中学生・2
あのころの少女は、純真無垢なお姫さまではなく、絶望をかかえる敗戦者だった。
あらゆる言葉を使いこなせず、この世のことわりを知っているわけでもなかった。
この星はすこしかたむき、まわりながらも、どこかで凍てつく大地に身をふるわせているひとがいる裏側で、草木も生えぬ大地に卒倒するひとがいるなんて、想像できなかった。少女が立っている場所が世界であり、すべてだった。空だって飛べると信じていたが、飛んだことはなかった。それでいて、いつかかならず世界の果てまでいこうと考えていた。ううん、いかなければならない、と思っていた。
「すっごくうれしくてうれしくて、たまらないほどうれしくて、いつもよろこんでいたら、いやなこともはねとばしちゃうってこと、ある?」
少女の期待に満ちた笑顔に、「どうだろう」とはっきりしない少年は、「しあわせっていうのは、ある日とつぜん終わるものなんだよ」と、あたりまえな顔をした。
「ほんと?」
「信じてないだろ」
「うん、だって」
「だって、はなしだ」
「でも」
「デモもテロもストライキも、クーデターもなしだ。しょうがない、おれがもう少しくわしく教えてやる」
「ほんと?」
「ああ、ほんとうだ。おれが嘘を言ったことあるか?」
少女は指をくわえて、身を引きながら少年を細目でみる。
その手をつかみ、少年は少女とむきあった。
夕暮れ。河川敷の堤防に二人は立っていた。遠くから流れてくる水は、遠くの海へとたどりつく。その先を、二人はまだ、みたことがなかった。
「それはみんとの心、いつもニコニコしあわせ貯金が、満期をむかえたときに、はじめて引き落とすことができるものなんだ」
「ほんと?」
「ほんとだって」少年は、太陽をあびたマンゴーの顔で言った。「生まれるときに聞いたことがある。しあわせになりたいと思って生まれてきたやつと、そうじゃないやつとでは、しあわせ通帳に書きこまれた数字に差ができて、生まれてくるんだ。そして、はやく満期をむかえたやつから、そのしあわせを、ここぞというときにつかうことができるんだけど、いちど減ったものはもとに戻らない」
「また、貯めたらいいんじゃないの?」
「減るのは早いけど、貯まるのは遅いんだ。金利が低いから」
「どうして?」
「さあ、どうしてだろう。わかんないや。しらないよ。しらないけど、ふしぎだね。でも、しあわせ貯金のいいところがひとつあるんだ。それのおかげで、しあわせを使い果たしたひとでも、しあわせになれるんだって。生まれたときに聞いてるはずだけど」
おぼえてない。少女は応えて、空をみあげた。
うっすらとした雲が空一面を覆うようにしている。沈む夕陽が雲をすかして、山や町を色づけている。少女がほおを染めるように。
どうしたらいいの?
少女の言葉に、「そうだな」少年は空をみあげて言った。
「しあわせによろこんでいるだれかと、しあわせをわかちあうんだよ。よろこんでいるひとが多ければ多いほど、しあわせはおおきなものになるんだ」
「ほんと?」
「うん、ほんと」
「それって、いつもの作り話でしょ」
「ちがうよ、おれのファンタジーさ。みんとがこのファンタジーを信じれば、作り話は真実になる。信じなければ」
「どうなるの?」
「おれは嘘つきで、ほら吹きになって笑われるのさ。またこいつ、嘘ばっか言ってるって。そうして、インチキという称号をもらえるんだ。嘘をつくたびに、頭からにょきりにょきりと角がはえてくるんだ。うわぁおーって、みんとをがぶがぶ食べちゃうんだ」
「ほんと?」
「もちろん、ほんとうさ」
ごちそうさまでしたと言いながら、少年は手をあわせていた。おいしくないから食べないで、少女は口をへの字に曲げた。
「おいしいかどうかわかんないよ。まあ、そのへんは料理方法しだいだな。スポンジ生地にたっぷり生クリームをしいて、いっしょに巻いたらおいしくなるんじゃないかな」
「ろーるけーきみたいに?」
「そうそう、ろーるけーきだ」
「マンゴーとかもいれるの?」
「おー、それいいね。イチゴやピーチとかフルーツいっぱいいれるのもいいね」
「でも、食べられるのいや」
「だろ。食べられるより食べたいだろ。この世界の真実と嘘なんて、コインの裏表みたいなものなんだ。みんとは、おれの言ったこと信じる?」
「信じる」
以来、少女はいつもニコニコしあわせ貯金の存在を信じている。どんなに自分のしあわせを使い切ったとしても、みんなとよろこびを味わうことができたら自分もしあわせになれるなんてことはない、とわかっている大人になったいまでも。
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