、自信を持って下さい。貴女の力は、必ず誰かの支えになるのです」

「……ありがとうございます、グラースさん。私、一生懸命頑張りますね!」



 ******



 赤髪の治癒術師、フラム・フラゴル。

 彼女がカウザ王国との国境に接するカーシスの森で、婚約者に刺され重体で倒れていたところを、見回りに出ていた騎士が発見した。

 騎士の慌てた呼び声に駆けつければ、そこには酷く頬が腫れた血濡れの女が、青白い顔で横たえられていた。

 私の調査隊は、中程度の回復薬しか持ち合わせていなかった。癒し手が必要になる程の調査にはならないからと同行させなかったのは、幸か不幸だったのか……。

 彼女の心臓に刃が届かなかったのが幸運だった。

 更に驚いたのが、フラムが自身の魔法で生死の境を彷徨う状況を打破した事だ。

 癒し手の術といえば、光や水の精霊に由来する魔法がよく知られている。

 けれども、彼女が行使したのは炎の精霊による術──極めれば死すらも克服するという、生命魔法と呼ばれる術だったのだ。


「それはまことか、クヴァール」

「はい。彼女は私の眼前で、確かに生命魔法を自らに行使しました」


 私の父、アイステーシスの国王は、悶々とした様子で報告に耳を傾けている。


「フラムの力はまだまだ未知数です。彼女が我が国への永住を望むのであれば、これ程心強いものはありません。先程お伝えしたように、彼女は王国騎士団専属の癒し手となる事に抵抗は無いようでした。今後の為にも、『炎の御子みこ』候補の保護は無駄にはならないかと存じます」

「ううむ……」


 この言葉に偽りは一つも無い。

 他国民であるフラムだが、元々数の少ない癒し手はどの国も欲しがっている人材だ。騎士団も喜んで彼女を受け入れる事だろう。

 それに彼女が本物の『炎の御子』であるのなら、ドラコス家だけではない。アイステーシス王家を快く思わない貴族や、他国にまで命を狙われる危険が潜んでいるのだ。


「だが、その娘が故郷へ帰ると言い出したらどうなる? 仮に炎の御子であれば、いずれ我が国の脅威となるやもしれんぞ」


 炎の御子は、強く美しく炎の如き魂を持つ者のみが選ばれる存在。

 フラムはきっとその資格を備えた者だと私は確信している。

 彼女に利用価値があるのは間違い無い。ならば私は……貴重な人材を失う訳にはいかないのだ。


「心配には及びません、陛下。私には策がございます」

「策だと? 何だ、言ってみるが良い」


 その為ならば、どんな手段にも打って出よう。


「彼女を……フラムを、私の虜にしてみせましょう。彼女は婚約者に裏切られ、失恋したばかりです。私にはまだ妻はおりません。愛した男を残してこの国を去るなど出来るはずもないでしょう」


 それがまた彼女を裏切る行いだとしても、私は成し遂げなければならない。

 何故なら私は、クヴァール・フェ・アイステーシス──この国の未来を担う者なのだから。

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