五 道中出産

 堺の港を船出してしばらく、一行が伊予堀江(現・愛媛県松山市北部)に立ち寄ったとき、第四子を身籠もっていた広はにわかに産気づいた。時あたかも、かの有名なルイス・フロイス(一五三二~一五九七)が入れ違いに豊後から堺に向かう道中であった。

 永禄七年十二月一日・西暦一五六五年一月三日、広は次男となる男児を出産した。

 ところが広は、長旅の疲れもあって産後の容態が悪くなり、床に伏せってしまった。次男出産の喜びも束の間、在昌は狼狽に明け暮れた。

「了斎殿、どうか広を……」

「大丈夫ですぞ、イルマン・アルメイダ様に薬の手配をお頼み申しましたで」

 まもなく、松山におりルイス・フロイスに同行している修道士ルイス・デ・アルメイダ(一五二五~一五八三)の元から、日本人の青年が駆けつけてきた。

「久方ぶりだな、宇治丸、広!」

「え、もしやそなたは……!」

「ふふん、見違えたか?」

 そう。それは在昌(宇治丸)と広が少年のみぎり、山口大乱から共に逃れた友、ジョアンその人であった。

「なんと久しゅう……私は元服して在昌と名乗り、広と夫婦めおととなり、ヴィレラ伴天連様の上洛の折にキリシタンとなってだな……」

「そうか、それは良かった! ともあれ、話はあとだ、広の具合を診てみよう」

 しばし感慨に浸ったのち、ジョアンは広の看病に尽くした。

 ジョアンの看病の甲斐あって、広は一命を取り留め、ほどなくして快復した。


 在昌はジョアンの見送りがてら、長男宇佐丸を連れて、アルメイダのもとへ礼を伝えに馳せ参じた。

「アルメイダ様、此度はまことにありがたき次第にござります……!」

 深々と礼をする在昌を起こして、アルメイダは慈しみ深い眼差しで告げた。

「いいえ、在昌殿。それがしは何もしておりませぬ。ジョアンの尽力と――貴方々の信仰が貴方々を救ったのでござります」

「『汝の信仰が汝を救いたり』――なるほど、左様にござりますな。デオ・グラチヤス、主に感謝し奉る!」

 アルメイダは元貿易商人の出身とあって、航海のための天文学に通じていた。在昌はアルメイダとすっかり意気投合し、天文学談義に花を咲かせた。


 生まれた男児は、西の異国人の助けで生まれたことと、伊予堀江の鎮守・夷子えびす三柱社に因み、和名「戎丸えびすまる」、洗礼名「フィデル」(「信仰深き者」の意)と名付けられた。のちの嗣子・在信あきのぶである。

 そして年が明けた永禄八年(一五六五)正月、長男宇佐丸は数え十一歳にして修道誓願を果たし、メルショルと名付けられた。イエス・キリスト降誕の折に、東方より宝物を携えて祝福に訪れた占星術の三博士の一人・メルキオールに因んだ名だ。

 妻の命を救われたことの感謝として、自らの初子を神の奉仕に献げたのである。

「宇佐丸、今後は耶蘇様に倣い、天主様を父と心得、身を尽くして仕え奉るのだぞ」

「はい。この身の尽きるまで、しかと仕え奉ります」


 こうして一行は、無事豊後府内の港へ着いた。豊後府内は当時日本におけるキリスト教の中心地であり、大きな南蛮船が来航し、天主堂の他、イエズス会の運営する病院、コレジオ(神学校)、書庫など様々な施設が建ち並ぶキリシタンの都であった。

 国際都市としてすっかり発展した府内の街を見渡して、一行は目を輝かせた。

「父上。日本にありながらまるで異国のような街でござりますね!」

「私も久方ぶりに訪れたが、これほど栄えておるとはたまげたことだ」

 メルショル宇佐丸も興味津々である。


 府内の天主堂で、在昌と広は念願のトーレス司祭との再会を果たした。

「お久しゅうござります、トーレス伴天連様!」

「おお、宇治丸殿に広殿。すっかり立派になられて……!」

 久方ぶりの再会を心から喜ぶトーレスと、二人は熱く抱擁を交わした。

「ヴィレラ伴天連様が京におわしました折に、私めもついに洗礼を受け、名はマノエル・アキマサとなり申してござります」

「マノエル……良き名にござりますな。Emmanuel――主、我らと共に坐す」

「また、汝の霊と共に坐す」

「此度こそ、存分にこの地で修学なさりませ。バルタザールという天文学者を講師に付けますゆえ」


 在昌はこの府内の街で、天文学ほか西洋諸学の修学を着々と行い、知識と経験を豊かに蓄えていった。また、修道誓願を立てたメルショルは修道院に入り、その他の家族も毎週ミサに与り、充実したキリシタン生活を過ごしていった。


・在昌の妻が伊予で出産し、産後キリシタンの介抱を受けた、また長男メルショルを修道士として献げた、というルイス・フロイスの記録あり。

・「汝の信仰が汝を救いたり」――福音書に頻出、イエスが癒やしの奇跡を行った後に掛ける言葉。

・戎丸という名、またフィデルという洗礼名は架空。伊予堀江の夷子三柱社(現・三穂神社)と、在「信」の字からヒントを得て考案。また「戎」は西方の異民族の意。

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