三 マノエル・アキマサ

 了斎とヴィレラの上洛はふた月あまりとわずかの間であったが、その間、在昌と広は足しげく仮南蛮寺に通い、よしみを交わした。

 在昌は、豊後でトーレス司祭から告げられた言葉をしかと思いに刻んでいた。

 ――もしも、いずれの日にか再び天主様のお導きがあったなら、また戸惑うことなくおいでなさい――。

 そして、――『“Emmanuel”――しゅ我らと共にいます』。この言葉を、どうか忘れないでくだされ――。

 伴天連に付いて西洋天文学を学びたいという動機ももちろんあったが、それ以上に、在昌はあの時果たせなかった、命を給うた主なる神への献身たる「洗礼」、すなわちキリシタンとなることに、此度こそはという意を次第に強くしていった。

――我よりも父または母を愛する者は、我に相応ふさわしからず。我よりも息子または娘を愛する者は、我に相応しからず――

 福音経ふくいんけいのこの言葉も、在昌の胸に深く刺さった。

 釈尊も、一遍上人も、家を捨て、己を捨てて、真理の道へと進み給うた。我はいかに――

 永禄二年(一五五九)、ユリウス暦十二月二十四日、降誕祭前晩のミサに、広と在昌は赴いた。

「――Veni, Veni, Emmanuel――来ませや来ませ、エマヌエルよ」

 救世主の降誕を待望する聖歌が歌われる中、ミサに先立つ前晩祷と洗礼式が厳かに行われた。

 陰陽師の嗣子であるから……という後ろ髪も、在昌はもはや断ち切っていた。

「この者の名は何と云うか」

 ヴィレラ司祭の問に対して、在昌の「代父」を務める了斎は力強く答えた。

「マノエル・アキマサ」

「マノエル・アキマサよ。父と、子と、聖霊の御名みなによりて……」

 マノエル、すなわちEmmanuelのポルトガル語、「主我らと共に坐す」。

 こうして在昌は洗礼を受け、晴れて夫婦共々キリシタンとなった。

「――Gaude, gaude, Emmanuel nascetur pro te, Israël――歓べや歓べ、エマヌエル汝が為に生まれ給う」


・了斎、ヴィレラの京滞在中に、在昌が京で最初のキリシタンとして洗礼を受けたというルイス・フロイスおよびガスパル・ヴィレラの記録あり。実際の受洗の時期は、ユリウス暦一五六〇年一月十日~一月二十五日の間かと推定されている。

・「我よりも父または母を…」――マタイによる福音書10章37。

・「Veni, Veni, Emmanuel/Gaude, gaude」――邦訳「久しく待ちにし」として知られるラテン聖歌。

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